がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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テンペスト行脚~首里城/王印~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■王印■

「あごむしられ様、何をなさるのですか!」

突然、真美那は着ていた紅型のうち掛けの裾を「えい」と引き裂いたではないか。

 

真美那の船が琉球の海上から消えかける頃、
遍照寺の住職から真鶴にある包みが手渡された。

「これは真美那さんの紅型だわ」

真美那が一番気に入っていた牡丹の紅型が風呂敷に裁断されていた。

その包みの中を見て、真鶴は目まいを覚えた。

中には黄金の王印が入っているではないか。

第二尚氏王朝の王だけに受け継がれる国王のシンボルだ。

 

「真美那さん、明に希望を託したんですね!」

 

テンペスト(下)より

 

    

 

↑の王印が琉球処分の時から紛失している、というのは史実です。

写真はレプリカ。

これって……らくだ?

珍しく龍じゃないのです

 

連続記事アップ、つかれたー

でもまだもうちょっと写真あるぅ~。
南殿とか、書院とか、御内原とか、正殿とか

続きはまた明日ー。

あー、美の壺の記事書けなかった~


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テンペスト行脚~首里城/おせんみこちゃ、百浦添御殿重修仮奉行~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■おせんみこちゃ■

正殿の二階にある、おせんみこちゃと呼ばれる拝所は、
王宮がグスクと呼ばれる聖域であることを如実に示している。

首里城は聖域の中に行政機構を宿した巨大グスクだ。

おせんみこちゃへの拝礼は朝と夕方行われる。

「さしのあむしられよ、真美那が無事に出産するように祈ってくれ」

「御意。首里天加那志」

「それと真鶴の健康の祈願も忘れるな。国母も、王妃も、聞得大君も」

おせんみこちゃでは王の本音が聞けるのが利点だった。

――首里天加那志は真鶴様を気に入っていらっしゃるんだ。

 

■百浦添御殿重修仮奉行■ (笑)

「寧温が百浦添御殿重修仮奉行!?」

目を白黒させたのは朝薫のほうだ。

百浦添御殿とは正殿のことで修復事業の責任者に任命するというものだった。

正殿の修復が行われたのは1846年で十年余り前のことだ。
正殿の修復は30年を目安に行われるから、あ20年は手付かずの事業である。

「そう。孫親方は今日から百浦添御殿重修仮奉行よ」

「私はどこに勤めればいいんですか?」

「二十年後、王宮に呼び戻すわ。
それまで王宮への立ち入りを禁じます」

 

「テンペスト(下)」より

行脚とはちょっと違いましょうが、ちょうど只今正殿の漆塗り直しの作業中です。。。

コメント (2)
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テンペスト行脚~首里城/久慶門、北殿~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■久慶門■

表世界は民と繋がる空間だ。
王宮の門には一応門番がいるが、膂力よりも人格の良さが求められる。

ある日から、久慶門に明るい笑いが響くようになった。

「おはよう。おはよう。がはははは」

多嘉良は久慶門の門番になっていた。

「これはこれは孫親雲上、今日はお早いご出勤でございますな。がはははは」

「多嘉良のおじさん、門番の格好がお似合いですよ」

「だろう?わしも十年前から門番をやっているような気がしてならんのだ。
ついにわしも王宮勤務だ。ただし入り口までだがな。がはははは」

 

■北殿■

北殿の中は異様な緊張感だ。

ここが王府の全てを纏めている評定所である。

評定所筆者たちの熱気が床にも壁にも染み付いている。
ここで布令が書かれ、外交文書が作成され、全ての政策が決定される。

「すごい。ここが評定所か」

「私は今、本当に評定所にいるんですね」

 

「テンペスト(上)」より

出口はかつての職場である。

表世界はピンと張り詰めた思考の空間だ。

また王国の全てを把握する情報収集積基地であり、貿易を管理する総合商社でもある。
この厖大な情報にひとつの道筋をつけるのが評定所だった。

 

「孫寧温、ただいま八重山から戻りました!」

 

テンペスト(下)より


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テンペスト行脚~首里城/漏刻門、龍樋~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■漏刻門■

漏刻門の水時計が未の刻を告げた。

太鼓の音に合わせて寺の鐘がなる。

――いけない。申の刻までには御内原に戻らなきゃ。

寧温の一日には太陽と月の二つの顔がある。

側室に戻る時間が迫っていた。

 

「テンペスト(下)」より


 

■龍樋■

「多嘉良殿、この前の西瓜を持って参れ。三つ盗ったのを知らぬと思っているのか?」

「ちぇ。見られてたか。女房と子どもに食わせようと思っていたのに」

多嘉良は西瓜を瑞泉門の脇にある龍樋に漬けてあった。
この龍樋は王国一の名水と謡われる泉で、どんな干魃のときでも枯れたことがない。

亜熱帯の王国において、龍樋の水の冷たさは氷室よりも重宝された。

冷えた西瓜を抱えてやってきた多嘉良はあまりの冷たさに指をかじかませている。

「うひょおおっ!冷てえ。
前に御料理座の料理人が慶良間の西瓜を龍樋で冷やしているのを見て、
一度やってみたかったんだ。
首里天加那志はこうやって冷やした西瓜をお召し上がりになるのがお好みだそうだ」

 

女官大勢頭部は寧温を瑞泉門の脇にある龍樋へと案内した。
闇の中でこんこんと湧き上がる水の音だけが周囲に響いていた。

「この奥にかなり深い洞窟があるのです。阿片はそこに隠しました……」

 

「テンペスト(上)」より


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テンペスト行脚~首里城/系図座、京の内~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■系図座■

「系図奉行が寧温を探っているようだ。何か心当たりがあるかい?」

系図奉行は士族の戸籍管理をする部署だ。
奉行所の中でもそれほど重要な部署ではない。

「朝薫兄さん、心配しずぎです。私は系図奉行に疑われることなどありません」

そうは言ったものの、寧温の筆は止まっていた。

 

――そういえば兄上の系図はそのままになっていた。

 

 

■京の内■

紅の王宮の中に緑豊かな神殿がある。

王宮の中でも京の内と呼ばれる広大な敷地は王族神・聞得大君や
限られた神女しか立ち入ることのできないサンクチュアリだ。

この京の内が首里城をただの宮殿ではなく、
巨大グスクと呼ばれる神々の城たらしめている。

まるで綾取りのように一本の糸をつまむだけで、

男と女、神と人、面と裏、光と影が裏返り、
全く新しいパラダイムを見せる。

もっとも男が男として、女が女として生きていることを強いられている限り、
たとえ王でも首里城のすべてを知ることは不可能だ。

もしそれができる者がいるとすれば、
性を超越した存在だけである。

 

「テンペスト(上)」より


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テンペスト行脚~首里城/下之御庭、奉神門~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■下之御庭(しちゃぬうなー)■ ■奉神門■

「おお、孫寧温。君をまっていたぞ。ようやく決心してくれたんだな」

「違います。私は科試を受けるために王宮に来たのです」

「なんと初科に受かったのか!信じられん!」

踊奉行に手を引かれて入った王宮に寧温は息を呑んだ。

小奇麗な中庭の中央に立派な建物が聳えている。

「これが王宮ですか。なんと素晴らしい……」

「まだまだ。この先が本当の王宮だぞ」

寧温がいるのは下之御庭と呼ばれる王宮に入るための広場だ。

寧温が正殿だと勘違いしたのは奉神門である。

建物が門になっているなんて寧温は初めての経験だ。

 

「テンペスト(上)」より


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テンペスト行脚~首里城/守礼門、歓会門~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

テンペスト行脚、いよいよ首里城編です。

首里城はメイン舞台なだけに場面も描写も多いので
いくつかのエリアに分けて御紹介します★

ただ、夕方~夜にかけての撮影なので、
だいぶ写真の時間帯が前後してますが、御愛嬌でお願いします

では、再開ー ←トゥイ小(笑)

 

■歓会門■

「寧温、これを着て行け」

と自宅まで押しかけてきたのは多嘉良だ。

役人の正装である黒朝衣は自分が着るために仕立てたものだった。

「おまえはわしらの希望だからな。歓会門まで送ってやるぞ」

「ここが歓会門……」

石造りの曲線に寧温の視線がカーブを描く。

重厚な歓会門は俗世と王宮を分ける堅牢な隔壁だった。

寧温が真鶴と名乗っていた頃、
一生この門を潜ることはないと諦めていた栄光の門が、今まさに開かれた。

「科試を受ける破天塾の孫寧温です。お通し願います」

  

「テンペスト(上)」より

 

 

■守礼の門■ ■歓会門■

ペリー提督はあくまでも公式な訪問を望んでいた。

私人として王宮に入ることなど意味はない。
これと同じことを江戸城でもするのだ。

予定通り王宮の外に立つ守礼門を通過する。

王府の案内人は久慶門のほうへ導こうとする。

「待て。清国の貴賓門のような門があそこにあるぞ」

東洋では身分によって潜る門が異なることをペリー提督は知っていた。

「あの門は修復中でございます」

「構わん。あの門を使え」

“Open the gate!”

 

「テンペスト(下)」より


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テンペスト行脚~金城町の石畳~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■金城町の石畳■

ある雨の日、番傘をさした朝薫はふらりと金城村の石畳を下っていた。

前だけを見て走ってきた朝薫の人生にゴールが見えてきた。

「雨が昔を思い出させるなんて知らなかったな。
僕も歳をとったということか」

琉球石灰岩でできた石畳は潤いの似合う小径だ。

雨の日はまるで海中都市を歩いているように錯覚させた。

緩やかに蛇行した坂道を下っていると、
いちいち目の前の景色に驚かされる。

傘に籠もる雨の私的な音が、
この情緒を独占しているかのように思わせた。

ある民家から質素な着物姿の女が主人と談笑している声が聞こえた。

たぶん、機織の腕を買われて士族の反物を織ったのだろう。

面をあげた女の顔に朝薫は息を呑む。

――寧温!

  

傘も差さずに民家から出てきた真鶴を朝薫は呼び止めた。 

 

朝薫は人目につかないように寧温を樋川へ誘った。

爽やかな苔の緑と清涼な泉は密やかな会話に聞き耳を立てている。

「日本に維新政府が誕生したのを朝薫兄さんはどう思いでしょうか?」

「どういう政権になるのか見当もつかないが、琉球に興味があるのは確かだ。
概ね薩摩よりも紳士的な扱いだ。利用する価値はある。
もしかしたら奄美だって返ってくるかもしれない」

「いいえ。琉球は維新政府に利用されたのです。
日本は帝国を築く第一歩を琉球からと決めたのです」

 

「君は琉球が滅びてもかまわないのか?」

「民はたとえ国が滅びても生きていけるほど強いのです」

 

「テンペスト(下)」より

 

金城町の石畳。

すぐ近くに親戚がいるのでここは私にとって
那覇の史跡(?)の中で1番なじみのある場所です。

ちなみに、この民家はNHK「ちゅらさん」の主人公、
古波蔵家の外観に使われた屋敷です


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テンペスト行脚~三重城~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■三重城(みーぐすく)■ 

真鶴は女である最後の一日を三重城の頂で海を眺めて過ごすことにした。

那覇港の入り江のほとりにある三重城は航海安全を祈願する王国の拝所である。

真鶴は簪を抜き、黒髪を潮風に泳がせた。

「真鶴、真鶴、真鶴、ごめんね。
もう呼ばれることはないのね。

こんな私でごめんね真鶴。
私は男になるけど許して真鶴。
きっとあなたに誇れる人生にするわ。

だから涙を止めて真鶴…」

真鶴は自慢だった黒髪を切り落とした。

真西風吹けば花髪別れ 白鳥の羽の旅やすゆら

真鶴は船を追いかける北風の中に髪を投げ捨てた。

一篇の琉歌を手向けて。

 


あけ雲とつれて慶良間はいならで あがり太陽をがで那覇の港

「いやあお恥ずかしい。聞かれてしまいましたか」

「琉歌が詠めるのですね」
「こんな素晴らしい琉歌ははじめて聞きました。
本当に景色が言葉に変わったようです」

「褒めすぎです。王府の役人のお方ですか?」

「評定所筆者主取の孫寧温と申します。あの・・・」

「私は御仮屋の朝倉雅博と申します」

自分は一体どうしたのだろう。
さっきから体が思うように動かない。
自分はこんなに不自由な人間だったのか。
それどころか胸の中が疼いて息がきれそうだ。

――私、どうしよう……。

「寧温、急げ。船が出るぞーっ!」

朝薫が三重城にいる寧温を迎えに来て、はっと息を呑んだ。

頂にたつ2人がまるで恋人同士のようにみえたからだ。

伏し目がちに笑った寧温の表情を見て、
朝薫もまた胸を絞られるような疼きを覚えた。

「まさか、ぼくが……。寧温を。まさか――?」

 

「あれはもしや?」

さっきまで人気のなかった三重城の頂に人影が立った。
頂にいるのは愛しいひとではないか。

海を挟んで見つめ合うふたりが互いの視線を探す。

「雅弘殿ーっ!」

と同時に雅博が三重城の頂上から叫ぶ。

「孫親方ーっ!」

潮騒に消されて互いの耳には届かない。

それでも2人は互いの名を呼び合った。

「雅弘殿、好きでした。ずっとずっと好きでした。
ああ、真鶴になって戻りたい。
船を、船を止めて。
私は斬首されてもいいから、都に戻りたい」

寧温の指が三重城に立つ雅博の袖をつかみたくて宙を掻く。

「雅弘殿、雅弘殿。私はきっと王宮に戻って参ります」

三重城に登て 手巾持上ぎりば

早船ぬなれや 一目ど見ゆる

 

「テンペスト(上)」より

 

    

三重城はテンペストにおいて女としての真鶴(寧温)を語るときの用いられる舞台で、
首里城に続く、重要なスポットになっております。

はぁ~、テンペストの恋事情も切なすぎて泣けてきますよ

叙情あふれる三重城の舞台ですが…

現在はこんな姿になってしまいました。

大型リゾートホテルの裏、
三重城の入り口でアンテナ?のような鉄塔の工事をしておりました。

↑のような叙情あふれる環境は悲しいかな、
難しい状況になってしまいました。

ちなみに、当時の三重城はどのような姿だったかというと、

こうです。

葛飾北斎の描いた「琉球八景」です。

海につきだした琉球王国の重要な拝所。

今ではすっかり埋め立てられてしまって
当時を偲ぶ姿はほぼ残っていません。

 

ちなみに、三重城、初めて行きましたー(笑)


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テンペスト行脚~孔子廟~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■孔子廟■

いよいよ科試の日がやってきた。
王国最大の雇用試験は天国と地獄の明暗が分かれる日である。

多嘉良も寧恩も王国に2ヶ所ある孔子廟でお参りをすませた。

清国式の服を着て孔子廟の前で三度儒礼をする。

「寧温、那覇の市場で合格饅頭を売っているぞ。それも買おう」

「合格饅頭ってあの悪名高い泥饅頭のことじゃないですか?」

「何を失礼な。孔子廟の土壁を小麦粉に練りこんだ有難い饅頭だぞ。
早く買わないと色が薄くなってしまう。」

人気があるのは生地が泥色に染まった土壁濃度六十度の饅頭だ。
しかしそれを食べれば必ず腹を下す。
 

つまり「当たる」のである。

「なぜ多嘉良のおじさんは科試の前に燃え尽きるまで盛り上るのですか」

「だってわしは受かったことがないんだもん…」

  

 

―出題―

人間の欲には限りがないが、酒に溺れるという害を戒めるために
三司官の名で国中に通達する文書の趣旨を作成せよ

寧恩はおかしくて笑ってしまった。

これはまるで多嘉良を戒めるための案文である。

これを見逃す多嘉良ではない。
握り拳で鼓舞すると筆を握った。

「やったぞ。ついに孔子様がわしに見方したのだ!あの泥饅頭のお陰だ」

 

「テンペスト(上)」より

 

    

 

護国神社のすぐとなりにあった孔子廟。

御願をしている方々がいました。

 

孔子廟の中には琉球五大偉人の

蔡温

程 順則

の碑もありました。

  

「御奉公によって大事な点は、かつての名宰相、具志頭親方・蔡温が指摘したように、
手段の前後、つまり解決すべき問題群をどのように解いていくかであり、
手順を熟知することである。」

明は一気呵成に候文を仕上げてしまい、
余った時間をおしっこを我慢するように耐えた。

 

「テンペスト(下)」より


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テンペスト行脚~護国寺、波上宮~

2009年08月15日 | ・『テンペスト』行脚

■護国寺■

那覇港からほど近い波の上の寺は厳戒態勢だった。

護国寺は今や封鎖されて人ひとり近づくことができない物々しさだ。

この寺が宣教師であり医師であり、十三ヶ国語を操る言語学の天才と呼ばれた
ベッテルハイム博士の住居だ。

「いつまで私を軟禁するつもりだ。この無体は英国国教会に報告するぞ!」

「この王国の腐れ役人どもに神の御慈悲を。アーメン。」

ベッテルハイム一家の衣食住を王府の予算で賄ってあげているのに、
無慈悲といわれる始末だ。

ただあまりにもアクの強い性格と
好奇心旺盛であらゆるところに首を突っ込むために、
彼のことを琉球の民は

「ナンミンヌガンチョー(波の上の眼鏡)」

と愛称をつけて慕ってもいた。

 

「テンペスト(上)」より

 

■台湾遭害者之墓

「維新政府には恩があります。
昨年、宮古島民が台湾で殺害されたときに清国に対して抗議してくれました。

今まで台湾島で何百人の同胞が殺されたとお思いですか?」

「成熟した国は外交で国力を増進しますが、
新興国は武力に頼ります。
台湾遭難事件は維新政府にとって外洋にでる良い口実になったでしょう。」

「維新政府は何を企んでいるんだ?」

「日本が帝国を築くとき、まず周辺国を見渡します。
一番近いのは朝鮮ですが、派兵す大義名分がありません。

でも、台湾には琉球国民を虐殺したという理由で派兵できるのです。」

 

「テンペスト(下)」より

 

    

はい、昨日首里城とその周辺を散策してきたのですが、
首里城とその周辺といえば、ちょうどテンペストの舞台でもあるので、
テンペスト行脚みたいになりました(笑)

物語とリンクするところは文章を一部抜粋しながらお届けしま~す

たぶん、長くなると思いますが
那覇観光と読書のつもりでお付き合い下さい

なお、太文字になっているところが抜粋部分です。

■「波上宮」

護国寺のすぐとなりにある波上宮。

鳥居が黒い。
(逆光で黒く写ってるわけじゃなく、本当に黒いです)

こっちが境内。

首里城と同じくベースカラーは朱。

ちょうど赤ちゃんのための神事をやっていました。

おみくじはガジュマルのひげに。

なんか、沖縄の本格的な神社ってワタシ初めて行った気がしますよ?
神社も沖縄らしさが出ていてなんだか新鮮ですね。

紋はお馴染み三つ巴。

かっこいい

灯篭にも三つ巴。

首里城で三つ巴を探したとき、建物などにはあまり見つからなかったけど、
神社にはあらゆるところで見られました。


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