がじゅまるの樹の下で。

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月清のこと

2012年11月05日 | ・琉球史散策/第二尚氏

 

 

初代聞得大君で、金丸とオギヤカの娘、月清。

月清とは号で、童名は音智殿茂金おとちとのもいかね。
(10回読んで響きでインプットしよう(笑))

琉球王国の黄金時代を築いたとされる尚真王のきょうだいにあたるのですが、
彼女の生年は不明なので尚真の妹なのか、姉なのかは諸説あります。

尚真がオギヤカ二十歳の時の子どもなので、
確かにどちらもあり得ますね。

 

さて、13歳だった兄(弟?)である尚真の即位は不思議な形で決定します。

おさらい↓

尚真は世子でしたが幼年だったため、
叔父である尚宣威が即位することになっていました。

しかし即位の儀式の時
即位を祝福するはずの神女たちは
尚宣威に背を向け、尚真に向かって祝福の唄を謳ったのです。

その神託に従い尚宣威は国王即位を辞退し、
尚真が13歳にして王として即位します。

 

尚宣威を退位に追い立てた神女の力。

当時は祭政一致の時代。

神事を司る神女の力は絶対のものでした。

この出来事は我が息子を一刻も早く王にと望んだ
母であるオギヤカの陰謀とも言われています。

 

で、尚宣威の即位式で託宣を下した神女は、
オギヤカの娘、月清だったのではないだろうか?

というのは「新 琉球王統史シリーズ」の与並岳生さんの推測。

月清が尚真の姉だったとするとだいたい15~16歳。

おそらく13歳で一人前とされていた女子の世界では
神女として、そして先王である尚円(金丸)の娘として
相応の高い地位にいたのではないか、とのこと。

だとすると神女たちのリーダー、
もしくは象徴的なポジションになっていても不思議ではありません。

 

さらに劇作家の亀島靖さんも妹説をとりつつ、
託宣は月清が担った…としています。

オギヤカの指示にしたがってね。

妹だとしたら、10~12歳くらいかなぁ。

 

…というわけで、描いてみたの図↑

ちびキャラで描いたつもりだったけど、
ただの幼稚園児のようになってしまった

 

プライド高そうなキツめのイメージのあるTHE女帝・オギヤカに対して
月清は正反対で物静かであまり自我を表に出さないタイプのイメージ。

口数も少なめで自分から他人ともあまり関わらず
神の世界で自己を捧げきったような俗世間の匂いのしないヒト。

(※ワタシ個人のイメージです)

彼女は結婚の記録もなかったはず。

 

さて、話しを戻して彼女が(?)尚宣威の即位のときに
尚真を祝福して謳ったとされる唄がこれ。

 

首里ヲハルテダコウガ

ヲモヒ子ノアソビ

ミモノアソビ

ナヨレバミモノ

(イラスト上のセリフ、一カ所間違いました。これが正しいです)

 

≪訳≫

首里にいらっしゃる国王の

愛する子の神遊びは

見事な神遊びは

拍子をもって舞えば見事である

 

『訳注 中山世鑑』(諸見友重訳注)によれば、

愛する子とは尚円の子、つまり尚真か月清のこと。
神遊びは通常女子が行うものだから月清のことをさしている。
王女・月清を賛美する唄を謳ったからと言って
それがなぜ尚宣威が神に拒否されたと(中山世鑑が)記述しているのか
意味が理解しがたい

と書いています。

 

だよねー。


賢雄が謳ったオモロなんかもそうだけどさ。
(いまいちその場面とオモロの内容が一致しない

オモロがそれだけ奥深いってことなのか?

 

しかし託宣を月清が下したとしたら
自画自賛のオモロを謳ったってことになるね~。

オモロの性格上自画自賛の自作オモロはあり得ないようなのですが…。

うーん、そこんところどうなんだろう

 

ワタシ個人的には「託宣を下したのは月清」はどうかなぁ…と。

でも謳ったのはノロたちで、月清は尚宣威に背を向け尚真を祝福する舞を踊った
とかだったらアリかな?

設定としてはこっちのほうがオモシロイけどね。

 

[つづく]

 


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