山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

宮崎県環境森林部&クスノキ&ひきずりすきやき

2006-12-08 | めぐる季節と自然
宮崎県には「環境森林部」がある!ということに、多くの私の同業者は感動したことだと思う。変なことで話題になってしまったけど、事件がなければ知らなかった。
宮崎県環境森林部⇒http://www.pref.miyazaki.lg.jp/index/org/kankyo/index.html
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/soshiki.html
行政ではたいてい、環境担当と森林担当が分かれている。環境関係でゴミ問題や公害問題をやっていて、農林関係で森林問題をやっている。国では環境省と厚労省と林野庁などに分かれている。
森林国日本では森林も環境の要であるが、市町村では環境担当課に森林ことを言っても「担当外」とされる。

調べたところ、宮崎県環境森林部では、アスベストやダイオキシン問題のほか、森林環境税の検討、そして山村・木材振興課まで入っていた。

妙な事件は問題だが、環境森林部に注目が集まるのはちょっとうれしい。
環境森林部にはがんばってほしい。



写真は数日前に行った名古屋の熱田神宮のクスノキ。
クスノキは樹形がくねくね曲がっていますが、その曲がり方が芸術的で、見ているとほれぼれします。熱田神宮のクスノキは樹皮が黒々して、多くはノキシノブなどのシダに覆われています。

熱田神宮の境内を、キョロキョロと「何か変わったものはないか」と思いながら歩いていると、何も変わったものがなくつまらない。
でも無心で(ぼーっとして)歩いていると、とてもすがすがしい気分になります。
神社ってこういうものなんだと感じます。
熱田神宮にはあのヤマトタケルノミコトが使った草薙の剣がある(はずである)。それってすごくない?

ネットでいろいろ調べると、熱田神宮には名古屋の巨木ベスト10のうち7本があると出ています。けれどもこのベスト10というのが、どういうデータでどういう基準で判定されたものなのかは、明らかではありません(誰か知っていたら教えてほしい)。
ちなみに1位と3位が熱田神宮のクスノキだとされているので、2位はどこにある何の木ですかと名古屋市役所に電話して聞いたら、知らない、ということだった。
それは市役所が無知ということではなく、市役所にも、巨木ベスト10という判定結果がないということだろう。

もしかすると名古屋城のカヤかもしれないというので調べたら、当該のカヤは幹周8.1m、樹高16mで、太さにおいても樹高においてもそれを超えるものはいろいろあるようである。

巨木というのはイメージ的な言葉であり、数値でいうなら、幹周の大きい木とか、樹高の高い木、とか、材積の大きい木、とかいうしかなく、数値以外では、大きく感じる木、とでもいうことになるだろう。



すき焼きのことを名古屋でひきずりというなんて、名古屋で24年間育った私は数週間前まで知らなかった。しかも大阪生まれのS君に教えられたのである。けしからん。ちなみに私の父は生粋の名古屋人である。
すき焼き=大晦日・お正月で、それ以外の日に食べるものではない。
ネットで検索すると、「名古屋コーチン」&「ひきずり」で山のようにヒットするし、ミツカンさんでは「ひきずりのつゆ」まで発売していた。
私はひきずりなんて言葉は聞いたことがないので憤慨している。
名古屋の中でも一部の人とか一部の地区でしか使われてないのではないか?
今度父に聞いてみなければならない。
もしかすると「ひきずりはお金持ちの人が使う言葉だがね」とか言われるのかしら。

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6 Comments

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ひきずり=お袋は知っていた (キコリン)
2006-12-08 23:59:16
僕なんか60年以上生きてきて始めてだよ、
「ひきずり」なんて言うのは。

ちなみに今日畑のスギナの根を掘り起こしながら
82歳になるお袋に聞いたところ、
「知っとるよ、鍋から引きずり出すから『ひきずり』
って言うよなあ。ウチではあんまり使わんかったけど。」
 我が家では、何か事ある毎に「すき焼き」をやっていました。婆さんが裏の小屋から一羽引っ張り出して
きては、庭でツブシテ...。

「鍋や七輪は?」と聞くと、「どっかに仕舞ってあるかもしれんがなあ?捨てたかも知れんぞ。」
区画整理で今の所に移ってくる時、処分した可能性大です。
S君、ちょっと残念です。
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すき焼きになったわけ (山里文化研究所)
2006-12-09 22:42:03
今日別の友人と話していて思ったこと。
「ひきずり」っていうのは大体鶏肉で作るものをさしているよう。名古屋ではそれが普通のごちそうだった。ところが牛肉で作るのが外から移入してきて、それと同時に「すき焼き」っていう言葉になった。
だから、ひきずりは鶏ですき焼きは牛肉ということにしましょう。
「上を向いて歩こう」はあわや「ヒキズリ・ソング」になるところだったの?
ところで「すき」っていうのは「牛肉」を意味するのですか? それとも牛肉を甘辛くしたものをいうのですか? 肉にうとい私には分かりません。大阪と東京の人には答えてもらいたい。
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すき焼きの「すき」 (S君)
2006-12-11 22:37:53
すき焼きの「すき」は、農具の「鋤」というのが一般的です。江戸時代に農夫達が腹が減ると、鋤の金属部分を鉄板の代わりにして魚や豆腐を焼いたことから、鋤焼きと呼ばれるようになったそうな。他に薄く切った肉を意味する「剥身(すきみ)」から「剥き焼き」になったという説もあります。すき焼きの歴史は以外と浅く、江戸時代末期だと言われています。飛鳥時代(7世紀後半)から明治に入るまで、日本では肉食が公的にご法度でした。牛や馬は大切な労働力だったため、食べるとバチが当たると信じられていたようです。続く・・・
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すき焼きの生い立ち (S君)
2006-12-11 22:55:40
しかし巷では、貧しさからイノシシやシカなどの獣も食べられていたようで、そのうち牛肉もこっそり食べられるようになります。幕末には、京都の三条河原にすき焼き屋が店を出しました。明治天皇が牛肉を食べたことがきっかけで、肉食が解禁され、関西ではすき焼き、関東では牛鍋が大流行したそうです。しかし関東大震災がきっかけで関東の牛鍋屋が次々に姿を消し、そこへ関西のすき焼き屋が進出し、関東でもすき焼きが広まります。次第に両者が融合し、割り下を使う関東風すき焼きが完成しました。関西人と関東人の夫婦がすき焼きでもめるのもうなづけます。
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すきでは煮られない (山里文化研究所)
2006-12-11 23:09:01
なるほど、初めて知りました。鋤は貴重な鉄製品だったのよね。鋤では煮られないですね。
偉い人たちはきっと明治まで肉を食べていなかったんでしょうね。でも山の人たちは、タヌキやウサギやクマやイノシシを食べていたと思うでしょう? 四つ足食べちゃだめだったってどこまで本当かしら。
ちなみに最近でも猟師たちは、ウサギがとれるとウサギ汁にして、そのときは米なんか食べなかった。
最後にごはんで締めなきゃ気がすまないのは現代人、日本人は米が主食だなんてウソです。それはきっと第二次大戦の配給時代に強化された神話です。主食ではなくても日本人がお米を信仰してたしおいしいから主食にしたかったってことでしょうね。
脱線しました。続きを期待してます。
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続きを見て (山里文化研究所)
2006-12-11 23:15:00
すいません、「すき焼きのおいたち」を見ずにさっきのコメントしてしまいました。
それにしても詳しいですね。
山里では貧しさからじゃなくてうまいし手に入るから山の動物を食べてたと思います。まだ牛肉の味を知らないからね。明治天皇は偉いですね。
関西人と関東人の夫婦は、すき焼きでもめたら間をとってひきずりにしましょうね。

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