今日の「 お気に入り 」。
「 昆虫には昆虫の時間があり 、魚には魚の 、鳥には鳥の時間がある 。生命体の時間もそれぞれ違い
ます 。ただ 、共通して言えるのは 、生命というものが刻々と変わっていくということです。だか
ら、時間が積み重なっていく。ロボットは変わりませんから、生物のように時間が累積していきま
せん。
ロボットの大きな利点は疲れを知らないことと、同じことを何回でも繰り返せること。だから
結果が予測できる。それが機械の持つ信頼です。
かたや 、生物は彼ら自身が刻々と変わっていきますから 、まったく同じことは繰り返せません 。
つまり、同じことは期待できない。期待するとしたら、同じ ” ような ” ことなのです 。こうした
変化も含めて私たちは相手への ” 期待 ” をつくっていきます 。それは、機械に対するものとはま
ったく違う期待です 。
だからこそ 、相手の変化や状況に思いを巡らせる必要があるのです。それが実はとても楽しい
ことなんですね。自分も刻一刻と変わっていくし 、相手も刻一刻と変わっていく。
たとえば 、『 夫婦 』や『 親子 』というように、ある二人の関係を文字にしてしまったら、そ
の時点で化石化して 「 変わらない 」ように見えるけれども 、実は変わっていくものなんです 。
夫婦の間で 「 あなたと私の関係は一生変わらないよね ? 」と話しているときの関係は 、文字
にした場合の 「 変わらない 」とは明らかに違います 。
もしかしたら、ある日 、どちらかが盲目になるかもしれないし、事故によって片足を失うかも
しれない し、病気で寝たきりになるかもしれない 。でも 、そんなふうにお互いの状況が変わる
ことはあっても、あなたに懸けている私の想 ( おも ) いは変化しませんよという宣言のようなもの
なんですね 。」
( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )

今日の「 お気に入り 」は 、漫画家で随筆家の「 ヤマザキマリ 」さん( 1967 - )の近著の「 序文 」から 。
「 現代を生きる我々は 、メディアにあふれる様々な情報の中から自分が同調できる意見や言葉を探し出し 、
それをあたかも自らの脳から抽出した言葉のように利用することがある 。自分が生み出したわけではない
意見や言葉には責任を持つ必要もないし 、不都合になればすぐに別の意見や思考に乗り換えれば良いから
気も楽になる 。自分たちと共有できない思考や言語を持つ人間を理解しようという面倒なエネルギーを発
動させることもなく 、脳の怠惰を謳歌する 。確かにいつの時代でも人々はできれば失敗も屈辱も避け 、
幸せな心地だけが許される磁場に集まって生きていたいと思ってきた 。ソクラテスやプラトンはそんな人
々に対して警鐘を鳴らしたが 、彼らは物事を考えるのが生業である『 ソフィスト 』という特殊なカテゴ
リーに納められ 、民衆との間には隔たりが作られた 。だが 、彼らが必要だと感じていた思考と対話は 、
たとえ快楽の磁場を探し続けていたとしても 、社会性の生き物である人間にとっては 、決して欠損させ
てはならない人間の機能なのだ 。」
( 出典: ヤマザキマリ著 「 ヤマザキマリ対談集 」 集英社 刊 )
DO LITTLE AND THINK A LOT.


今日の「 お気に入り 」。
「 ・・・ 動物園でずっと一頭で飼われていたゴリラは異性とお見合いをさせてもうまくいきません 。交尾も
できないし 、うまく同居することさえできない 。同居したメスに強いストレスを受けてショックで死んで
しまうオスもいます 。人間としか付き合ってこなかったために 、たぶんメスの勢いに押されて上手に自己
主張できないのだと思います 。
動物園のゴリラは小さいころに仲間と遊んだ経験がありません 。自分の身体を介在させながら 、どうし
たら相手に気に入られるかということを身体感覚で覚えていないから 、異性と出会ったときに 、相手に気
に入られるためにどう振る舞ったらいいかが分からないのです 。
人間も同じで 、あるときに友だちのつくり方を受験勉強のように頭に叩 ( たた ) き込めばできるようになる
というものではないんです 。遊びや付き合いのなかで 、自己主張したり 、逆に相手の主張に耳を傾けたり 、
無意識のうちに身体が動いたり 、自分をちょっと抑制してみるというような 、体験的な学習が必要になっ
てきます 。だから 、大学に入って急に『 さあ 、友だちをつくろう 』と思っても簡単にはいかないでしょう 。
世の中には時間をかけなければ 、どうしてもできないものがある 。どれほど科学技術が発達しても 、子
どもが成長していく時間や 、友だちづくりは決して効率化できません 。どうしたって時間が必要なのです 。
では小さいころにそういう経験をしないまま成長してしまった場合 、いったいどうすればいいかと言っ
たら 、生きたものと付き合うことが 、もしかしたら一つの突破口になるかもしれません 。たとえば 、自
然の中に身を置くと 、自分では予想もつかないことがいくらでも起こります 。
ジャングルを歩いていると 、突然 、蛇が出てくるかもしれないし 、ばったりゾウに出くわすかもしれ
ない 。草を分け入ってみたらゴリラと鉢合わせ 、ということだってあるわけです 。ある程度 、何が起こ
るか予測のつく町中とは違って何が降って湧いてくるか分かりません 。そういう自然の中では100パー
セント正解ではなくても 、決定的な間違いはしないという鷹揚 ( おうよう ) さが必要です 。そのためには
いろいろな体験を通じながら 、どうやって反応したらいいのかをその都度身をもって覚えていくよりほか
ありません 。そのうえで 、いつ何が起こってもいいような『 構え 』をしておくことです 。自然との付き
合いは 、良い訓練の場になると思います 。
それから 、相手と付き合うときには 、相手の反応を引き出すように自分が反応することも必要です 。
相手を止めるような反応をしてしまうと 、相手を萎縮させてしまったり 、最悪の場合 、相手を逃がして
しまいます 。そういうことは子どものころにケンカ別れをしたり 、仲直りしたりしながら覚えていくも
のなのです 。 」
( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )

今日の「 お気に入り 」は 、民謡の 「 木曽節 」。
インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア( Wikipedia )」に 、解説記事が掲載されています 。
「 木曽節(きそぶし)は、長野県木曽地域の民謡である。
概要
木曽地域に近世から伝わる民謡で、木曽の材木を河川に流して運ぶ「川流し」を
モチーフに、木曽川や周囲の山々と人情を歌い上げている。
歌詞中の『 中乗りさん 』( なかのりさん )は諸説あるが 、材木を筏に組んで木曽川を
下り運搬する人たちで 、先頭を『 舳乗り 』( へのり )、後ろを『 艫乗り 』( とものり )、
真ん中を『 中乗り 』といったというのが一般的である 。また 、歌詞中に『 木曽五木 』
( 江戸時代に尾張藩から伐採が禁止された木曽谷の五木 、ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・
ネズコ( クロベ )・サワラの五種類の常緑針葉樹林 )が歌いこまれている 。
『 木曽の御岳さん 』は木曽地域の最高峰( 標高 3,067 メートル )である大きな山容の御嶽山である 。
木曽節と木曽踊りはいまでは日本全国に知られているが 、これには大正から昭和戦前にかけて
福島町( のち木曽福島町を経て現・木曽町 )の町長を務めた伊東淳( いとう すなお 、
1876 年 - 1942 年 )の尽力が大きかったといわれている 。伊東は木曽の旧・福島村生まれで 、
地元自治体吏員から後に福島町長に就任 、12年間在職した 。観光客誘致・地元振興の手段として
早くから木曽節に着目 、自ら歌い 、踊りも指導して 、木曽節と木曽踊りを広く紹介した 。
『 木曽のなかのりさん 』( 1917年 )という冊子も発行 、1925 年には地元酒蔵・中善酒造店に
薦めて酒の銘柄を『 中乗さん 』と改めさせるなどあらゆるPRに努め 、『 なかのりさん町長 』と呼ばれた 。
昭和に入ると 、木曽節はラジオやレコード等の新メディアで一般に普及するに至り 、全国的な知名度を得た。
木曽福島駅前には功績を称えて伊東の銅像が立っている 。
歌詞
民謡なのでさまざまな歌詞があるが 、次のものが一般的だといわれている 。
♬ 木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳( おんたけ )さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
袷ょ( あわしょ )ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
人はナー 中乗りさん
人は見目( みめ )より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイイ
笠にナー 中乗りさん
笠に木の葉が ナンジャラホーイ
舞いかかるよ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木 ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
ネズコにー 中乗りさん
ネズにアスヒに ナンジャラホーイ
コウヤマキ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ ♬
みんなのうた
NHKの『みんなのうた』で、1963年8月に紹介された 。編曲は宮川泰 、歌はザ・ピーナッツ 、
映像は横山隆一主催のアニメプロ『 おとぎプロダクション 』製作によるアニメだった 。
『みんなのうた』での放送後 、視聴者からの楽譜の希望が多かった曲の一つである 。 」
( 引用 、ここまで 。)
昔 、小学校の学芸会で、衣装と振りを付けて「 木曽節 」をいやいや歌わされた記憶があります 。
人前で歌うことが苦手になるきっかけとなった歌で 、長じて 、カラオケ嫌いになりました 。
歌詞を覚えているのは 、一番と二番のみ 、三番以降は教わっていません 。染みついた記憶 、60年以上
経っても消えません 。

今日の「 お気に入り 」は、「 放哉俳句 」をいくつか 。
「 入れものが無い両手で受ける 」
「 咳をしても一人 」
「 寒ン空シヤツポがほしいな 」
「 鳩に豆やる児が鳩にうづめらる 」
「 とはに隔つ棺の釘を打ち終へたり 」
「 ふとん積みあげて朝を掃き出す 」
「 あすは元日が来る仏とわたくし 」
「 筍くるくるむいてはだかにしてやる 」
「 天井のふし穴が一日わたしを覗いて居る 」
「 恋を啼く虫等のなかでかゞまつて寝る 」
「 障子の穴をさがして煙草の煙りが出て行つた 」
「 お遍路鈴音こぼし秋草の道 」
「 犬に覗かれた低い窓である 」
「 禿げあたまを蠅に好かれて居る 」
「 火の無い火鉢に手をかざし 」
「 痩せた尻が座布団に突きさゝる 」
( 出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 )
数年前 、十五キロほど減量したときのことを思い出します。
昔 、肺病 。 今 、コロナ 。
「 武漢熱 」と呼ぶ方もいるそうな 。
元栓閉めても、拡散収まらず 。
近隣諸国に倣って 、歴史を、ながく忘れないでおこう、と思う 。

今日の「 お気に入り 」は、「 放哉俳句 」を 、「 句稿 」から 、いくつか 。
「 用事の有りそうな犬が歩いてゐる 」
「 奥から奥から山が顔出す 」
「 風よ俺を呼んで居るな風よ 」
「 机の足が一本短かい 」
「 犬のお椀に飯が残つて居る 」
「 噴水力のかぎりを登りつめる 」
「 ゐもり冷やかな赤さひるがへす 」
「 蛙蛙にとび乗る 」
「 嫁入りのお供が山みち酔つてもどる 」
「 吹けばとんでしまつた煙草の灰 」
「 うす霜の朝脊中こ寒く」
「 きかぬ薬を酒にしよう 」
「 一人の道が暮れて来た 」
「 墓にもたれて居る脊中がつめたい 」
「 一枚の舌を出して医者に見せる 」
「 一丁の冷豆腐たべ残し 」
「 元日のみんな達者馬も達者 」
「 芸者の三味線かついで行く月夜 」
「 お医者の靴がよく光ること 」
「 ことこと番茶を煮てもてなす 」
「 たもとになんにもは入って居ない 」
「 星がふるやうな火の見やぐら 」
「 お月さんもたつた一つよ 」
「 白壁雨のあとある 」
「 カタリコトリ夜の風がは入つて居る 」
( 出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 )
今日の「 お気に入り 」は、「 放哉俳句 」をいくつか 。
「 雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る 」
「 蛙たくさんなかせ灯を消して寝る 」
「 とかげの美くしい色がある廃庭 」
「 ここから浪音きこえぬほどの海の青さの 」
「 海が少し見える小さい窓一つもつ 」
「 わが顔があつた小さい鏡買うてもどる 」
「 海風に筒抜けられて居るいつも一人 」
「 うつろの心に眼が二つあいてゐる 」
「 海がまつ青な昼の床屋にはいる 」
「 一本のからかさを貸してしまつた 」
「 久しぶりのわが顔がうつる池に来てゐる 」
「 とんぼが淋しい机にとまりに来てくれた 」
「 山に登れば淋しい村がみんな見える 」
「 盆休み雨となつた島の小さい家家 」
「 久し振りの雨の雨だれの音 」
( 出典:「 尾崎放哉句集 」池内 紀編 ( 岩波文庫 ) ㈱岩波書店 刊 )
今日の「 お気に入り 」 。
「 人間は『 共に生きる 』という感覚なしには幸福感が得られない動物だとつくづく感じます 。それは
そもそも人間の定義がそうだからです 。だから 、自分が行う行為の先には常に相手がいる 。物理的
には誰もいなくても 、神であったり 、不特定多数の世間のような何かしらの相手が必ずいるのです 。
そのなかで自分がつくられていく 。自分が自分を定義するだけでは成り立たない社会を生きているか
ら 、誰かといるという感覚が常につきまとっている 。子どもといたり 、恋人といたり 、あるいは嫌
なヤツと一緒にいることもある 。いずれにせよ 、決して一人ではない 。誰かがいるという 、そうい
う世界 。人間というのはもともと社会的な動物なんです 。
もし引きこもっていっさいの人間を遮断してしまったら 、そもそも人間であることを否定している
ことにも繋がりかねません 。なにも会話によるコミュニケーションが取れなくてもいいのです 。少な
くとも誰かが共にいるという感覚を受け入れることができれば 。もっと究極的なことを言えば 、『 誰
か 』は人間でなくてもいいのかもしれません 。そばに生き物がいることを受け入れられれば大丈夫で
す 。でも 、それすら拒否し始めたら危ういかもしれません 。」
( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )


今日の「お気に入り」 、その一 。
「 2001年にアメリカで起こった同時多発テロのあと 、ブッシュ大統領はテロ組織とそれを支援する国家を
許さないと明言し 、各国に問いました 。あなたは私たちの敵ですか ? それとも味方ですか ? と 。境界を
引いて敵味方を分けるということは 、人間が犯してしまいがちな行為です 。でも 、それはそもそも誤った
見方で 、人間が陥りやすい 罠(わな) だということを決して忘れないでほしい 。
こうした感覚は 、人間が定住して農耕を始めてから非常に強くなったと私は考えています 。つまり 、価
値を守るために人々は連帯しようとし始めた 。ここでいう連帯とは自分たちが有利になるように 、同じよ
うな欲望を持った他の人たちを押しのけようとする行為です 。そして 、そこに『 われわれ 』と『 彼ら 』
のような明確な差別化を見出したのです 。
人間が長いこと続けてきた狩猟採集の社会では 、土地に食べ物がなくなればあちこち移動しながら生活
をしていました 。今でも狩猟採集を続けている ピグミー や砂漠に暮らす ブッシュマン ( サン人 ) は 、数
百平方キロメートルから1000平方キロメートルほどの地域を食べ物を求めて移動していますから 、固
有の土地や家を持っていません 。価値が固定されず 、移動すれば価値が変わる世界に生きているのです 。
そもそも財産なるものを持って移動することはありませんでした 。
そういう世界から 、農耕や牧畜によってある特定の土地に大きな価値が生じ 、そこで利益を上げながら 、
仲間と協力してその利益を守るという『 所有 』の精神が次第に発達したことで 、境界の内と外という発想
が生まれてきました 。
しかし 、人類の長い歴史に比べると 、農耕が発達してからせいぜい1万2000年程度 。おそらくそれ
はまだ人間の本性にはなっていないはずです 。むしろ 、『 鬼畜米英 』 と叫んで敵を明確にしたように 、
人間が発明した言葉によってわれわれは幻想を持たされているだけ 。だから 、他の国の人とでも個人的に
会って付き合えばいい友だちになれるのに 、国という幻想の枠の中に押し込められ 、国や民族の単位で相
手を敵視してしまうことがあるのです 。
問題は勝つか 、負けるかという単純な解決策しかないと考えるところにあります 。勝つためには他の国
と協力しないといけない 、勢力を拡大しないといけない 。果たしてそうなのでしょうか ? 勝つか 、負け
るかの二者択一しかないのでしょうか ? 土地の所有を巡る問題にしても 、共同で利用することを提案する
ことだってできるかもしれない 。むしろ 、真の問題は『 自分たちの利益を守るために 』という文言しか
育たない精神のほうにあるのではないでしょうか 。」
( 出典:山極寿一著 「 京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ 」. 朝日新聞出版 刊 )
今日の「お気に入り」 、その二は 、30年ほど前に撮った米国ニューヨークの写真五葉 。・・・ 二十年ふた昔 。




