

Nov.19(Sun.)
■今日という日。
朝から粛々と台本を書く。昼食を挟んで、午後の早い時間に完成。送信。
「友達に機関銃を貸しに行く」
という謎の言葉を残して出かけていった家人(大)も同じ頃に帰宅する。
暖かいのでベランダで読書。
そのまま20分ほどうたた寝してしまう。
駅前のいつものカフェで友人の松永玲子と会う。
彼女が出演していた舞台の“舞台裏”について話を聞く。
そろそろ池袋まで芝居を観に行く時間だと思い、店を出ようとすると、
松永さんも同じ回を観るという。
あれ、明日行くんじゃなかったんだっけ。
僕が誤解していたのか、それとも向こうが言葉足らずだったのか。
というわけで、一緒に池袋の東京芸術劇場へ。
シアターイーストで劇壇ガルバ公演『砂の国の遠い声』を観劇(26)ふたたび。
座長の山崎一さんにチケットをお願いした際、
行きたい日の候補が2日あって、客席の状況に合わせますと連絡したところ、
1日は招待にするので2回観に来ればいいと言って頂いたのだ。
金曜日に観た時は、どうしても30年前の初演と重ね合わせながら観てしまったが、
今回は純粋に「現在」として観ることが出来た。
そこで痛感したのは、演じるのがなんと難しい戯曲かということだ。
例えば、会話の途中で、あるいは、会話が終わった後しばらくおいて、
「ふと思い出す」台詞が何度も出てくる。
日常ではしばしばあることだが、演技でこれを表現するのはとても難しい。
わざとらしく見えてしまう。それをいかに自然に演じるか。
今回の出演者も苦労したのではないか。
アフタートークに劇中音楽を作った桜井圭介さんが出るので、
観劇前に初演の音楽を聴いていった。
再演用の新たに作った音楽とのあいだには大きな差異がある。
音楽のこの違いも、全体の印象の差異に繋がっている。
良い悪いではなく、あくまで「差異」として。
そういえば、初演では、小さなスピーカーを舞台上だけではなく、客席の何箇所に仕込んだ。
そこから音楽を小さな音量で流す。
どこから音楽が聴こえてくるのかわからない。そんな演出だった。
唯一、最後に傘をさした3人の男が降る砂の中を去っていく、
そのシーンで「砂が降る」という曲だけが大きな音量で流れたと記憶している。

観劇後、再び松永さんと世田谷に戻る。
豪徳寺の『しおて』でひさしぶりに一献。
そういえば、松永さんと初めて会ったのは、
『砂の国』初演から数カ月後、遊園地再生事業団のオーディションだった。
その時すでにナイロン100℃に合格していたのだが、なぜか受けにきたのだ。
なんかスゴくえらそうな態度だったことは覚えている。なつかしい話だ。
『カーテンコール/筒井康隆』(39)読了。
1日1篇ずつ読んでいたが、ついに読み終えてしまった。
『薬屋のひとりごと』第7話を観る。