今日の「 お気に入り 」。
最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 - ) の随筆「 村上
朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )
の中に 「 長寿猫の秘密・出産編 」というタイトル
の小文がある 。備忘のため 、その中の一節 を抜き
書き 。飼い猫の出産に作家が立ち会ったときの話で
ある 。
引用はじめ 。
「 ミューズはどういうわけか子どもを産むときに
は絶対に僕のところにしかこなかった 。そして
絶対に僕の手を離さなかった 。だからうちの奥
さんはよく『 それ 、ひょっとしてあなたの子
どもじゃないの? 』と言っていたが 、僕には
そういう覚えはまったくない 。猫の父親はどこ
かの近所の猫である 。そんなことを言われても
困る 。にゃんにゃん 。
でも出産している猫と 、夜中に何時間もじっと
目と目をあわせているとき 、僕と彼女とのあい
だには完璧なコミュニケーションのようなものが
存在したと思う 。今ここで何か大事なことが行
われ 、我々はそれを共有しているのだという明
確な認識がそこにはあった 。それは言葉を必要
としない 、猫とか人間とかいう分別を超えた心
の交流だった 。そこで僕らはお互いを理解し合
い 、受け入れあっていた 。これは今思うと 、
ほんとうに奇妙な体験だった 。
というのは ―― 世の中の大抵の気の利いた猫
がそうであるように ―― ミューズも普段は最後
まで僕らに心を許してはいなかったからだ 。も
ちろん僕らは家族として仲良く一緒に暮らしてい
たわけだけれど 、そこには一枚の目に見えない
薄い膜のようなものが存在した 。折に触れて甘
えはしても 、『 私は猫 、あなた方は人間 』と
いう一線が画されていた 。特にこの猫は頭がい
いぶんだけ 、なにを考えているのかわからない
という部分が大きかった 。
でも子どもを産むときだけは 、ミューズは自分
のすべてを 、アジの開きみたいに 、留保なしで
僕に委ねていたようだった 。そのときに僕は 、
まるで真っ暗な闇の中に照明弾が打ち上げられた
ときのように 、その猫が感じていること 、考え
ていることを 、ありありと隅々まで目にすること
ができた 。猫には猫の人生があり 、そこにはし
かるべき思いがあり 、喜びがあり 、苦しみがあ
った 。でも出産が終わってしまうと 、ミューズ
はまたもとどおりの 、謎に満ちたクールな猫に
戻った 。
猫ってなんか変なものですよね 。」
引用おわり 。
作家が経験されたことは 、稀有なことだとは思うが 、猫で
あれ 犬であれ 、長年一緒に暮らしたペットとの間で 、出産
ではないが 、似たような交流・体験をしたことは 、どちら
かというと 犬派 の 、筆者にも ある 。
ペットならぬ人間家族との交流においても 、言葉を必要と
しない 、完璧なコミュニケーションを 実感できたときほど
しあわせを感じることはない 。気のせい? 、それとも思い込
み ?
閑話休題 。
うちの奥さん ( 村上春樹さんが随筆の中でよく使われる表
現 ) は 、無口な僕以上に 、口数が少ない 。口には出さない
が 、物心ついた子どもの頃から「 自分の人生 かくあるべし 」
という何か 理想型 のようなものがあって 、そのイメージに
基づいて自分の人生を組み立ててきたような気がする 。多趣
味 、多芸 、何にせよ器用にこなす人で 、それをひけらかさず 、
人に自慢することもなく 内に秘めている 、自己主張の少ない
人であり続けた 。
一緒になって五十年近く 、会話と言えるほどの会話を交わ
したこともないし 、お互いに長口舌をふるったこともない 。
僕の無口は 、生来の自信のなさからくるものであるが 、彼
女のは違う 。それでも 、うちの奥さんは 「 あなたはうるさ
い 、声が大き過ぎる 」と 、本人無言で 、いつも子どもの口
を借りて言わせていた 。
( ´_ゝ`)
「 痛い 」「 熱い 」などの皮膚感覚から発せられるワンフ
レーズ以外の言葉が 、彼女の口から洩れることは 、十年
このかた一度もない 。
今も覚えている彼女が最後に発した言葉は「 うちかえる 」 。
( ´_ゝ`)
最近 、ご高齢の方が多く暮らす施設で 、たまたま傍らにい
らした90歳代のおじいさんが 、何の脈絡もなく 、唐突に 、
「 うち かえりたい 」と呟かれるのを 聞いたばかりである 。
うちの奥さんやおじいさんが発した「 うち 」という言葉は 、
どうやら「 自宅 」のことではないらしい 。口癖らしい その
おじいさんの呟きに 、 「 かえりたいね 」、と付き添いのヘル
パーさんがやさしく相槌を打っているのが聞えた 。
他に掛けるべき言葉はないもんな 。
夫婦の間に会話がなくなって久しいが 、時たま 、何が楽し
くて笑うのかわからぬが 、忍び声で笑いが洩れることがあ
る 、救いである 。
( ´_ゝ`)
「 狹(せま)き門(もん)より入(い)れ 、滅(ほろび)に
いたる門(もん)は大(おほき)く 、その路(みち)は
廣(ひろ)く 、之(これ)より入(い)る者(もの)おほ
し 。
生命(いのち)にいたる門(もん)は狹(せま)く 、そ
の路(みち)は細(ほそ)く 、之(これ)を見出(みいだ)
すもの少(すく)なし 。
マタイ伝福音書 第七章 」
( ´_ゝ`)
「 何から何まで一分の隙もなく健康な人間なんてどこに
もいないのだ 。( 村上春樹 )」
( ´_ゝ`)
「 人生というのは予期せぬ罠に満ちた装置である 。
( 村上春樹 ) 」
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