薩摩侵攻史跡めぐりは、
ハンタ道から今帰仁城跡へ。
ご存知、世界遺産。
前に来たのは、桜まつりのときでした。
(昼→★ 夜→★)
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あの時は人ごみがすごかったけど、
この日は雨人もまばら。
こんな今帰仁城跡もいいですな。
入り口の手前にある、盛り上がった土のあと。
これは船に見立てたもので、
ウンジャミという大漁祈願のための祭祀で使われたものだとか。
ははぁ~。
今まで完全素通りしてました
さて、今帰仁城を攻めた薩摩軍。
しかし、琉球側は事前に逃げていたため
難なく今帰仁城を落とします。
当時の、北山看守の屋敷跡。
つまりは「正殿」にあたる建物。
そんなに大きくない。
この建物も、焼かれたか、壊されたか、
とにかくめちゃくちゃにされてしまい、
後に尚寧王が本土に連行される際、ここで一休みする予定だったが
とても休める状態ではなかったらしいです。
ちなみに北山看守屋敷跡のとなりには、
元々の「北山王」の屋敷跡。
北山看守屋敷跡よりさらにひとまわり位小さい。
攀安知王が住んでいた場所(…か!?)。
今帰仁城、そして今帰仁ムラは無人となりましたが、
後々戻ってきます。
そこで、土地の所有について北山看守と村人の間で
いいざこざがあり、王府の仲介もありつつ所有権を認められた北山看守一族が、
この城(土地)は我々のものだ、と宣言している碑文(笑)
そうそう、一時は無人となり、
住む場所を変えていった当時の人々でしたが、
拝所である「火の神」までも動かすわけにはいかず、
そのまま残っている…のが、碑文の後ろの祠。
(「今帰仁ムラ」にも残っていました)
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雨に霞む今帰仁の山々を望む。
やっぱり、このアングルが好き。
まるで高山都市。
ラピュタの世界。
山の上ということもあり、
風も強く、乱れ髪
遠くに見える海も波がたっていました。
トップの猫ちゃんは今帰仁城跡の看板猫。
受付カウンターで雨宿りしてました。
顔を近づけたら頭ごちしてきました。
かなり人懐っこい。
そういえば、今帰仁城跡はよく猫を見かけるんだった。
(・・・あっ、もしかしてあの時のこの子と同じ?)
お客さんがきたら、間に入って愛嬌サービス
「いらっしゃ~い」
猫はいいねぇ…。
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