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戻り来て 窓全開に 処暑の風
煮凝や 一人の昼餉 いつよりか / 阿部美恵子
今日の「 お気に入り 」は 、どこかで読んだ 、どなたかの文章
のひとくだり 。
「 いいか 、偉そうにするなよ 。疲れるからな 。 」
「 あなたはまだ若いから知らないでしょうが 、哀しみにも終り
があるのよ 。 」
「 人間は己でどうしようもできないことが一生で起こり得るし 、
そうなった人を見守ることは 使命というか 人間は当り前に手
を差しのべるのだと思うようになりました 。 」
「 〝 五風十雨 〟という中国の言葉があるが( 五日に一度風が
吹き 、十日に一度雨が降れば農作物がよく実るという 。天
下が乱もなく太平の意味 )、この言葉が好きだ 。 」
「 清潔 、身綺麗は 、丁寧につながる 。
丁寧は仕事の基本である 。
丁寧は 、人間の誠実が 、これをさせている 。
誠実は生きる姿勢である 。」
閑話休題 。
最近 、久しぶりに 、一晩で読了する本に出合いました 。
ロアルド・ダール著 、田村 隆一訳 「 オズワルド叔父さん 」
早川書房刊 。原題 " MY UNCLE OSWALD " 。
イギリス人作家が書いた 艶笑譚 。21世紀の地球のどこかで
人知れず行われているに違いない 、現実味のある ノベル 。
でも 、そんなことしても どうにもならない 、人の世のあり様 。
人口爆発 、優生思想 、人類の危うい未来 に思いを致す ・・・ 。
人はみな生まれついての障がい者 。
77億 ホモ・サピエンス・サピエンス 増殖するにも程がある 。
何かを求めて 右往左往 。
( 筆者註:「 ロアルド・ダール( Roald Dahl [ˈroʊəld ˈdɑːl ] 、
ノルウェー語 : [ˈruːɑl ˈdɑːl ] 、
1916年9月13日 - 1990年11月23日 )は 、イギリ
スの小説家・脚本家 。
略 歴
・パイロット
カーディフのランダフ地区にてノルウェー移民の
両親のもとに生まれる 。
シェル石油で働き 、タンザニアやカナダにも行っ
たが 、第二次世界大戦が始まってからは イギリ
ス空軍の戦闘機パイロットとして従軍 、5機撃墜
を公認され エース・パイロットとなっている 。
1940年9月19日 、搭乗していたグロースター・
グラディエーター複葉戦闘機が エジプトのマル
サ・マトルーフ近郊の砂漠で機位を喪失し 不時
着 、重傷を負うも生還した 。
しかし 、この際に脊髄を負傷した事による後遺
症に生涯苦しめられた 。
後にこの事故はダールが発進前に受けた 、誤っ
た飛行ルート指示によるものと判明した 。
・作 家
その後 、アフリカでバカ話やパイロット時代の
経験を元に小説を書くようになった 。作家 セシ
ル・スコット・フォレスターが 、取材のために
ダールの飛行体験についてメモを書くよう依頼
したが 、ダールは話すより書く方が早いと思っ
てメモを作った 。そのメモ( デビュー作の中の
『 簡単な任務 』)の素晴らしさに そのままダー
ル名義で出版されたことがきっかけでデビュー 。
1942年には すでにグレムリンの話を書いていた
( これをディズニーが映画化しようとしたが頓挫 )。
風刺やブラックユーモアに満ちた短編小説や 、
児童文学で有名 。
特に 、『 奇妙な味 』と評されるダールの短編小
説は 、作家・評論家・翻訳家らへのアンケート結
果によるミステリ・マガジン 2007年3月号で 、
ミステリ小説オールタイム・ベストの短編部門第
1位に輝いた『 南から来た男 』の他 、『 味 』、
『 大人しい兇器 』などで 、日常的な風景や会話の
中に人間の心の奥底に潜む狂気をうかがわせ 、
高い評価を得た 。
007シリーズで有名なイギリス人作家のイアン・
フレミングの友人であり 、映画『 007は二度死
ぬ 』と『 チキ・チキ・バン・バン 』の脚本も手が
けた 。
・家 族
1953年に女優のパトリシア・ニールと結婚した 。
ダールとの結婚前 、彼女は ゲイリー・クーパー
と3年間不倫関係にあり 、彼の子を妊娠したが 、
クーパーの妻はカトリック教徒であったため離婚
に応じず 、中絶せざるをえなかった 。ニールは
マスコミから袋叩きにあい 、仕事も来なくなった 。
そんな時に彼女を可愛がっていた 劇作家 リリアン・
ヘルマンの紹介により ダールと出会い結婚した 。
結婚後も女優を続け 、アカデミー主演女優賞を受
賞した 。
5人の子供に恵まれたが 、妊娠中に脳卒中に襲われ 、
ダールの献身的な看護とリハビリのおかげで 無事
に出産し 回復した 。しかし 、度重なる浮気を理
由に 、1983年に離婚した 。後に ニールは 自伝の
結びに『 自分の愛した男性は ゲイリー・クーパー
ただ一人だった 』と書いている 。
その後 ダールは 同郷の女性 フェリシティー・ク
ロスランド と再婚する 。
2人の間に子供はいなかったが 、連れ子の長女
オリヴィア が 7歳の時に脳炎で亡くなり 、息子
セオ は 4ヶ月の時に 交通事故で脳に障害を負っ
た 。ダールの死後 、妻によって ロアルド・ダー
ル基金 が設立された 。ちなみに ニールとの間に
設けた子供たちは 全員 父になついていたため 、
その後もクロスランドのもとに集まったという 。
・エピソード
宮崎駿 は ダールのファンであり 、オマージュと
して『 紅の豚 』や『 風立ちぬ 』で『 銀河( 天
の川 )』のような 、『 ヴァルハラへの昇天する
飛行士たち 』のエピソードを挿入した 。また 、
ダールのいくつかの日本語訳書において 前書き
や解説なども行っている 。 」
「 ヴァルハラ( ドイツ語: Walhalla )は 、北欧
神話における主神 オーディンの宮殿 。古ノル
ド語では ヴァルホル( Valhöll 、戦死者の館 )
という 。 」
以上 ウィキ情報 。 )
屁理屈こねても ロシア が悪い 、
喧嘩両成敗は違う 、と私ゃあ思う 。
ロシアに義はない 、領土欲のみ 。プーチンの戦争 。
みこしが重いと厄介だ 、中露見ていてそう思う 。
「 みこしは 軽くて パー がいい 」と どこかの だれかが 仰った 。
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