「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「説得より納得」というものの…

2005-10-25 | ●介護録(~2015.2月)
最近の母のパターンは、夜の食事を終えて一段落ついた頃か落ち着いて普通にTVなど見ていてそろそろ寝ようかという頃に「子供がいないから、困った、捜しに行く、(あるいは、あっちの家にいる)」というもの。

果たしてどういう対応が一番いいのか、日々試行錯誤。

●母は自分の子供か親戚の子供と思っていっているが、私は「うちは子供は預かってないから心配ない」と無理矢理よその子の話にしてしまう。それで一応、預かってないのね大丈夫ね、と納得する場合もある。
●家から子供がいなくなったという場合、親戚の誰かが連れて行ったのか、と言うことがあるので、適当に合わせてみる。あんまり具体的に名前を出すと話がややこしくなるので、かなりあいまいな言い方をするせいか説得力もなくこうかあるようなないような…。
●何を言ってもムダだからと諦めて見守る。家を出る場合はついて行く。

大体この3パターンになるんだけど、一番簡単でラクチンで効果があるのはどれなのか……いまだ分からず。

今夜は向こうの家にいるから連れてくるというパターン。私も一緒に行ってということだったので対応はしやすい。
ところが玄関を出ると、家の中にチビがいるんだから留守番をしていてと言い出した。
家にチビがいるなら連れに行かなくてもいいんじゃないの…と問うと、いや家の中にはいない…ってことになる……(?_?)
玄関から五歩くらい歩いた所で家の中を確かめるために戻った。
現在、困った困ったと言いながら悩んでいる途中。このまま忘れてくれることを祈ってマス。

寒いんですけど……

2005-10-25 | ▼ユルユル日常

雪降りソ…この空。
いきなり寒くなりましたよ。急激に。

昨夜は偏頭痛…今日は肩がコリコリ、コリコリ、コリコリ

今、ガスコンロの五徳の焦げ付きを一生懸命削ってる。症状が出てからも食器洗いは母がやることが多い。でも、細かいところまで手が回っていなかったのね。その間のツケがたっぷり。重曹使ってみたんだけど……あんまり……方法間違ってるのかな?

☆彡……☆彡……☆彡…☆彡……☆彡……☆彡

朝から母は、「今日何時に出かけるの?」と。確かにデイの日なんだけど母の頭の中は別の用事らしい。
10時過ぎに迎えがくるから、とデイの話をする私。母は何かの会合に行くらしいが会話は成立。
あまり何度も時間確認してくるので、迎えが来るから安心して持っていればいいよと言ったところ、「いつもの迎えなの?」とデイのことに気づいた様子。本人の用事はどうやら「お葬式」。「困ったわ、今日は行けないわ」と言い出したので、マズイかなーと少々不安だったけど、お迎えスタッフは相性のヨイ人だったこともあり問題なくお出かけ…ホッ


『折り梅』

2005-10-25 | ●介護録(~2015.2月)
折り梅

ポニーキャニオン

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わざと避けていた感もあるこの映画をようやく見た。
介護と正面から向き合った作品だと思う。介護の理想型として、こういう流れをたどれたらある意味幸福?と思えた。

義母と同居、やがて認知症の発症、問題行動に疲れ果て、夫婦間も壊れそうになりグループホーム入所を決断。けれども、そこへ向かう途中の義母とのふれあいで気持ちを変える主人公。その後デイケアを使い、義母へのかかわり方を変えていく。自分が変わればおばあちゃんも変わる……旦那も子供もみんなが現実を受け入れて、穏やかに認知症と向かい合うようになる。

ラストシーン…義母は、迷惑がかかるからそろそろ帰ると言う。嫁は住所を聞き、遠いから今日は泊まっていってください、今お茶をいれますから…と言い、二人は向かい合ってお茶を飲みながら世間話……認知症になった義母を完全に受容し新しい関係が構築されたんだなーと思える終わり方だった。

家族がいると、子供への影響もあるし、協力してくれない者にイライラしたり、介護そのものではないモロモロがあることを実感。
一人でみている私は、家族がいたら…と思うことがよくあるけど(確かに、他に誰かいればもう少し時間に余裕があるし、外にも出られると思うけど)かえって気楽でもあるようだ。

最後は家族が一つになってとても穏やか…実際こんな簡単にはいかないだろうけど…。
ただ、実親子より義理関係のほうが、早い段階で割り切って現実を受容出来るのかもしれないという思いもわいた。

こちらが変わるだけでホントに認知症の問題行動は収まるの?
「泊まっていって、お茶どうぞ」って対応しても、母なんか、まったく聞き入れてくれないんだけど……。
穏やかにお芝居して母に合わせる……これをいつも出来たら徘徊も消えるんだろうか?