山梨の隣接県である静岡県の放送歴史を調べてみました。
ネット(wiki)によれば、山梨放送(野口家)と静岡放送(大石家)は
姻戚関係にあるらしい。
自分の手元にある「日本放送年鑑80」によれば
確かに静岡放送は山梨放送の主要株主として名を連ねる。
さて、その静岡放送の社史を閲覧してきた。
本当は山梨放送と静岡放送の関係について触れているか
確かめたかったのですが、
静岡の放送歴史を読んでいたら面白く、
この記事に書き留めておきます。
当時、静岡新聞はラジオ局(民間放送)の設立には関心も持つものの
放送事業が未知数、三島製紙経営問題等で後手に回る。
その間に他のグループ(元毎日新聞社員)が中心となり
静岡民放開設に動きだす。
静岡新聞としても、万一に備え申請書を準備し、
この元毎日新聞社員グループの発起人のひとりとして参加。
その後、新聞社経営に放送事業が必要と判断し、
静岡新聞主体の申請の動きに出た。
しかし問題がある。これは静岡新聞の後だし申請。
先に元毎日新聞社員のグループの免許申請が出ている。
静岡新聞主体の免許を得る可能性は薄かった。
静岡銀行の仲介で元毎日新聞社員グループの発起人を
説得し、先に出ている申請の代表発起人を大石氏(=静岡新聞)に
変更したのである。電波監理委員会(当時)としてもこれでは新規の申請と同じ、
今までの申請は白紙に戻すという態度をとったようだ。
電波監理委員会副委員長だけには実情を理解してもらえ、
電波監理委員会から郵政省に引き継がれ、予備免許がくだったという事である。
ラジオ静岡(当時の名称)の開局後、浜松地区にもラジオ局の機運。
静岡放送出資による「浜松放送株式会社」と、同地に設立申請をしていた
中日放送。結局、静岡放送の中継局として予備免許が下りる。
難航したのが熱海方面の開局。つまり伊豆東方面の電波である。
東京各局は同地方を関東放送区域と考え中継局を計画。
対して静岡放送としては伊豆は静岡県下であるから、
ラジオ静岡の放送区域であると対立。
郵政省(当時)は伊豆東海岸だけ特例を認めるのは混乱を招くと
静岡放送側の主張を認め、この問題は解決する。
なんかこう見ていくと、放送区域、視聴区域の考え方論争って
この頃(ラジオ開局時)から変わっていないんだなと思いますね。
ネット(wiki)によれば、山梨放送(野口家)と静岡放送(大石家)は
姻戚関係にあるらしい。
自分の手元にある「日本放送年鑑80」によれば
確かに静岡放送は山梨放送の主要株主として名を連ねる。
さて、その静岡放送の社史を閲覧してきた。
本当は山梨放送と静岡放送の関係について触れているか
確かめたかったのですが、
静岡の放送歴史を読んでいたら面白く、
この記事に書き留めておきます。
当時、静岡新聞はラジオ局(民間放送)の設立には関心も持つものの
放送事業が未知数、三島製紙経営問題等で後手に回る。
その間に他のグループ(元毎日新聞社員)が中心となり
静岡民放開設に動きだす。
静岡新聞としても、万一に備え申請書を準備し、
この元毎日新聞社員グループの発起人のひとりとして参加。
その後、新聞社経営に放送事業が必要と判断し、
静岡新聞主体の申請の動きに出た。
しかし問題がある。これは静岡新聞の後だし申請。
先に元毎日新聞社員のグループの免許申請が出ている。
静岡新聞主体の免許を得る可能性は薄かった。
静岡銀行の仲介で元毎日新聞社員グループの発起人を
説得し、先に出ている申請の代表発起人を大石氏(=静岡新聞)に
変更したのである。電波監理委員会(当時)としてもこれでは新規の申請と同じ、
今までの申請は白紙に戻すという態度をとったようだ。
電波監理委員会副委員長だけには実情を理解してもらえ、
電波監理委員会から郵政省に引き継がれ、予備免許がくだったという事である。
ラジオ静岡(当時の名称)の開局後、浜松地区にもラジオ局の機運。
静岡放送出資による「浜松放送株式会社」と、同地に設立申請をしていた
中日放送。結局、静岡放送の中継局として予備免許が下りる。
難航したのが熱海方面の開局。つまり伊豆東方面の電波である。
東京各局は同地方を関東放送区域と考え中継局を計画。
対して静岡放送としては伊豆は静岡県下であるから、
ラジオ静岡の放送区域であると対立。
郵政省(当時)は伊豆東海岸だけ特例を認めるのは混乱を招くと
静岡放送側の主張を認め、この問題は解決する。
なんかこう見ていくと、放送区域、視聴区域の考え方論争って
この頃(ラジオ開局時)から変わっていないんだなと思いますね。