古都の趣を残す東大寺や興福寺、なら町周辺を擁する奈良市の市街地から、南東部に位置する丘陵地帯・高樋町(たかひちょう)。
決して交通の便が良いとは言えないロケーションですが、ここには『ミシュランガイド京都・大阪・神戸・奈良2012』で1つ星に輝き、様々なテレビドキュメンタリー番組などで取り上げられた隠れた名店があります。全国から多くの人々が足を運び、食事の予約は1か月以上待つ覚悟が必要です。
奈良時代に万葉の歌人が往来したというこの地は、今も延々と田園が広がっています。のどかな風景の中にたたずむ一軒のレストラン『清澄の里 粟』をご紹介しましょう。
地域色に富んだ伝統野菜の魅力
「清澄の里 粟」の入り口では、「田の神」様がお出迎えしてくれます。
『清澄の里 粟』の料理コンセプトは、清澄の里で育てられた大和伝統野菜をふんだんに使っていること。
伝統野菜とは、日本各地で古くから育てられた野菜。気候風土に適しており、その土地の食文化にもつながっています。量産できず、形も揃いにくいために効率が悪いといった理由から、大量生産が求められる現代の市場には適さず、地域や自家消費用として細々と伝えられてきました。
しかし、今では各地の伝統野菜は、見た目も味わいも多彩で美味しいことから注目が集まっています。また伝統野菜には、機能性成分が多く含まれているのではないかという研究も重ねられています(詳しくは、『伝統野菜の健康成分に注目』参照)。
『粟』では、奈良の地に戦前から地域の人たちが大切に守り伝えてきた大和伝統野菜と、エアルーム野菜を中心に使用しています。エアルーム野菜とは、世界各地の民族、地域で受け継がれてきた伝統野菜のことですが、これらの栽培にもチャレンジし、今ではその数は300種類にも上ります。
代表取締役である三浦雅之さんは、野菜の多くは、元々海外から渡来したものなので、清澄の里で根付いたものも未来の伝統野菜として作り続け、繋いでいきたいと考えているそうです。
58種類もの大和伝統野菜を味わい尽くす
まずは、私がいただいたお料理やお野菜をご紹介しましょう。なんと今回の「粟大和野菜のフルコース」では、58種類もの野菜が使用されていました。
前菜には、パーブルスイートロード(紫芋)と鳴門金時のお焼き(右上)、オレンジ白菜のクリーム煮(右下)、タカキビのパイ包み、今市カブの海苔巻き。梅ジュース。
大和牛のローストビーフ、手作りこんにゃく、紫レタス、紅芯大根、ワサビ菜。
カラフルな野菜の煮物は、紫白菜、今市カブ、しいたけ、レッドムーン(芋)、里芋、かぼちゃ、片平あかね、黄金カブ、大和まな、黒大根、人参、粟の揚げ餅、生麩などが入っています。どの野菜も個性豊かで、風味や食感にしっかりとした主張がありました。
豆乳鍋には、大和芋のとろろ、青大根、紫大根、緑大根、赤水菜、えのき茸の他に、エビやホタテ貝柱や生麩など、たっぷり。
左から、シマアジのカルパッチョ、「八ツ頭」のズイキ、人参と大根のなます。
左から、野菜のペーストを鋳込んだ薄揚げ、紅菜台(中国種の菜の花)、こんにゃくのきんぴら。ワサビ菜とベーコン、紅丸大根。
天ぷらは、大和まな、ふきのとう、つるくびかぼちゃ、春菊、ノーサンルビー(ジャガイモ)、コールラビ(紫)、菊芋、宇宙芋。
しめのご飯は品種はヒノヒカリに、餅米の黒米をブレンドし、緑大豆をトッピング、紅芯大根、大和まな、お味噌汁は今市カブ。
さらにデザートは、イチゴの「あすかルビー」、キウイフルーツ、チーズケーキ(またはチョコレートケーキが選べます)と、名物のオリジナル和菓子「粟生」。ドリンクに奈良産「和紅茶」またはコーヒーが付きます。
「粟生」の生地には、「むこだまし」という最高級品種の粟を使用されています。「むこだまし」は白く餅のような粘りがあります。あっさりと上品な餡は、幻の小豆と呼ばれる「白小豆」と「宇陀大納言小豆」を使用。
この粟は、三浦さんが十津川村で奇跡的に見つけた種を復活させたもの。「粟」というお店のシンボル的な存在です。
懐石料理と郷土食をベースに、野菜の個性を生かす
テーブルの上や店内にある野菜は、見て触れて、食べて…。どんな特徴があるのか、美味しい食べ方なども説明してもらえ、五感で知ることができます。
まさに圧巻の野菜料理。どのお料理もシンプルで、あっさりとしていますが、それぞれの野菜の味わいや食感がしっかり感じられるように工夫され、大根だけでも種類ごとに風味や歯ざわりが異なり、新鮮な驚きに満ちたコースでした。
ガイドが取材に伺った2月末は、カブや大根が多く使用されていますが、単調にならず彩り良く、また食べやすい大きさなど切り方にも細やかに配慮されていると感じました。
お料理を担当するのは、三浦雅之さんの奥様である三浦陽子さん。レストランオープンに向けて、懐石料理を1年かけて学び、地元の郷土食も取り込んだお料理を提供されています。
『粟』らしいお料理として心がけておられる点についてお聞きすると、「旬の個性的な風味や食感を持った野菜を食材にしますので、その個性を損なわないように薄口で味付けをすること。また、郷土食をベースにしながらも、盛り付けの彩は隠し味になると考えていますので、野菜の作付計画と連動して同じ野菜(例えば大根やカブ、トマトなど)でも色彩豊かな食材を生かした盛り付けを大切にするように心がけています」と、陽子さん。
多品種のものを少しずつとはいえ、これだけいただけばお腹はかなり苦しいのですが、野菜が中心だからでしょうか、胃に負担にならず、清々しい気ちらになりました。
珍しい伝統野菜と五感で触れ合える名店
年々成長していくこんにゃく芋を一堂にしてみることができました。左から1年生、2年生、3年生、4年生、5年生。3年物の芋がこんにゃく作りに使われます。
店内のテーブルはもちろんいたるところに、日常のスーパーマーケットなどでは出会わないユニークな形やカラフルな野菜がごろごろ。お料理を食べながら、「今食べている野菜は、こんな形ですよ」と説明してくださいます。
もちろん、直接手にとって触ったり、匂いを嗅いだりして、五感で野菜と触れ合うことができます。
多彩な伝統野菜をいただいて、それぞれの環境に適した多様な姿があり、それぞれに味わいや香り、歯ざわりと異なる魅力があるものなので、私たち人間も含めた生きもののあり方に通じると感じました。
福祉の視点で健やかな生き方を模索
株式会社粟
代表取締役社長 三浦 雅之さん
専務取締役 三浦陽子さん(右)。
三浦ご夫妻が、『粟』をオープンしたのは2002年。それまでに2年かけて、自からの手で竹林だったこの地を開墾したという逸話があります。まだ「農家レストラン」などという時代に、ご夫妻が取り組むようになったのは、どんな背景があったのでしょう。
三浦ご夫妻は、若い頃に福祉ボランティアの現場で出会い、それぞれに医療や福祉の現場でお仕事をされていました。日本は高齢化社会に突入していた時代、世界に冠する長寿国を誇りつつも、要介護で寝たきりのお年寄りが増え、若い人たちも健康的な働き方、生き方などが見えない中で、「人生を充実させて生き生きと暮らす方法」を模索し始めました。
そこで見出しのが、「伝統野菜で地域づくり」というテーマ。地域の人々の横のつながりと、伝統を受け継いでいく縦のつながりというが織り成すものの核は「伝統野菜」と直感したのでした。
モノは豊かで便利な都会の生活は一見贅沢なようですが、人や地域社会、自然とのつながりが実感しにくくなっています。自然に感謝し、他者と信頼しあえるコミュニティの中で、若者だけでなく高齢者も現役で生き生きと働ければ、健康長寿も夢ではありません。
そのコミュニティを支えるのは、生きる糧であり、様々な知恵の源泉となる食文化。三浦ご夫妻は探求するほどに、地域特有の食文化を支えたのは、家庭で種を採取し、守り伝えた伝統野菜の復興にあると確信しました。
伝統野菜の復興から地域作りを目指す
その後三浦ご夫妻は農業塾に通い、また伝統野菜の探求、調査をする日々を続け、1998年からこの地に縁がつながりました。時間をかけて信頼関係を築き、地元農家から伝統野菜の種を分けてもらい、研究を重ねて栽培や種の保存など、伝統野菜の復興に取り組んでいます。
『清澄の里 粟』は、大和伝統野菜を多くの人に知ってもらう発信拠点として役割としてスタート。日本人に取って大切な作物を指す「五穀」の一つであり、「一粒万倍」の意味を込めて「粟」と名付けました。
その名の由来通り、三浦ご夫妻の目標である「伝統野菜の復興による地域づくり」は、地域住民や社会も力を注ぐプロジェクトへと大きく深く広がっています。
例えば、レストランで提供される伝統野菜のほとんどは、三浦さんの畑だけでなく、地元の集落営農組織である五ヶ谷営農協議会でもつくられ、地域農業の経済活性にもつながっています。
また農家レストラン『清澄の里 粟』に続き、09年に姉妹店の『粟 ならまち店』、15年には官民共同プロジェクトとして、奈良の魅力を伝えるカフェ『coto coto』をオープンされました。
その他にも株式会社粟、NPO法人清澄の村、五ヶ谷営農協議会を連携共同させた六次産業によるソーシャルビジネス「プロジェクト粟」を展開し、先進的なケーススタディとして全国的に注目されているのです。
伝統野菜は、人が地域か生き生きと暮らすための種
「清澄の里 粟」のマスコット、ヤギのペーター。かつて日本の農家でヤギは、農業の大切なパートナーだったとか。近年循環型農業のパートナーとしてもヤギの飼育は注目されています。
しかし、三浦ご夫妻の描くビジョンは、このプロジェクトを大規模にして大きな利益を得る、というものではありません。
「家族でつなぎ、地域の文化や伝統を育んできた伝統野菜の本質を大切にしたいのです。当面の目標は、地元の兼業農家を営んできた地域の人たちが、”ちいさな農業”を維持できる仕組みを育てること。若い世代が後に続いてくれれば、農を中心としたコミュニティが維持されると期待しています」と語る雅之さん。
『清澄の里 粟』は、一見「農家レストラン」でありながら、三浦ご夫妻の原点である福祉の現場から思い描いた「人が生き生きと健やかに暮らす」ための種でもあるのです。
心身が喜ぶような美味しい野菜料理が魅力であることはもちろんのこと、自然に寄り添う暮らしのあり方や、人と地域のつながりを感じられる豊かな時間を求めて、今日も誰かが『清澄の里 粟』に足を運ぶのかも知れません。
『清澄の里 粟』食事メニュー
・粟おまかせコース(3,500円)
清澄の里で育てられたお野菜を素材としたコース形式のお料理。「季節のジュース、前菜、和物、惣菜・季節食材の煮物、野菜の豆乳鍋、揚物、季節の色御飯、香物、味噌汁、デザート・ドリンク」のセット。
・粟大和野菜のフルコース(5,000円)
上記のコースに、清澄の里の大和伝統野菜と世界の伝統野菜を食材を中心とし、大和牛を使用したお料理を加えたフルコース。デザートに和菓子「粟生」がセットとなる。
清澄の里 粟
所在地 奈良県奈良市高樋町861
電 話 0742-50-1055
営業時間 11:45 ~ 16:00(14時半からは空き席をカフェ利用可能)
完全予約制で「1日20席限定」
定休日 不定休
駐車場 あり
出典元