ジュリエットオスカー634受信ブログ

ラ・テ受信雑記他・私の得意ジャンルでの情報を発信します。このサイトは個人的な趣味により制作されています。

富士山テレビ局開設話題

2011年08月16日 20時03分53秒 | その他
引き続き、社史から話題にします。

山梨県の地形は御坂山塊を境に
国中(甲府・甲斐・笛吹)と
郡内(富士吉田・都留・大月)という2大地域
に分かれる。
郡内に電波を通したい。とう課題がYBSにありました。

このため、昭和36年5月31日に
富士山テレビジョン中継放送局の申請。
昭和37年1月19日に予備免許がくだる。

親局からの番組中継の方法として
自営マイクロルートが必要となり、
既設の竜王(当時の本社はモチロン甲府北口でない)―坊ヶ峯の
STL出力を増力して電力分配方式によって
富士山局と共用。

三つ峠に反射板を建設するため、
富士箱根伊豆国立公園特別地区内工作物新築の
許可を得る一方、
富士山局の土地については山梨県知事より
恩賜県有財産貸し付けの許可を得ていた。

富士山局の局舎は富士山2合目、鉄筋2階建てで
SG空中線(当時はVHF11ch)・番組中継設備・STL受信装置・
自家発電装置など備え、1F電力室・居間・ロビー
2Fは送信機室。

居間やロビーが設置されているので、
有人送信所だったことが記述からうかがえる。

甲府と富士山の電波中継方式については議論が分かれいくつかあり
YBS技術陣の所説に軍配が上がり、NHKも同一方法を採用することに
なったと記述にあります。

三つ峠反射板以外にどのような中継方法が上がったのか
興味のあるところですが、そこまでの記述は見当たりませんでした。

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貴重な写真集

2011年08月16日 20時01分19秒 | その他
引き続き「創業より山梨文化会館まで」から
貴重な写真資料集。




こちら竜王の旧本社。
ネット情報では取り壊されてしまったらしいですね。
残念です。
まだ、開局当時は貢川とか名取って住宅地じゃ
無かったのでしょうね。



富士山テレビ放送所
原本はカラー写真ですが、
これはコピーなのでモノクロです。
当時NHKもYBSもVHF帯での放送なので垂直の
スーパーゲイン(SG)アンテナが見えます。


そしてサテライト(中継放送局)群



YBS開局時のテストパターンがありました。



中央は富士山ですね。

私は昭和60年ごろ甲府に在住していたわけですが
残念ながらこのテストパターンには
お目にかかれませんでした。

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