今日の「 お気に入り 」は 、トーン・テレヘン 著 、
長山さき 訳「 おじいさんに聞いた話 」の一節 。
備忘のため 抜き書き 。
引用はじめ 。
「 祖母の留守中に 、フィンランドのイマトラの滝の話を祖父
が聞かせてくれた 。
ヴィボルグに一家の夏の家 ( ダーチャ ) があって 、そこ
からイマトラを訪れていたそうだ 。
川の上流から木の樽や綱の解けたボートが流れてきて 、何
千もの破片となって祖父のいる川辺に漂着することがあった 。
滝の音はつんざくように大きく 、風のない日には四十キロ
離れた場所でも聞こえるほどだった 。
ある日 、祖父は祖母とそこを訪れた 。二人は数週間前に知
りあったばかりだった 。
太陽が輝き 、二人は下流の川辺に坐っていた 。
サンドイッチとスイカを持ってきていた 。
滝の音のせいで会話はできなかった 。
『 だから 、ほほ笑みあっていただけだった 』と祖父は言った
その日 、二人は結婚を決めた 。
『 おばあちゃんがうなずいて 、砂に指で〈 はい 〉と書いた
とき 、おじいちゃんはまだなにも言ってなかったんだと 』
祖父は言った 。『 それから おばあちゃんは指をワンピース
で拭いて 、おじいちゃんを輝くような顔で見つめた 』
祖父は一瞬 、ひたいをこすり 、考えにふけってからこう
つづけた 。
『 おばあちゃんが輝いているときには 、おじいちゃんは
いつも目を伏せざるをえなかった 。太陽が眩しいときみた
いに 』
しばらく沈黙がつづいたので 、ぼくが本をめくっていると 、
祖父は突然べつの話をはじめた 。ペルシャについて ―― ペル
シャの馬と有名なペルシャ絨毯についてだ 。 」
( トーン・テレヘン著 長山さき訳 「 おじいさんに聞いた話 」
新潮社 刊 所収 )
引用おわり 。
( ついでながらの
筆者註:「 ヴィボルグ( ロシア語:Вы́борг ,
ラテン文字転記:Vyborg )は 、ロシア連邦レニン
グラード州の都市 。人口は 7万2530人(2021年)。
ロシア語での発音はヴィーボルクに近く 、また他に
ヴィボルク 、ヴイボルク などの表記も用いられる 。
かつては スウェーデン領 や フィンランド領 であっ
た都市であり 、ヴィープリ( フィンランド語 、カ
レリア語:Viipuri )、ヴィボリ( スウェーデン語:
Viborg )の名でも知られる 。ちなみに ドイツ語では
Wiborg( ヴィボルク )と表記される 。
フィンランド湾に面し 、カレリア地峡の北西端に
位置する 。サンクトペテルブルク から北西に 130km
の距離にあり 、38km北にフィンランドとロシアの国境
がある 。」
「 イマトラ( フィンランド語: Imatra )は 、フィン
ランド東部に位置する町 、自治体 。南カルヤラ県
イマトラ郡に属する 。1948年にロシア国境近くの
三集落を中心に設立された 。過去50年間 、サイマ
ー湖やヴオクシ川によって 近代的な工業都市へと
変貌を遂げた 。1971年に自治体となった 。
一番近くの町は 、ロシアのスヴェトゴルスク
( フィンランド名:エンソ )で 、7km しか離れ
ていない 。サンクトペテルブルクは 南東 210km のと
ころにあり 、首都ヘルシンキとは 230km 、フィンラ
ンド側で最も近い町は ラッペーンランタ で 、37kmの
距離がある 。
1903年 、早瀬の近くに 当時のロシア帝国の首都 サン
クトペテルブルクからの観光客向けホテルがオープンし
た 。アールヌーボーとユーゲント様式のこのホテル
は 、現在では『 イマトラ観光ホテル 』として知られて
いる 。」
以上ウィキ情報 。
イマトラの町の周辺には 、『 滝 』というか 、『 早瀬 』
というか 、
" Imatrankoski Rapids " 『 イマトランコスキー激流 』
と呼ばれる河川流域 があるらしい 。一帯は 、あまり
高低差のある地形とも思えないので 、ダム湖のような
ところから放流によって作り出される 急流 なのかも
知れない 。現代の観光地としては 辺鄙すぎ 、
ロシア第二の都市 サンクトペテルブルグ以外からの
フィンランド国内の一般の観光には やや不向きな土地
かと思われる 。・・・ よくは知らんけど 。
因みに 、サンクトペテルブルグ は 、団塊世代にとっ
ては 、ソ連時代の レニングラード と言われた方が馴
染み深い 。
ボルゴグラード と言われるより 、スターリングラー
ド と言われる方が 、わかりが早いのと同じ 。
プーチン大統領とその与党 、大多数の国民が夢見る
のは 、強いロシア 、皇帝が居るようで居ない 帝政ロ
シア の再来 。中華人民共和国 も同じ 。夢見るだけで 、
そんなもの どこにもありゃしないのさ 。 )