今日の龍馬伝のコーナー。
武市さん、泣かす……
人間くさい武市さんが見れて良かった。
今日の龍馬伝はいろいろな人の葛藤ぶりがあってよかったです。
弥太郎から龍馬に長次郎さんに金八先生(笑)、お富さんも。
誰が世の中を動かしているのか。
世の中の流れが変わると、以前の英雄が罪人になる。
「わしらはなんも、まちがっちょらん!」
本当は分かっているけれど、それを認めれば
これまでの生き様を全否定することになる。
侍の生き様。
なんか、色々と考えさせられました。
*今日の一言*
「おまけとは、物じゃのうて、人の心じゃ」(BY弥太郎)
でも、ラスト1分に出てきた新撰組ーっ!
ちらっと出てきた原田泰造の近藤勇…。
ごめん…ちょっと笑えた(笑)
やっぱりどうもコスプレ感が…(笑)
※原田さんは好きですよ。
原田さん若いからかなーって思ったけど、
原田さんの今の実年齢のほうが当時の近藤勇より上か!
うはっ!∑(゜д゜;
写真は「龍馬歴史館」より牢獄の武市瑞山の図。
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どうもその時々で偏るこのブログ
ここ数日は「カメラ女子」&「手ぬぐい」モードで
琉球史から遠ざかっていましたので…
「テンペスト」でも「百十踏揚」でもないグスクめぐりの記事を。
南城市大里にあります、大城城跡です。
GWの時に行きました
大城城跡は特に行きたかったというわけではなく、
車を走らせてたら表示があったので行ってみようか、と。
急な坂道を車でえんやこらと登りきると、
山の頂上の原っぱに着きました。
立派な城壁が残っているわけではなく、
ここら一帯が大城グスクとなります。
さて、最後の大城城主、真武のお話。
時は14世紀後半。
まだ三山が統一される前の話。
当時、島尻一帯で勢力を誇っていたのは
島添大里按司、汪英紫(おおえいじ)。
しかし、隣に位置するほど近い大城按司、真武だけはは汪英紫に従わず、
独立した勢力を誇っていた。
汪英紫は大城城を手中に収めようと
何かといろいろとふっかけて来る。
いちゃもんをつけてくる汪英紫に正論で返す真武。
怒った汪英紫は
戦仕度を整え、大城グスクを攻めた。
汪英紫の動きを察知した真武も兵を出し迎え撃つ。
両軍の武将同士の激しい戦闘の末、
勢いをつかんだのは大城グスクの真武軍だった。
汪英紫軍を蹴散らし、勝ち鬨をあげた。
しかし、喜び踊るあまり、
大城陣営の旗手がうっかりつまずいて軍旗を倒してしまった。
さて、大城グスクに残って遠目にことの成り行きを見ていた真武夫人。
彼女は戦にでる真武とある約束をしていた。
「勝ち戦なら軍旗を高々とあげ、負け戦なら軍旗を倒す。
もし、軍旗が倒れたら城に火をつけ、子どもをつれて逃げよ」
倒れた軍旗を見た夫人は、
「もはやこれまで」
と、城に火をつけた。
勝ち戦から帰路についた真武は、
城が燃えていることに気づき、自刃して果てた。
参考文献/「第一尚氏物語」(大盛永意著)
こらーっっ!!∑( ̄д ̄;)
・・っていいたくなるエピソードですが…。
さて、その真武の子ども。
一説では琉球を統一した尚巴志王の、祖父・佐銘川大主の妻になっているとか。
(※先代大城按司の妹だという説も。「第一尚氏物語」では妹説)
まー
とにかく、尚巴志と大城按司とは繋がりがあることは確かなようです。
さて、大城グスクをあっちゃこっちゃ探索してると、
古いお墓がたくさんありました。
手を合わせて、うーとーとー。
ちなみに、大城按司(真武)のお墓ではありません。
大城按司の墓は「ボウントゥ御墓」と呼ばれ、
独特な形をしている(BYガイドブック)のですが…
・・・…探せませんでした
標識は見つけたんだけどな~。
またいつか、リベンジ。
グスクを体感して知識を得る。
知識を得てからグスクを体感する。
知識と体感が一緒になって初めて、歴史は楽しくなりますね。
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まあ、昨日にも増していいお天気!
スカッと真っ青な空です。
風もあるし、湿気も昨日ほどベタベタ感じないので
今日こそ「手ぬぐい日和」ではないですか!
日焼け止め対策、しっかしりておでかけくださ~い
うう~、こんな天気ならワタシもお出かけしたい!
でも今日は掃除と持ち帰ったシゴトday…。
…
…
…
午前中で終わらせて午後は遊ぼう!!(今日チャレ宣言☆)
よーし、がんばるぞ~
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