山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

野山の植物素材のかご 作品展 阿久比

2010-11-20 | 植物利用
かご作りには、アケビ、ブドウ、フジなどのつるがよく使われますが、
それ以外のものも籠にできます。
あっと驚く材料で作った籠のグループ展が
愛知県知多郡阿久比町で開催されます。

11月25日~29日まで場所は名鉄河和線阿久比駅近く
0569-48-8939アートギャラリーあぐい

私が前回行ったときには、つるのほか、サワグルミ、サクラなどの木の皮、黒米のわらなどを使ったものがありました。
ベーシックな編み方だけでなく、いろいろな工夫がされていました。
どれもとてもおしゃれでした。購入もできると思います。
私の知人が制作に参加しています。
ぜひおでかけください。

秋空広がる 畑日和

2010-11-20 | 山里
今日は一日執筆に励むつもりだったけど、あまりに天気がよく暖かいので、
こんな日にちょっとでも畑の片づけをしておこうと坂折に出かけました。
これだけの暖かいいい日は、今年これで最後かもしれないし
そんな日の紅葉も見納めでしょう。

うちのイチョウはほとんど散ってしまいました。

棚田に向かって車を走らせていると、リュックをしょって
一人とぼとぼと棚田に向かう女子1名。
そういう物好きな人はどんな人かと徐行して観察したら、E子でした。
E子は、半年ほど前に、マムシ酒の原料となる生きたマムシを
不動滝やさいの会で仕入れたつわものです。
今日は仕込んだマムシ酒の回収に来たのだとか。

このブログを「マムシ酒のつくり方」で検索して訪れる人があまりに多いので
先日ちょっと私も調べていたら
マムシを4ヶ月焼酎に漬けて、飲もうと思ったらマムシが飛び出してきて
(つまりまだ生きていて)かまれた
という話を発見。
E子にも注意をうながしておきました。
E子、アリエナイって顔で、笑うのみ。

しかしながらこんなところでE子を拾ったのは渡りに舟
畑をしっかり手伝ってもらい、はかどってラッキーです。
2人でごそごそしていたら、畑の地主のユキコさんもやってきて
なんだか楽しい時間。
今日の収穫は笑っちゃうようなショウガとサツマイモとササゲ豆でした。
(……ような、じゃなくて、実際E子笑ってました。
 『月刊現代農業』を作ってる出版社に勤めているし)
ユキコさんはやさしいので、いいのが採れたね、よかったね、
とまじめな顔して言ってくれます。
たぶん心の中ではクスクスしています。


棚田はすっかりお米も刈り取られて整然と掃除されているかのような光景でした。
そして、ユキコさんの菜園は相変わらず広くて豊かです。

帰り際にもう一人の棚田の知人のマチコさんやそのだんなさんにも会えたし
隣の家の人が野菜を持ってきてくれるし
(棚田とは関係ないです、ハイ。隣に住んでいながら、3週間ぶりぐらいで顔を見た)
今日は人とのつながりのありがたさをしみじみと感じる一日でありました。

  なんかほんとの日記風な今日のブログでした。



山里のやさしい人たち

2010-11-20 | 山里
10日ほどぐずぐずうつうつしていたら、いつの間にか外は冬支度の景色。
紅葉したドウダンツツジやイチョウも散り始めています。
今年も玄関には赤い灯りがついたように紅葉を透かした光が入ってきています。
家の周りの空気全部が赤く染まっているようです。
桜の木は完全に葉を落として白い枝を光らせ
逆光の赤い並木と銀色のススキが一緒にゆれていたりすると
それはもうきれいなものです。

こういう風景、季節の劇的な移り変わりを
南国の人たちは知ることがないのでしょうね。
日本はほんとに美しい国です。


一昨日は久しぶりに中野方のナオシさんユキコさんと会う。
どうしてあんなにやさしい人たちなのでしょう。
これといった事件があるわけでもないのに、そのやさしさに触れると
なんだか涙っぽくなってしまう(年ですねぇ……)。

今の私、あるいは若めの人はみな、お年寄りに支えられて生きているのだと思います。
都市の人が、食料や水や空気といったことで山里の人に支えられているように。
もちろん年金を払っているのは若めの人であり、
もらっているのはお年寄りの人たちですが
あの人たちがいなくなったら、私は何を食べて生きていけばいいのだろうと思ってしまう。
そして、精神的にも、あのようなやさしさで包んでくれる人たちがいるのだろうか。

ナオシさんの作ったお米とヒラタケをもらい、
ユキコさんの作った大根とカブと里芋をもらって
帰ってきました。
ナオシさんはいつまでお米を作ってくれるのだろう。

ユキコさんは、「来年は私の作ったものをあげるから」と言う。私が自分の食料を作るために畑をしていると信じています。「ときどき私の畑を手伝いにいらっしゃい、それでいいから」と。立場逆ではないのか。
いい年をして、お年寄りに依存して生きている自分が情けなくなります。