「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

飛ばねえ豚はただの豚 Long Good-bye 2022・08・23

2022-08-23 05:43:21 | Weblog



  戻り来て 窓全開に 処暑の風

     煮凝や 一人の昼餉 いつよりか / 阿部美恵子





  今日の「 お気に入り 」は 、どこかで読んだ 、どなたかの文章

  のひとくだり 。

  「 いいか 、偉そうにするなよ 。疲れるからな 。 」

  「 あなたはまだ若いから知らないでしょうが 、哀しみにも終り

   があるのよ 。 」

  「 人間は己でどうしようもできないことが一生で起こり得るし 、

   そうなった人を見守ることは 使命というか 人間は当り前に手

   を差しのべるのだと思うようになりました 。 」

  「 〝 五風十雨 〟という中国の言葉があるが( 五日に一度風が

   吹き 、十日に一度雨が降れば農作物がよく実るという 。

   下が乱もなく太平の意味 )、この言葉が好きだ 。 」

  「 清潔 、身綺麗は 、丁寧につながる 。

   丁寧は仕事の基本である 。

    丁寧は 、人間の誠実が 、これをさせている 。

    誠実は生きる姿勢である 。」

  閑話休題 。

  最近 、久しぶりに 、一晩で読了する本に出合いました 。

  ロアルド・ダール著 、田村 隆一訳 「 オズワルド叔父さん 」

  早川書房刊 。原題 " MY UNCLE OSWALD " 。

  イギリス人作家が書いた 艶笑譚 。21世紀の地球のどこかで

  人知れず行われているに違いない 、現実味のある ノベル 。

   でも 、そんなことしても どうにもならない 、人の世のあり様 。

   人口爆発 、優生思想 、人類の危うい未来 に思いを致す ・・・ 。

   人はみな生まれついての障がい者 。

  77億 ホモ・サピエンス・サピエンス 増殖するにも程がある 。

   何かを求めて 右往左往 。 
  

   ( 筆者註:「 ロアルド・ダール( Roald Dahl [ˈroʊəld ˈdɑːl ] 、

         ノルウェー語 : [ˈruːɑl ˈdɑːl ] 、

         1916年9月13日 - 1990年11月23日 )は 、イギリ

         スの小説家・脚本家

         略 歴

        ・パイロット

         カーディフのランダフ地区にてノルウェー移民の

         両親のもとに生まれる 。

         シェル石油で働き 、タンザニアやカナダにも行っ

         たが 、第二次世界大戦が始まってからは イギリ

         ス空軍の戦闘機パイロットとして従軍 、5機撃墜

         を公認され エース・パイロットとなっている 。

         1940年9月19日 、搭乗していたグロースター・

         グラディエーター複葉戦闘機が エジプトのマル

         サ・マトルーフ近郊の砂漠で機位を喪失し 不時

         着 、重傷を負うも生還した 。

         しかし 、この際に脊髄を負傷した事による後遺

         症に生涯苦しめられた 。

         後にこの事故はダールが発進前に受けた 、誤っ

         た飛行ルート指示によるものと判明した 。
        ・作 家

         その後 、アフリカでバカ話やパイロット時代の

         経験を元に小説を書くようになった 。作家 セシ

         ル・スコット・フォレスターが 、取材のために

         ダールの飛行体験についてメモを書くよう依頼

         したが 、ダールは話すより書く方が早いと思っ

         てメモを作った 。そのメモ( デビュー作の中の

         『 簡単な任務 』)の素晴らしさに そのままダー

         ル名義で出版されたことがきっかけでデビュー 。

         1942年には すでにグレムリンの話を書いていた

         ( これをディズニーが映画化しようとしたが頓挫 )。

         風刺やブラックユーモアに満ちた短編小説や 、

         児童文学で有名 。

         特に 、『 奇妙な味 』と評されるダールの短編小

         説は 、作家・評論家・翻訳家らへのアンケート結

         果によるミステリ・マガジン 2007年3月号で 、

         ミステリ小説オールタイム・ベストの短編部門第

         1位に輝いた『 南から来た男 』の他 、『 味 』、

        『 大人しい兇器 』などで 、日常的な風景や会話の

         中に人間の心の奥底に潜む狂気をうかがわせ 、

         高い評価を得た 。

         007シリーズで有名なイギリス人作家のイアン・

         フレミングの友人であり 、映画『 007は二度死

        ぬ 』と『 チキ・チキ・バン・バン 』の脚本も手が

        けた 。

        ・家 族
         1953年に女優のパトリシア・ニールと結婚した 。

         ダールとの結婚前 、彼女は ゲイリー・クーパー

         と3年間不倫関係にあり 、彼の子を妊娠したが 、

         クーパーの妻はカトリック教徒であったため離婚

         に応じず 、中絶せざるをえなかった 。ニールは

         マスコミから袋叩きにあい 、仕事も来なくなった 。

         そんな時に彼女を可愛がっていた 劇作家 リリアン・

         ヘルマンの紹介により ダールと出会い結婚した 。

         結婚後も女優を続け 、アカデミー主演女優賞を受

         賞した 。

         5人の子供に恵まれたが 、妊娠中に脳卒中に襲われ 、

         ダールの献身的な看護とリハビリのおかげで 無事

         に出産し 回復した 。しかし 、度重なる浮気を理

         由に 、1983年に離婚した 。後に ニールは 自伝の

         結びに『 自分の愛した男性は ゲイリー・クーパー

         ただ一人だった 』と書いている 。

         その後 ダールは 同郷の女性 フェリシティー・ク

         ロスランド と再婚する 。

         2人の間に子供はいなかったが 、連れ子の長女

         オリヴィア が 7歳の時に脳炎で亡くなり 、息子

         セオ は 4ヶ月の時に 交通事故で脳に障害を負っ

         た 。ダールの死後 、妻によって ロアルド・ダー

         ル基金 が設立された 。ちなみに ニールとの間に

         設けた子供たちは 全員 父になついていたため 、

         その後もクロスランドのもとに集まったという 。

        ・エピソード

         宮崎駿 は ダールのファンであり 、オマージュと

         して『 紅の豚 』や『 風立ちぬ 』で『 銀河( 天

         の川 )』のような 、『 ヴァルハラへの昇天する

         飛行士たち 』のエピソードを挿入した 。また 、

         ダールのいくつかの日本語訳書において 前書き

         や解説なども行っている 。 」

         「 ヴァルハラ( ドイツ語: Walhalla )は 、北欧

          神話における主神 オーディンの宮殿 。古ノル

          ド語では ヴァルホル( Valhöll 、戦死者の館 )

          という 。 」

         以上 ウィキ情報 。 )




        




       

  屁理屈こねても ロシア が悪い 、
  喧嘩両成敗は違う 、と私ゃあ思う 。
  ロシアに義はない 、領土欲のみ 。プーチンの戦争 。

  みこしが重いと厄介だ 、中露見ていてそう思う 。

  「 みこしは 軽くて パー がいい 」と どこかの だれかが 仰った 。

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