2004年7月16日に79歳で亡くなった作家の中野孝次さんが、その著書「五十歳からの生き方」の中で
次のように書いておられます。
「人間一人ひとりの身に即して見れば、わたしにとって生きるのは『今ココニ』という時空があるだけである。
きのうは去ってすでになく、明日は未だ来ないので存在せず、わたしは今日という一日の、それも『今ココニ』のみ生きている。
棒のようにつらなった時間のどこかに位置しているわけではない。
しかもその『今ココニ』は、一瞬時だがただちに永遠に直結している。永遠が今であり、今が永遠である。
そしてその『今ココニ』がごろごろころがっていくところにわたしの人生がある。」
初めてこの考え方に接したとき、それまであった頭の中のもやもやがすっきり取り払われたような気がいたしました。
同じ著書の別のところで、中野さんはこんな風にも書いておられます。
「きのうのわたしも『今ココニ』である。今日の私も『今ココ二』生きる。十年前のわたしも『今ココ二』の今にのみ生きていた。
それらはすべて『今ココ二』の時として、過ぎ去らずわたしの中にある。」
次のように書いておられます。
「人間一人ひとりの身に即して見れば、わたしにとって生きるのは『今ココニ』という時空があるだけである。
きのうは去ってすでになく、明日は未だ来ないので存在せず、わたしは今日という一日の、それも『今ココニ』のみ生きている。
棒のようにつらなった時間のどこかに位置しているわけではない。
しかもその『今ココニ』は、一瞬時だがただちに永遠に直結している。永遠が今であり、今が永遠である。
そしてその『今ココニ』がごろごろころがっていくところにわたしの人生がある。」
初めてこの考え方に接したとき、それまであった頭の中のもやもやがすっきり取り払われたような気がいたしました。
同じ著書の別のところで、中野さんはこんな風にも書いておられます。
「きのうのわたしも『今ココニ』である。今日の私も『今ココ二』生きる。十年前のわたしも『今ココ二』の今にのみ生きていた。
それらはすべて『今ココ二』の時として、過ぎ去らずわたしの中にある。」
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