「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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星野仙一はかく語りき

2005-10-11 | ■ファイターズ
星野さん、熱かったですねー怒ってましたねー(NEWS23で)

「1000万人と言われる阪神ファン全てが株を買えるわけもなく、株主か否かで差別化が生まれるのはよくない。
株を買う全て人が純粋に阪神が好きで株を買いたいわけじゃなく、当然利益を求める人がいる、そうなれば阪神は株価のために勝たねばならない。」などなど…。

株主か否かで差別されたら……まあ、大人はいいとしても、子供たちは?株主優待制度ほしさに親に株をねだる?なんかイヤだな~

村上欽ちゃん、トップとの会談後いきなり謝ってるし。
上場すべきって言ってたと思ったけど、選択技の一つに過ぎないって。
もしや、彼、阪神優勝で盛り上がったこの時なら、さらにファンは、株を買いたいゾーと盛り上がると読んだのか。
けれどもどうもファンの反応がよろしくないので、態度変更?

阪神ファンね~?ホントかな。ホントにファンなら日本シリーズ前にこういうことしないと思うわ。心情として出来ないはず。

仮に、あくまで仮に、シリーズでソフトバンクに(対戦相手はソフトバンク希望)負けたら、ファンはきっと村上ファンドの祟りだって言うだろうなー…言わない?私は言いそう。あっ、でも負けないので心配ありません。

なにげに昔の日記を

2005-10-11 | ▼ユルユル日常
2003年、まだ介護認定を受けていない時の日記を読み返した(ブログではありません)。

一応、保健課や病院の家族相談には行ったけど、何も前に進まず、一人で母と向き合っていた時期の日記。

今思うと、よく生きていたナー(ちょっと大げさ)と思う。

所々に「毎日、大変だ」という言葉がある。「朝から…」と嘆いている。
他人に見せるものではないので、ハズカシイ言い回しもあったりする(^^ゞ

例えば「毎日が闘い、それも自分と闘っている気がする」
……うーん。口に出すとハズカシイけど、ああ、そうだよねーと今も思える言葉。

まだサービスを受ける前の自分は、今日は、母の問題行動とどうやってうまくつきあうか、落ち着いて対処出来るか、泣かずに一日終われるか、怒らずに過ごせるか……そうやって自分の心と闘っていた。
今もそれは同じだけど、サービスのおかげで休戦も出来る。白旗を揚げて助っ人をお願いすることも出来る。

だから今日もこうして自分の時間を過ごせる。辛い日もあるけど、また立ち直れる。

でもね…リラックスするのって、ガンバルより難しいんだってこと、最近知った。。

認知症の語り部クリスティーン・2

2005-10-11 | ●介護録(~2015.2月)

『認知症とは何か』その4

彼女が語った「不自由」ついて印象に残ったことをいくつか。

「平衡感覚がうまく働かずコップをこぼさずに持つのに努力がいる」
「世界がグラグラした場所に感じられ体の各部分がどこにあるのかわからくなる」
「距離感が衰える」…といった身体反応の遅れ。
この「遅れ」は体の反応だけでなく、記憶の再生にも見られると著者があるケースを例にして解説している。
家族が過去のある出来事について話したところ、その時は何の反応もなかったが、一夜明けてから、それに関連することを口にした…というような話だった。

 「ショッピングセンターやデイサービスのような場所にいくと雑音が多すぎて頭の中をかき混ぜたようだ。だから耳栓をしていく」
「私たちが静かに暮らせるようにしてください」
最初の言葉は、自分にとって必要なものを受け入れ、いらないものは無視する機能の障害。
二つ目の言葉には、デイのスタッフ、音楽療法士などが大変戸惑ったらしい。
一般的に、アルツの場合は、集団でハイテンションに盛り上げて…。脳血管性は1対1で静かに…と言われているが、場合によっては静かな環境を用意すべきということらしい。
著者は、一般的に一生懸命関わろうとすればするほど、そのデイサービスに「逃げ場」なくなることがあり、↑のような機能障害がある人はうるさく感じてしまうという。

彼女は病気前、「同時進行人間」で政府高官だった頃は部下が一つの仕事しかやっていないのを見てイライラしたそうだが、今は自分が一つことしか出来なくなっている。本人はそれを自覚しているが、多くの人はこの「一つのことだけする」という判断も出来なくなる。

状況の中の自分を把握できなくなる。全体を見回して次に何をすべきか判断出来ない。TVの筋を追えない。分類することが出来ない……。

そして彼女は言う。
「日常生活の仕事は巨大で圧倒するような存在。一連の繋がりがあるという感覚は失われ、人生は断片化した問題がちりばめられた万華鏡」


ひきこもり・その4

2005-10-11 | ▼ユルユル日常
従妹のひきこもりを知って友人の力も借りて専門家のアドバイスをもらい、窓口に相談の電話をし、本人にさりげなく残暑見舞いのハガキなど出し、時か過ぎた。
結果は何も進まなかった。

最近の叔母(ひきこもり従妹の母)の様子では、あきらかに「このままが平穏だからさわらないで」という感情が見て取れる。
口では「困った」いいながら、娘の病んだ心を治し、社会復帰させてやろうと言う気がない。
叔母本人も姑問題を抱えている。ひよっとすると口にはしない夫婦の問題もあるかもしれない。そんな中で、叔母はひきこもりの娘の世話をすることが自分の存在意義?…そのような感覚に支配されているのでは?と私は思った。だから「このまま」がいいのだ。

「○○がほっておいてと言うから」(当然、本人から治療に行きたいと言うはずのないことは説明してあるにも関わらず言い続ける)
「10年もたっているから無理」
「知り合いにもひきこもりがいるが、その人は相談に行ったが治っていない」(だらか相談に行くのはムダということらしい)
…と、治療しなくてヨイ口実を自分の中に作っている。

そして、「TVで、両親が死んだら子供に国からお金が下りると放送していた。安心した」と言う。
……唖然、呆然…。
そんな制度がどこにある?従妹は31か2のはずだ。そんな者に親がいなくなったからといってお金が出るか。
それにお金が入るなら安心、ひきこもっていて構わないという問題でもない。

叔母も病んでいるとしか思えない。
しかしもう聞く耳持たずで、姪である私には限界だ。

勝手に共倒れシテクダサイ…。

叔母が死ぬまで、引きこもった娘との世界で生きるのは自由だ。
そして先に死んでいけばいい(一応順番ならそうなる)

でも従妹のことを思うとたまらない。彼女の本音は母親と心中することではないはずだ…と思う。でも、ハガキの返事も来ない状態ではどうにもならない。

20か21でセクハラのトラウマでバスに乗れなくなった娘(今も乗れない)
その後仕事をしないまま、友人との関係さえも断ち切った娘(年賀状のやりとりもない)
母親としか話さない娘。
数年前からは一切買い物にも出なくなった娘。
同時に被害妄想まで出ている娘。

なのに一度も治療を考えない両親……。家族全員、カウンセリングが必要なんじゃないか…と、私は考える。
考えるけど、封印です。出来ることがなくなりました。