「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

忘れられた日本人 つづき  Long Good-bye 2024・01・09

2024-01-09 05:09:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、宮本常一 さん ( 1907 - 1981 ) の著書

 「 忘れられた日本人 」( 岩波書店 刊 )  の中から「 梶田富五郎翁 」

 と題した小文の一節 。

 「 あとがき 」、「 解説 」を含めて 、読了 。

  備忘のため 、梶田富五郎翁の「 語り 」( 部分 ) を抜き書き 。

   引用はじめ 。

 「 やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようで
  ごいす 。わしはその頃もう嫁をもろうて 、この
  土地の土になる気になって 、漁師だけでは食えん
  から 、子供の時になろうた菓子のつくり方を家内
  におしえて 、わしは沖へ出る 、家内は家で菓子を
  つくって商いをする 、とまァそないにしてつつま
  しう暮しをたてて来やしたがのう 。
   はァ 、おもしろいこともかなしいこともえっとあ
  りましたわい 。しかし能も何にもない人間じゃけ
  に 、おもしろいということも漁のおもしろみぐら
  いのもの 、かなしみというても 、家内に不幸のあ
  ったとき位で 、まァばァさんと五十年も一緒にく
  らせたのは何よりのしあわせでごいした 。 
   だいぶはなしましたのう 。一ぷくしましょうかい 。」

   引用おわり 。

  ( ´_ゝ`)

     宮本常一さんの残した 膨大な記録の ほんの 一かけら 。

     とりとめのない聞き書きのようにもみえる 。

     年寄りたちは 、話がうまい 。

   おそらくは 繰り返し語られ 、練りに練られた 「 語り 」、

 「 語り口 」だからこそ 味わい深いのだと思う 。 

   創作ではない 庶民の 生の声 を蒐集しつづける 宮本さん や

  他の「 伝承者 」たちの ひたすら蒐集にかける 不思議な情熱 。

     なんなんだろう これは 。でも面白い 。 

   歴史学者 網野義彦さんは 、宮本常一さんの「 忘れられた

  日本人 」( 岩波文庫本 ) に寄せた「 解説 」の中でこう記述さ

  れている 。

 「 歴史学が 、歴史を対象化して科学的に分析探求する 歴史科学

  と 、その上に立って歴史の流れを生き生きと叙述する 歴史叙述

  によって 、その使命を果たしうるのと同様 、民俗学も 民俗資料

  を広く蒐集し分析を加える科学的手法と 、それをふまえつつ 庶

  民の生活そのものを描き出す民俗誌 、生活誌の叙述との総合 に

  よって 、学問としての完成に達するものと 素人流に 私は考える 。

  そして歴史家の場合もそうであるように 、この二つの能力を兼

  ねそなえる民俗学者はきわめて稀であろうと思う 。

   宮本氏は 前者についても 全くの不得手というわけではないが 、

  間違いなく 後者において卓越した力量を持つ民俗学者であった 。

  その力量が最高度に発揮されて結晶したのが本書であり 、日本

  の庶民は自らの中から 、このようにすぐれた伝承者 、民俗学

  者を生み出したことを 、十分に誇ることができる 。

  本書が刊行された1960年 、『 梶田富五郎翁 』の言葉を通

  して 、宮本氏は『 やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間の

  ようでごいす 』と言い切った 。辛苦の末に新たな漁村をひらい

  た老人のこの一言は 、まことに力強い 。なにものをもこえて

  前進する人間のたくましさを 、われわれはそこにはっきりと感

  じとることができる 。

   しかし死の三年前 、1978年 、宮本氏はさきの自叙伝『 民

  俗学の旅 』の結びに近く ( 235 ~ 236 ページ ) 、つぎのように

  のべている 。

  『 私は長い間歩きつづけてきた 。そして多くの人にあい 、

  多くの者を見てきた 。( 中略 )その長い道程の中で考え

  つづけた一つは 、いったい進歩というのは何であろうか 。

  発展とは何であろうかということであった 。すべては進歩

  しているのであろうか 。( 中略 )進歩に対する迷信が 、

  退歩しつつあるものをも進歩と誤解し 、時にはそれが人間

  だけではなく 生きとし生けるものを絶滅にさえ向わしめつつ

  あるのではないか と思うことがある 。( 中略 )進歩のかげ

  に退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ 、われわれに

  課されている 、もっとも重要な課題ではないかと思う

  これはまさしくわれわれ 、現代の人間につきつけられた課題

  そのものといってよい 。梶田翁の生きた時代はもとより 、本

  書の世に出たときからも 、時代は大きく変りつつあり 、宮本

  氏はついにその解決をみることなしに世を去った 。 」

 「 たしかに『 無字社会 』は日本では 、いまや極小の状態にな

  りつつある 。だが『 忘れられた日本人 』 『 忘れられた人

  間 』は現代の真只中にも 、また歴史の中にも 、なおきわめ

  て多いのである 。宮本氏以上の力をもって 、われわれはその

  『 伝承者 』となり 、その存在を世に問いつづけていかなくて

    はなるまい 。 」

   ( ´_ゝ`) 

   さる人のブログでこんな記述を見掛けました 。

  「 中国地方の『 えらい 』は以下の意味で使われます 。
   ・疲れた
   ・苦しい
   ・とても 」

  「 主に西日本では 、『 えらい 』に『 立派である 、
   地位が高い 』という意味以外の意味があることが
   わかりました 。」

   ( ´_ゝ`)

  えらいこっちゃ えらいこっちゃ よい よい よい よい  (^^♪

  ぴー ひゃーら どん どん どん ぴー ひゃーら どん どん どん (^^♪

  これ何でしたっけ ?

   

 

コメント
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