がじゅまるの樹の下で。

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尚宣威王の秘密

2018年07月15日 | ・和心な本、琉球な本

 

第二尚氏2代国王・尚宣威。

金丸(尚円)の弟で、ともに伊是名を脱出。
金丸の死後、世子である尚真がまだ幼少だったことから
暫定的に王位につきます。

しかし、半年後の即位式で神に拒否され失脚。
越来グスクに隠居し、失意のうちに亡くなったと言われています。

このエピソードからも
同情を感じざるを得ない人物の一人です。

『中山世鑑』などでも神に忌避された理由として
何も尚宣威に徳がなくて神に憎まれたのではなく、
ただただ尚真の徳が高かっただけなのだ(意訳)
と尚宣威について決して悪くは述べていません。

人間的にも優しい人、素直な人、まじめな人
というようなイメージがあります。
(『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』でもそんな感じで描きました)

 

みなさんはいかがでしょうか。

 

 

さて、
そんな尚宣威のイメージをがらりと覆す
ある口伝があったのでご紹介しましょう。

 

琉球王国三大妃 先祖代々伝わって来た琉球王国継続継承の裏方

『琉球王国三大妃』
(金城昌永著/新星出版/2017)

 

この本は筆者が母から聞いたという、
寵一族(大宗良壁上間親方長胤)に伝わる
口伝言説を記録したものです。

通説と違うこともあろうでしょうがご了承ご理解ください
と筆者も断り書きしているので
一つの伝承として読んでみましょう。
(私個人的には口伝伝承大歓迎

 

それでは要約。

 

金丸と、伊是名からの妻、その子供たち、
そして宣威は西原の内間で一緒に暮らしていた。

そのうち、例のクーデターが起き、
金丸は尚円として王に就くことになる。

その際に結婚したのがオギヤカ(※)

※尚円の王位は7年なので、
尚真が即位した時に12(13)歳だったことを考えると
即位してから結婚というのは本当は計算が合わないのですが

 

尚円はオギヤカを愛で、首里に在中していることもあり
内間の家族を顧みることが減っていった。

 

そんな状況をいいことに、
尚宣威は一緒に住んでいた金丸の娘に手を出します(!)

 

そして生まれたのが、
あの居仁と朝易(!!)。

 

しかしそれが兄(金丸)にバレると大変!
(いや、2人も生まれてるんだから普通にバレるだろ!)

 

そこで宣威が取った行動とは。

一緒に住んでいた金丸の妻(元々の妻)と、
自分が手を出した金丸の娘を暗殺(!!!)

 

そして、
それをオギヤカのせいだとします。

 

かねてから王位を狙っていた宣威
そうすることでオギヤカの子(尚真)の王位継承権を失わせ、
自分が次の王位につく…という算段だったのだとか。

 

しかし、そのことを知ったオギヤカは激怒!!

そのうち自分や尚真などの命も狙われるのでは…と
尚円に相談。

敵討ちの機会を待ちます。

 

そして、その敵討ちというのが、
例の即位式での神からの忌避というもの。

オギヤカは見事、金丸の元妻子の仇を討ち、
自らへの危険も除去することをに成功した…

 

 

…って、
いやいやいや、これ敵討ちになってるか?

 

うむ。

しかし、この本によると、
オギヤカは、


心が純真で
日々子育てと神人の取りまとめをし、
夫(尚円)の健康をいつも気づかい
心が広くて優しい妃

だったようなので、
敵討ちというのもこれくらいで良かったのでしょうかね…

 

でもそう考えると
尚真の妻に居仁を迎えた…というのも
これまでと少しちがった動機が見えてくるの
これはこれで新鮮ですね。

 

その他にもいろいろ書かれてるんですが
(オギヤカ以外に尚元王妃・尚久王妃。どちらかというとそっちがメイン
ちょっとこの本の文章、すごい読みにくくて
(主語述語とか句読点とか言い回しとか色々)

 

今回は尚宣威の部分を要約アレンジでお伝えしましたが
興味ある方は直接読んでみてください。



 

なお、尚宣威のお墓は沖縄市にあります

…が、1979年に行われた学術調査では
その証拠は見つかっていません。
(※ただし子孫の向姓・湧川門中はここを尚宣威の墓としてあがめています)

尚宣威の墓はこことは別に
沖縄市の津嘉山森という説や
北谷グスクだという記録もあるようです。

(参「尚宣威王の墓/沖縄市教育委員会/1980」)


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