今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「現代人がメカニズムを信じ、これを崇拝するにいたったのは、それが財産として残せるためである。ひとたび電燈を発明すれば、子孫は行燈の昔にもどることがないからである。
一方、精神上の遺産は、子孫に残せない。老荘儒仏ヤソにいたるまで、聖賢は人類を精神の内奥から救おうとした。なん千年来試みて、成功しなかったのは、五十にして天命を知った賢人が死んでしまえば、もとの木阿弥、その子は初めからやり直さなければならない。やり直して五十になっても、はたして親父の域に達するかどうかはおぼつかない。
すなわち、精神上の財産は残せないのである。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「教育というものは過去の財産を現代に伝えることだから本来伝統的なものであり保守的なものである。洋の東西を問わず教育は古典を教えることに尽きる。西洋ではギリシャラテンわが国では四書五経、老荘儒仏に人間の知恵は出つくしている。」
「私たちが何を考え何を言っても、古人を出ることはできない。それらの悉くを学んだ上でさらに考えたことが考えであり、さらに発見したことが発見である。尋常の人にそんなことはできないから『学ブニ如カザルナリ』また『述ベテ作ラズ』と古人は言ったのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」所収)
「現代人がメカニズムを信じ、これを崇拝するにいたったのは、それが財産として残せるためである。ひとたび電燈を発明すれば、子孫は行燈の昔にもどることがないからである。
一方、精神上の遺産は、子孫に残せない。老荘儒仏ヤソにいたるまで、聖賢は人類を精神の内奥から救おうとした。なん千年来試みて、成功しなかったのは、五十にして天命を知った賢人が死んでしまえば、もとの木阿弥、その子は初めからやり直さなければならない。やり直して五十になっても、はたして親父の域に達するかどうかはおぼつかない。
すなわち、精神上の財産は残せないのである。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「教育というものは過去の財産を現代に伝えることだから本来伝統的なものであり保守的なものである。洋の東西を問わず教育は古典を教えることに尽きる。西洋ではギリシャラテンわが国では四書五経、老荘儒仏に人間の知恵は出つくしている。」
「私たちが何を考え何を言っても、古人を出ることはできない。それらの悉くを学んだ上でさらに考えたことが考えであり、さらに発見したことが発見である。尋常の人にそんなことはできないから『学ブニ如カザルナリ』また『述ベテ作ラズ』と古人は言ったのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」所収)