先日、日本福祉大学の千頭先生のお誘いがあり、福祉大の学生さんと、山林仲間のキコリンとで、中津川市加子母の木曽ヒノキ備林に行ってきました。案内は加子母の役場の内木さんです。木曽赤沢のヒノキ林は日本三大美林の一つですが、ここは尾根をへだてて赤沢の反対側になります。美林と書かないのは、ここがかつて神宮備林と呼ばれた、伊勢神宮の造営のための用材を得るところだからです。国有林なので、神宮備林というと宗教がからみ問題があるそうです。
ここを訪れるのは4回目になります。
初めの2回はちょうど10年前で、その頃は森林の見方が何もわかっていなかったので、面白さが分かりませんでした。
3回目は去年の11月です。ちょうど神宮の用材(ご神木)を伐り出した年で、まだ御樋代木という大木が横たわっていました。ご神体を入れる器を作るための材です。
ここのヒノキは多くが樹齢300~400年で、直径は70~80cmです。これが、20mぐらいの間隔で林立し、その間にもっと小さなヒノキがたくさん生えています。天然のヒノキ林というのは自然にこのように間が開くようです。
生えているヒノキはとにかく「元気いっぱい」という感じ。自然の木のエネルギーに満ちあふれています。枝も生き生きしてそれぞれが自己主張しています。
なぜか頭は丸いのです。
ここのヒノキ林を見た後、人工林を見ると、かいわれ大根に見えてしまいます。弱々しく、ケージで密集して飼われているニワトリにも似ています。
それがいい悪いではなく、人工林とはもともとそういうもの。同齢で同じ高さ同じ太さの木がずらりと並ぶ。
自然のヒノキ林は全く別物です。
ここのヒノキが300~400年なのは、300年ぐらい前に江戸城造営のためほとんど丸坊主状態にヒノキを搬出してしまったからだそうです。ひどい、と思うよりまず、ご苦労様です。車で行っても相当な山奥です。そして膨大な面積です。それを、チェーンソーもなしにみんな伐ってしまうとは。日本人は同様に昭和35年ごろ、激しく急傾斜の山の尾根までずっと雑木を伐り植樹をしてしまった。世界一の働き者では?木を伐ることについては、「やればできるじゃん」って感じですね。必要があれば、江戸時代のそんな動力でやれるのです。いかに今必要とされてないか、という証明です。林野庁はよく考えるように。
ヒノキとサワラの合体木のうろをツキノワグマがねぐらにしているらしく、フンがありました。
私たちがおしかけたので避難したようです。ここは90%がヒノキとサワラという純林なのですが、それなりに食べるものがあるのでしょう。
今年はクマがよく見られるというので、遭ってみたいのですが、なかなか遭えません。
何よりの驚きは、岩だらけの山に巨木があることです。樹高30mを超え胸高直径70~80センチのヒノキ・サワラが成育している。がっちりと岩を抱え込む太い根、片側半分の土が崩れているのに傾きもせず真っ直ぐ天に向かって伸びているのもありました。
(ほぼ1ヶ月前に鳳来寺山系で見たスギの巨木も岩だらけの山に林立していました。これらも直径80cm~1m近かった。)
岩だらけの山でなんで大木が育つの?
大きな疑問です。
ここは標高1000m高海抜・寒冷湿潤の地で、落葉の分解が進みにくく酸性腐植によって鉱物中のアルミニュームや鉄などが溶けて染み出し、浸透水とともに下層へ運ばれて集積するポドゾル化作用で独特の森林土壌が形成されるそうです。それをしっかりと掴まえているんですね。岩の多いところでは雑菌も繁殖しにくく、空気中の水分も岩に吸着する、などヒノキには都合のいい条件が揃い、天然の苗木が育つようです。
昨年6月に伐り出されたご神木の根の周りには細かい苗が芽を出していました。親木があるときには顔を出さないけど、倒れると日の光を受け一気に新芽が育ち始めるのだそうです。
古い切り株の真ん中からは若木が立ち上がっています。親木の根株を土台に成長した次の世代のヒノキは、次第にその根株を内部に封じ込みさらにはそれが朽ち果てて、新しい木の根株にポッカリ空洞ができる、そんな木もいくつか見られました。何十年何百年と続く命のサイクル...。
その印となる幅1ミリにも満たない密な年輪模様、
しばらく言葉を失いました。
ヒノキやサワラの巨木の間にはこれまた太い様々な広葉樹が育っているというのも、素晴らしい!
なつみかんは今回が4回目という。羨ましい限りだが、また今度興味を持つ人を集めて、役場の内木さんにご案内をお願いしたいですね。