はーい。
では、薩摩侵攻史跡めぐり、再開です。
今帰仁城趾を後にして、
間にランチタイム兼休憩を挟み、
南下していきます。
向かった先は、読谷村の大湾・渡具地の港。
(過去記事でも紹介済み。→テンペスト行脚とこいのぼりフェスタ)
運天港から本島上陸を果たした薩摩軍。
周辺の村々と今帰仁城を落とし、
王都・首里を目指して南下しますが、
陸路でいくよりも海路のほうが早い。
内部の派閥によりいざこざがあった薩摩は
ゆっくりしてはいられない、
ということで海路で南下。
しかし、主要港の那覇港は首里軍でしっかり防御され、
安易に入れる状態ではなかった。
(琉球側にも軍隊がありました。薩摩を迎え撃ち戦ってもいます)
そこで、那覇にほど近い、中部の読谷村、大湾・渡具地港から
再上陸を果たすのです。
↑の写真は、大湾・渡具地の海岸から南を望むの図。すぐ向こう側に浦添、那覇が見える。
ここは、那覇にもほど近く、
また比謝川の河口にあたり真水が入ってくる場所であったため
船にとってはやっかいな珊瑚礁が発達しておらず、そこそこ水深もあった港だったのです。
首里王府はこの読谷からの上陸は予想外だったらしく、
まんまと再上陸を許してしました。
そして、薩摩軍は数隻をそのまま那覇港にさしむけ、
同時に陸路からも兵を仕向けるのです。
きっとこの水平線に、薩摩軍の軍艦がずらりと並んでいたことでしょう。
ちなみに、ここ渡具地は太平洋戦争の時、
米軍が沖縄本島上陸をした場所でもあります。
薩摩軍と米軍。
ああ、なんという因果か。
晴れてる日はすごいきれいです。
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