国の重要無形文化財「組踊」
首里城中秋の宴では、その組踊を堪能することができます。
この日の演目は「万歳敵討」
田里朝直の作。
(去年は「二童敵討」でした)
組踊は歌舞伎や能に影響を受けてできた伝統芸能。
よって独特の台詞回しや動き、演出があります。
前もっての解説が必要不可欠ということで、
演目前に司会からあらすじの紹介があり、
パンフレットにもとても分かりやすいあらすじマンガがついてます。
では、その解説も参考にしながら、
「万歳敵討」をご紹介。
(※台詞などは勝手にアレンジしてます~)
主人公。
謝名の子。
父が首里の高平良御鎖に闇討ちにされ良馬を奪われてしまったので
仇をうちたいと思っていた。
でも、なかなかチャンスがつかめない。
弟にも手伝ってもらおう。
「仏門に入ったわが身ではありますが、分かりました。
やりましょう兄上」
仇相手である高平良御鎖登場。
まずは自己紹介。
一行は浜下りにやってきた。
↑の従者が持ってる黒い物体。
浜下りだから「重箱」の類とおもいきや、椅子だった!(笑)
仇討ちに出発する兄弟。
「ヤツはどこだ?」
そのころ、高平良御鎖一行は浜下りを楽しんでいた。
「ううむ。天気もよく絶好の浜下り日和ではないか」
娘達は踊り、機嫌上場。
仇を探している所に、
たまたま通りかかった通行人。
この人から高平良御鎖の居場所を聞き出した兄弟。
「なに!?ヤツがここにいるのか!?」
「兄上、チャンスです!」
「うむ。京太郎(旅芸人)になりすまして近づこう」
兄弟は踊りながら、高平良御鎖一向に近づいた。
「これはこれは、高貴なお方。我ら旅芸人、ひとつ踊ってみせましょう」
芸を見せ、一行は大喜び。
「…むむっ…?あやつらどこか見覚えがある…」
扇で顔を隠し、覗き見ながら2人の様子を伺う高平良御鎖。
「…まさか…!?」
勘付いた高平良御鎖は一行を先に帰らせます。
「今だ!時が来た!!」
剣を抜き、襲い掛かる兄弟。
「父上の敵!覚悟っ!!」
「でやぁ~~~~~!!!!」
(※こんな雄たけびはありません(笑))
「あ~れ~~~~」
(※繰り返しますが、台詞はアレンジしてます(笑))
そして、
見事敵討ちを果たしましたとさ。
めでたし、めでたし。
…というなんとも単純な話です。
「二童敵討」ともそっくりですよねー。
衣装も話も。
中止になった初日の組踊は「女物狂」だったので
こっちも見たかったです。
またの機会までおあずけですね。
この記事の写真はコンデジとデジイチと混合でした。
どれがどれだか分かるかな。
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首里城中秋の宴2010、
コンデジで撮ったバージョンです。
(デジイチバージョンはこちら)
「下り口説(くだいくどぅち)」
ありましたありました
(玉城流煌扇会)
デジイチ写真ともかぶるけど、
「本貫花」
優雅な舞にほれぼれ。
…が、最後にこの花をぼたっと落としたのに
ドキッ
としました。
愛しい人に花を捧げるっていう踊りのはずだが、
意味深すぎる…。
なんで?
(これも宿題)
国王・王妃選考会の様子。
1人ずつ自己PRなどもあって、
一芸する人、笑いをとる人、緊張で固まる人、様々でした(笑)
見てるこっちが緊張するさぁ~。
王妃候補はうなじ審査もありました(笑)
うん。
重要ね(笑)
組踊(後に記事にします)の演目の後、
最終発表。
中央にいる審査委員長は尚 弘子さん。
尚一族(!)
前国王・王妃も正殿から登場。
選ばれた二人に、
国王・王妃の衣装が着せられます。
今回の国王、体育系のガタイのいい兄ちゃんです。
(ワタシの予想は別の人だったんだけど)
たくましい国王様になってくれそうです。
最終演目は琉舞「醜童(しゅんどう)」
かめんをつけて、美童と醜童が踊りあう。
コミカルな踊りが笑いをさそいました。
「あっしぇ!ぬーそ~が!みんな待っとんど~」
「だからよぉ~。じゃあ、そろそろ行こうねぇ~」
(組踊編につづく)
ちなみにこっちもコンデジ撮影でした。
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昨日、首里城で行われた中秋の宴。
中秋の宴に関しては去年の記事を参考にしていただくことにして、
今回は説明は最小限で、写真を一挙ご紹介します。
コンデジとデジイチと、両方で撮ったんですが、
(レンズ替えるの面倒くさいので)
まずはズームレンズで撮ったデジイチ写真より。
最初の演目は琉舞「四つ竹」
(玉城流煌扇会)
鮮やかな色と華やかな衣装を身に纏い、
これぞ琉球という代表的な舞踊。
地謡(じかた)の方々。
(野村流音楽協会)
ハチマチの形が気になる…。
「上り口説(ぬぶいくどぅち)」
(安座間本流清子之会)
なぜか、琉舞の衣装の家紋はこれが多い。
なにかしらの理由があるはずだけど…。
調べてみなきゃね。
「下り口説(くだいくどぅち)」もあったけど
写真ぶれぶれにつき没…。
コンデジのほうにマシなの写ってるかな?
「本貫花(むとぅぬちばな)」
(安座間本流清子之会)
白地の紅型衣装が好きです。
「四つ竹」のような黄色も好きです。
◆おまけ◆
今期の琉球国王・王妃選考のオーディションで、
空手を披露した本部流の子孫の方。
披露してくれた空手の型、
さすがにかっこよかったです
(コンデジ編につづく)
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「臣を以って君を奪ふは忠なるか。下を持って上に叛くは義なるか。
爾(なんじ)等、宜しく首里に帰りて、貴族賢徳の人を択びて君と成すべし」
これは第2尚氏王統へのクーデターの際、
金丸派が金丸を次の王にすべく迎えにいったときに
金丸が発した台詞。
クーデターを嘆き、
自分(金丸)ではなく、首里でふさわしい人を選んで王にせよ
と、王位を辞退しているわけですね。
さてさて、
「貴族賢徳の人を択びて」
だれでしょう。
そもそも29歳で謎の死を遂げた7代王・尚徳は
三男で、しかも側室腹でもあり、
第一王位継承者ではありませんでした。
では、なぜ尚徳が王位を継いだのかというと、
色々と内部も画策もあっただろうと思われますが、
一般的なのは、尚泰久の正室の子である長男・次男は
護佐丸の孫
であったから、ということ。
1458年、
護佐丸が謀反を企てているという阿麻和利の讒言を信じた王府は
阿麻和利にこれを討たせますが、
同じ年、勝連を脱出してきた百十踏揚・鬼大城の
「阿麻和利が首里を狙っている」
との進言に今度は阿麻和利を討ちます。
その際、
「ここにおいて、王、大いに之を追悔し、ついに夏居数(鬼大城)等に命じて阿麻和利を征滅せしむ。
これよりの後、護佐丸の丹心中外に明らかなり」
(「球陽」)
つまりは「護佐丸を討ったのは阿麻和利にたぶらかされていた故で間違いであった」
と後悔しここに忠臣・護佐丸が回復するように見えるわけです、が。
さて、ではなぜ護佐丸の孫である2人の世子が跡継ぎに認められず、
尚徳が死んだ後も、金丸はこの2人のことを出さなかったのでしょうネ。
護佐丸の孫だから、という理由では
「護佐丸を討ったのは間違いだった」
という尚泰久の嘆きも意味をなさなくなります。
それとも護佐丸の名誉回復はもっと後の時代であって
この時期はまだ謀反人・護佐丸であったのでしょうか。
ってことは、すぐに阿麻和利を討った
という王府の判断もちょっと怪しくなってきますよね~。
それは阿麻和利が問答無用で首里を攻めてきたから?
では、少なくともこの時代、
護佐丸=忠臣、阿麻和利=逆賊ではなく、
王府にとっては阿麻和利も護佐丸も同じ謀反人として扱っていた
いうことになりますな。
護佐丸の孫である2人の世子を省みていないとなるとネ。
王府にとって、
護佐丸も阿麻和利も敵だった、と。
阿麻和利が攻めてきたことで、
「阿麻和利にだまされた!護佐丸は悪くなかった!」
って気づいたのであれば、
2人の世子を遠ざけるばかりか、
むしろ懺悔もこめて優遇すべきでしょう。
三男である尚徳の即位については
もしかしたら全く別の思惑があってのことだとしても、
尚徳の死後にも、一切2人の兄の存在が見えないのは…
…考えちゃいますよねぇ…策士、金丸さん。
どうでしょう。
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琉球史跡関連記事は同ブログ、『テンペストを読ム』『百十踏揚を読ム』『薩摩侵攻史跡巡り』カテゴリにも多数ございます。
首里城中秋の宴(1日目)が台風11号の影響により中止になりました~
一応、午前中で電話した段階では
「やる予定」とのことでしたが、
暴風域ではないにしろ、風や雨も降ってたので
こりゃ無理かな…と踏んでました。
たとえできたにしても、
去年みたいな月が照らすようなグッドコンディションじゃないだろう、
ということで、早くも今日の分はあきらめて、
明日の宴に行くことにしてました。
と、いうわけで、今日は読書ターイム!
「護佐丸伝」とりあえず、読みました。
この本は、大正・昭和初期にかけて活躍した
沖縄学の父、伊波 普猷が提唱した「英雄・阿麻和利論」と、
その論に追従した様々な見方・意見、
そしてその対比で論じられた護佐丸批判(風評)について
意見すべく書かれた本。
護佐丸のみならず、瞬天王統から第一尚氏滅亡までの
かなり詳しい説明や紹介も入っています。
また、かなり色々な資料が網羅されていて、
王府編纂の正史である
「中山世鑑」「中山世譜」「球陽」はもちろん、
護佐丸の子孫が編纂した
「毛氏家譜」「毛氏先祖由来記」「異本毛氏先祖由来記」などからの抜粋もあり
色々と読み比べることができて勉強になりました。
……知ってはいたけど、
改めて、阿麻和利は散々な言われようだなぁ…
「徳も義もない」
「口を開けば黒も白という」
「欲深い」
「君を殺して王座を奪おうともくろんでいた」
「いばりくさって」
「武芸に秀でていたが、諸按司をゴミのように見下し」
もう、こんなん読んだら、阿麻和利、
純朴なさわやか好青年に描いてる場合じゃないよね(笑)
↑こんなんやん
で、護佐丸批判と英雄阿麻和利論は一対である、ということで、
伊波 普猷の「阿麻和利考」をはじめ、
英雄阿麻和利論の諸説にことごとく疑問を呈していっています。
読んでみたら、ははぁ、なるほど、確かに…
と思えるものも多く、結構興味深かったです。
伊波 普猷の「阿麻和利考」、
結構感情的見解も多いですね(笑)
(引用部分だけを読んだ感想です。本来なら全部を読んで感想を述べるべきですが…)
こりゃ、護佐丸伝筆者に分がある感じ。
むむむ…。
阿麻和利は護佐丸や大城賢勇と違って資料がなさ過ぎるから、
さまざまな阿麻和利英雄説、
特に「護佐丸・阿麻和利の乱」の解釈については
「証拠を示せ」
「それはたんなる憶測にすぎない」
って斬られたらそれまでだー!(´Д`;)
英雄・護佐丸像については、
たくさんの文献があるので、それを武器にできますが、
英雄・阿麻和利像は「おもろ」にしか頼れない分、
分が悪いです(笑)
(勝連がいかに繁栄していたかは出土品から証明できますが、阿麻和利本人の人物像となるとね…)
しかも、「おもろさうし」の性格って神唱だし。
でも、筆者も阿麻和利批判がしたいわけではなく、
おもろさうしで讃えられているような阿麻和利も認め、
若くして(20~35歳)護佐丸と対等の力を持ったことに
やはりそうとうな人物であっただろうとしつつ、
でも正史が描いているような阿麻和利象も否定できないだろう
ということでした。
もしかしたら、晩年は変わってしまったかもしれいない、
みたいな。
護佐丸は15歳前後で山田按司になったらしいよ(!)という訳で10代半ばの護佐丸。
ワタシ的にちょっとたれ目で口がでかい(もちろん根拠なし)
まあ、その論証も読んでて納得もいったので文句はありませんが、
でも、護佐丸賛美はちょっと贔屓すぎる意見もあるんじゃなーい?(笑)
北山戦で、本部平原懐柔の作戦や交渉は
尚巴志でなく護佐丸の知略でなかったか、
とかサ。
それだって憶測じゃーん!(`ε´)
って時々ツッコミが入りましたよ。
あっ、別にワタシは護佐丸批判の立場じゃないですよ。
護佐丸も阿麻和利も偉大な人物だったと思います。
よって、どっちが悪いとか英雄とかじゃなくて、
両者引き分けーって感じ。
ちなみに、大好きな「肝高の阿麻和利」の舞台ですが、
この舞台の結末はフィクションですよー。
舞台では首里軍に抵抗せず、阿麻和利1人死に絶えて勝連を守りますが、
実際には勝連グスクで壮絶な戦いがあったはずだし、
首里城に実際に攻めに行ってますしね。
それにしても、これらの様々な論や説や批判もぜーんぶひっくるめて、
小説「百十踏揚」(与並岳生著)は本当に良くできた話だと思います。
やっぱり、この小説のような人物像を信じたい
(あながちありえないことじゃないもの)
和々なのでした。
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テンペスト(池上永一著)文庫も、
売り出し上々のようですね。
来週は文庫の2巻も発売ですね。(毎月25日)
個人的には2巻の部分が1番面白くなってくるところだと思います。
(同時に嫌なヤツも出てきますが)
文庫&舞台をきっかけに
新たな読者が増えるといいですね~
さて、いつかは記事にしようと思ってたのですが、
場合によってはヒクかもしれない、
ワタシのテンペストおたくっぷりを披露しましょう!(笑)
勝手に「テンペスト年表」です。
過去記事にも何度か書きましたが、
最初読んだとき、主人公がいつの間にか歳をとっていたことに驚いて、
2度目を読んだときに、史実とか歳月に関する記述をチェックしながら読んだんですね。
で、それをまとめたのが
約2年前に作った和々特製テンペスト年表です(笑) ATTENTION
ネタバレもあるので、
文庫で読み始めたばっかり!って人はご注意くださいネ。
もちろん、完全にあってるかどうかは不明です。
…が、だいたいこんな感じだと思います。
で、赤字の「ベッテルハイム在琉」のところ、
テンペストの記述と史実とにかなりズレがあります。
以前書いた「真玉橋改修」も年代があってないので
こういったずれ(フィクション)はあるかもしれません。
(もしくは史実のほうに、別の説があるのか)
…ま、エンターテーメント小説ですから。
そこのところをふまえていただいて
角川書店さんも、
文庫4ヶ月連続発売に、舞台化にと
大掛かりな広告をだしたり、売り出しに力を入れているようですしね。
本屋さんでも、琉装の仲間由紀恵のポスターが、
どーんっ!て貼ってるのよく見かけます。
…琉球史ブーム、
そのうちどんって来るかもしれませんよ~( ´艸`)ププッ
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リクエストにつき、
4コマキャラじゃないバージョンの阿麻和利。
小説「百十踏揚」(与並岳生著)より、
阿麻和利と百十踏揚初対面のシーンから☆(笑)
初対面のシーン、
百十踏揚が阿麻和利に嫁入りするために
勝連グスクに入ったところなんですが、
悪鬼とも噂される阿麻和利と全く違ったことに驚く百十踏揚と、
百十踏揚の美しさと婿としての立場に照れる阿麻和利。
「お待ち申しておった。……遠路、ご苦労でござった」
阿麻和利は、また同じことを言った。
なんだか、言葉に詰まったかのような、ちぐはぐな言い方だった。
踏揚は急に緊張の糸が切れ、
フッ……とおかしくさえあった。
「百十踏揚 225-」(与並岳生著/新星出版)
きゃっ阿麻和利純朴
なんか、
いいです(笑)
ところで、ここのところ続いている古琉球落書きですが、
こーゆー、いわゆるマンガ絵を続けて描くのって
…たぶん10年近くぶりかもしれません。
かーなーりー、描いてなかったので。
(マンガ絵じゃない絵はありましたけどね)
なので、自分でだいぶ懐かしい感じ(^ε^)
コドモタチにやられた(触発された)感じです(笑)
琉球史、コドモタチの間で大ブーム中。
尚家伝承の宝物写真集をきゃっきゃ言いながら
興味津々で見るコドモが、いったいどれだけいるのやら(笑)
琉球歴史・文化推進実行委員会、支部長としては
任務完了って所でしょうか(笑)
連休には台風くるなー!( `Д´)
今日の「首里城・中秋の宴」大丈夫かな~?
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