「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

うちかえる Long Good-bye 2024・08・11

2024-08-11 06:34:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」。

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 長寿猫の秘密・出産編 」というタイトル

 の小文がある 。備忘のため 、その中の一節 を抜き

 書き 。飼い猫の出産に作家が立ち会ったときの話で

 ある 。

  引用はじめ 。

  「  ミューズはどういうわけか子どもを産むときに
  は絶対に僕のところにしかこなかった 。そして
  絶対に僕の手を離さなかった 。だからうちの奥
  さんはよく『 それ 、ひょっとしてあなたの子 
  どもじゃないの? 』と言っていたが 、僕には
  そういう覚えはまったくない 。猫の父親はどこ
  かの近所の猫である 。そんなことを言われても
  困る 。にゃんにゃん 。
   でも出産している猫と 、夜中に何時間もじっと
  目と目をあわせているとき 、僕と彼女とのあい
  だには完璧なコミュニケーションのようなものが
  存在したと思う 。今ここで何か大事なことが行
  われ 、我々はそれを共有しているのだという明
  確な認識がそこにはあった 。それは言葉を必要
  としない 、猫とか人間とかいう分別を超えた心
  の交流だった 。そこで僕らはお互いを理解し合
  い 、受け入れあっていた 。これは今思うと 、
  ほんとうに奇妙な体験だった 。
   というのは ―― 世の中の大抵の気の利いた猫
  がそうであるように ―― ミューズも普段は最後
  まで僕らに心を許してはいなかったからだ 。も
  ちろん僕らは家族として仲良く一緒に暮らしてい
  たわけだけれど 、そこには一枚の目に見えない
  薄い膜のようなものが存在した 。折に触れて甘
  えはしても 、『 私は猫 、あなた方は人間 』と
  いう一線が画されていた 。特にこの猫は頭がい
  いぶんだけ 、なにを考えているのかわからない
  という部分が大きかった 。
   でも子どもを産むときだけは 、ミューズは自分
  のすべてを 、アジの開きみたいに 、留保なしで
  僕に委ねていたようだった 。そのときに僕は 、
  まるで真っ暗な闇の中に照明弾が打ち上げられた
  ときのように 、その猫が感じていること 、考え
  ていることを 、ありありと隅々まで目にすること
  ができた 。猫には猫の人生があり 、そこにはし
  かるべき思いがあり 、喜びがあり 、苦しみがあ
  った 。でも出産が終わってしまうと 、ミューズ
  はまたもとどおりの 、謎に満ちたクールな猫に
  戻った 。
   猫ってなんか変なものですよね 。」

  引用おわり 。

  作家が経験されたことは 、稀有なことだとは思うが 、猫で

 あれ 犬であれ 、長年一緒に暮らしたペットとの間で 、出産

 ではないが 、似たような交流・体験をしたことは 、どちら

 かというと 犬派 の 、筆者にも ある 。

  ペットならぬ人間家族との交流においても 、言葉を必要と

 しない 、完璧なコミュニケーションを 実感できたときほど

 しあわせを感じることはない 。気のせい? 、それとも思い込

 み ?

  閑話休題 。

  うちの奥さん ( 村上春樹さんが随筆の中でよく使われる表

 現 ) は 、無口な僕以上に 、口数が少ない 。口には出さない

 が 、物心ついた子どもの頃から自分の人生 かくあるべし 」

 という何か 理想型 のようなものがあって 、そのイメージに

 基づいて自分の人生を組み立ててきたような気がする 。多趣

 味 、多芸 、何にせよ器用にこなす人で 、それをひけらかさず 、

 人に自慢することも内に秘めている 、自己主張の少ない

 人であり続けた 。

  一緒になって五十年近く 、会話と言えるほどの会話を交わ

 したこともないし 、お互いに長口舌をふるったこともない 。

  僕の無口は 、生来の自信のなさからくるものであるが 、彼

 女のは違う 。それでも 、うちの奥さんは 「 あなたはうるさ

 い 、声が大き過ぎる 」と 、本人無言で 、いつも子どもの口

 を借りて言わせていた 。

 ( ´_ゝ`)

 「 痛い 」「 熱い 」などの皮膚感覚から発せられるワンフ

 レーズ以外の言葉が 、彼女の口から洩れることは 、十

 このかた一度もない 。

  今も覚えている彼女が最後に発した言葉は「 うちかえる 」 。

 ( ´_ゝ`)

  最近 、ご高齢の方が多く暮らす施設で 、たまたま傍らにい

 らした90歳代おじいさんが 、何の脈絡もなく 、唐突に 、

 「 うち かえりたい 」と呟かれるのを 聞いたばかりである 。

 うちの奥さんやおじいさんが発した「 うち 」という言葉は 、

 どうやら「 自宅 」のことではないらしい 。口癖らしい その

 おじいさんの呟きに 、 「 かえりたいね 」、と付き添いのヘル

 パーさんがやさしく相槌を打っているのが聞えた 。

  他に掛けるべき言葉はないもんな 。

  夫婦の間に会話がなくなって久しいが 、時たま 、何が楽

 くて笑うのかわからぬが 、忍び声で笑いが洩れることが

 る 、救いである 。

 ( ´_ゝ`)

  「 狹(せま)き門(もん)より入(い)れ 、滅(ほろび)に
   いたる門(もん)は大(おほき)く 、その路(みち)は
   廣(ひろ)く 、之(これ)より入(い)る者(もの)おほ
   し 。 
    生命(いのち)にいたる門(もん)は狹(せま)く 、そ
   の路(みち)は細(ほそ)く 、之(これ)を見出(みいだ)
   すもの少(すく)なし 。

             マタイ伝福音書 第七章 」

  ( ´_ゝ`)

  「 何から何まで一分の隙もなく健康な人間なんてどこに
   もいないのだ 。( 村上春樹 )」

  ( ´_ゝ`)

  「 人生というのは予期せぬ罠に満ちた装置である 。
           ( 村上春樹 ) 」

  

       

   

 

 

 

 

 

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