沖縄、
本日、
梅雨明けしました!
(今年はなんか遅くない?って思ってたけど、平年より4日早いとか?)
昨日からセミもだいぶ聞こえるようになったしね。
いよいよ、家事するだけで汗が滴り落ちる夏本番!です。
夏生まれの、夏好きのワタシ。
今年の夏は、何しよう?
写真は以前の雫写真と同じときのもの。
まだまだあるのに、雫写真…。
紹介せぬまま、梅雨明けといういうことで…
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↓これもそろそろ変えようかな…。
薩摩侵攻史跡を巡る。
薩摩侵攻の時系列とは前後するのですが、
浦添グスクに隣接する浦添ようどれへ。
以前にも行ったことのある浦添ようどれ。
薩摩侵攻時の琉球王、尚寧王が眠っています。
雨の中のようどれへの道は、
またしっとりと風景を変えて。
以前の記事でも書いていますが、
手前の城壁と、右側の岩はつながれていて、トンネル状になっていました。
名づけて、暗シン御門。
戦争で破壊される前のようどれ入り口。
暗シン御門が真っ暗でちょっと怖い…。
確かにこのトンネルの向こう側はこの世のものとは違う世界…
とも思いたくなりますね。
…あっ、この写真を撮っている坂谷良之進って、この人だ!
ようどれの中の全体写真はこちらから。
ケータイの簡易魚眼レンズで何とか全体を収めこみました。
(雨粒つき…)
さて、第二尚氏の陵墓といえば、
世界遺産の玉陵(たまうどぅん)ですが、
尚寧王は玉陵ではなく、
ここ浦添ようどれに眠っています。
以前の記事では薩摩侵攻という琉球にとってとんでもない事件ゆえに
先王たちと同じ玉陵には入れない
…ということか?と書きましたが、
講師の上里隆史さん曰く、
やっぱりここ浦添グスクの出身でもあった尚寧自身の希望によるのでは、
ということです。
(尚寧がここ浦添ようどれの修復作業もさせていますしね)
相変わらず、イマイチ威厳のない
浦添ようどれのシーサー(笑)
昔のシーサーって面白い表情なんですよねー。
この浦添ようどれは復元されたものです。
先の記事で書いた、浦添グスク大規模復元工事の一環。
↑の写真が戦後の浦添ようどれ。
散々たる有様です
(でも岩穴にあった棺の類は無事だったらしいです)
復元のための発掘作業。
実は、この浦添ようどれ、もともと誰のものかといえば、
琉球王、尚一族のものです。
尚の家系はもちろんまだまだ続いており、
もう亡くなられましたが、22代当主、尚 裕さんより
浦添市に無償贈与されたのだそうです。
↑雨粒が邪魔ですが、読めますか?
尚 裕さんは、他にも尚家の様々な資料、美術品などを
沖縄県に寄付してくださっています。
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5月22日にあった、手ぬぐいイベント、
「手ぬぐい日和」
このイベントの企画で、
「手ぬぐい自慢大会」なるものがありました。
主催者さんとその仲間達がもちよった手ぬぐいが展示されていて、
気に入った1枚を選んで投票するというもの。
実は、この企画、
人気NO1に選ばれた手ぬぐいに投票してくれた人の中から、
注染で、あ、間違えた、抽選で1名様に手ぬぐいがプレゼント!
というわけで、
なんと!!
まさかの当選してしまいました!!
(ありがとうございます!!)
くじ運、相当悪いのに、よく当たったな~。
(決して競争率は低くないのですが)
で、届いた手ぬぐいがこちら。
Docattyさんのオリジナル型染め手ぬぐい。
注染ではないです。
抜染っぽい。
小さな魚達の小紋。
地の藤色が綺麗で涼しげです♪
スイミー思い出しますね…。
沖縄、梅雨明けしました!!
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薩摩侵攻史跡めぐり、
浦添グスクのその2です。
(その1はこちらから)
浦添グスクは首里に王都を移す前の、
重要なグスクの1つではありますが、
城壁や遺構などはあまり残されておらず、
だだ広い敷地のみ、という印象。
(ちなみに、世界遺産認定されたグスクではありません)
わずかに残された、正殿の遺構。
案内板なんかもないので、
言われないと気づかない
で、この正殿跡のすぐ後ろは、
実はこのような崖になっております。
正殿のすぐ背後がこのような地形であるのはおかしいのですが、
これは後の世に、地形をごっそり削ってしまった故。
今でこそ、琉球の独特な文化遺産を残そうという意識がウチナンチュにもありますが、
昔はそれどころじゃなかったんでしょうね。
ウチナンチュの手によって壊された沖縄の文化遺産も数多くあり、
価値を見出し守ろうとするのは外から来た内地人(ないちゃー)だったり
…するんですよね。
日々の暮らしに余裕ができてはじめて、
美術や芸術、文化財に気を回せるものですから、
仕方がなかった、とも思えますが…。
さて、遺構は正殿の他にももう少し残っておりました。
尚寧が幼きを過ごした屋敷跡。
薩摩侵攻の時に琉球王だった尚寧王は
ここ、浦添グスクの生まれ。
若くして(20代中頃)王として首里に上るまでは
ここ浦添グスクですごしたと言われています。
ここからは、お酒やキセルも発掘されており、
尚寧もタバコをふかしつつ、いいあんべ~に暮らしていた様子が
伺え知れます。
王となったとたん、
王府での様々な確執や内部争い、
そして薩摩侵攻という大事件に翻弄された苦労人・尚寧王ですが、
浦添グスクにいたときは
それなりに幸せに、安寧にすごしていたのでしょうね。
浦添グスクはただ今復元作業の真っ只中。
ただ、予定通りには進んでいなくて遅れ気味なのだとか。
完成すると首里城並みの大規模な復元史跡となるようですが、
完全復元となると…あの正殿後ろの崖はどうするんだ、
ということで、前途多難な様子。
でも、首里城に次ぐ重要なグスクの1つですから、
当時の威厳を取り戻せるといいですね。
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