ジュリエットオスカー634受信ブログ

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中継局、いとをかし。関東編。

2010年08月14日 11時28分22秒 | その他
アナログテレビの中継局について、今度は
在京民放局について見ていく。

在京放送局が一番はじめにつくった中継局は
何処なのか?
それは、茨城県の日立中継局となる。
開設は昭和39年6月である。

その後、小田原・銚子・矢板・前橋・今市と
関東の主要な大規模中継局が開局する。

ここで脱落する放送局がある。それはテレ東。
当時は科学技術振興財団ですね。

他の局では十王・勝浦・秩父・日光(清滝)・・・と
これまた主要な中継局が開局されていく中、
テレ東は中継局を開局できません。

その後48年8月に開局する桐生中継局ではテレ東も参加します。
桐生は現在でも地デジTTL拠点ですが、アナログでも
重要だったのでしょう。
同じ48年11月からは東京12チャンネルとして総合局となる。

総合局になってからすぐ中継所を開局できるわけもなく、
テレ東が次に開局させるのは波浮・風布の2局。
もちろん他の民放局との合同での置局で51年3月のこと。

この波浮と風布はいわゆる0.1Wのミニサテライト。
つまり、関東近辺のミニサテで、波浮と風布は
その第1号・2号となる(開局日は一緒の51年3月5日)
先日、風布を訪問したが、改めて調べなおすと
「あはれ」であるし「をかし」でもあります。

テレ東はまだ規模の大きい中継局開局には参加しません。
ミニサテライトでも参加する局しない局があります。

このため、テレ東の開局順に見ていくと
12 飯能上赤工 13 飯能唐竹ということになります。

テレ東も昭和54年ごろからは新規中継局開局に参加
するようになり、先ほど書いた勝浦・日光・秩父なども
この時期に開局することになります。

昭和54年6月22日には足立保木間局が開局します。
そう、SHFを使ったピンポイントの中継局ですね。
現在は廃局しています。

そして意外に開局が遅い中継局もあります。
宇都宮(55年10月)八王子(57年3月)
児玉(61年3月)多摩(61年10月)
鉄道や高層ビルなどによる都市難視でできた
エリアをカバーする局ですね。

こうして、見てくと面白いですね。
特にテレ東は自局経済状態もありますから。

参考資料 テレビ朝日社史のコピー(中継局)
     テレビ東京社史25年史
     日本放送年鑑80  


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