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北前船と瀬戸内海

2024-02-29 22:37:12 | 予算の使い方

 瀬戸内海

 北前船は北海道と大阪とを日本海航路で結んでいた。多くは千石船で、150トン積の一本帆船。江戸時代中期から明治30年頃まで生活物資を運び活躍。

 北海道の江刺小樽ニシンはニシンそばや京都みがきニシン、伯州綿花の肥料にもなった。利尻コンブは富山黒トロロまたコンブ出汁にも。山口県では室積港の象鼻ガ岬は潮待ちや風除けにも良い港と栄えたとか。また山口県の3関、関とは船の荷を調べる番所で、下関、中関(三田尻)、上関(北前船への貸倉庫業で栄えていた)があった。広島県の鞆港も海の干満による潮の流れ方向待ちをした所という。(ネットで調べる)

 大阪を出発した北前船は満ち潮に乗って広島方面に、鞆港に入ると荷下ろしや荷積みをして、引き潮に乗って山口方面に。予定の港に入るとまた荷下ろしや荷積みをしてさらに次の港へと出発する。瀬戸内海を走る間は潮の干満の流れを利用することになる。瀬戸内海は大海に、狭い水道や海峡で開かれた内海である。そのため潮の干満により内海海水が勢いよく流れる。船は流れを利用すると進みやすい。

 この時代は陸道が未発達で、海道が荷を運ぶ道だった。明治30年頃より120年の現在は鉄道や車道の陸道が整備されて、150トン程度の荷を運ぶ海道の利用はなくなっている。関や潮待ち港も利用がなく、そこに住む人々は漁をする人達が中心だ。「人口減少により将来が見通せない」と存続策を模索している。山口県では光市室積は観光にそして上関町は原発設備誘致を計画している。

 上関町の原発誘致は原発に安全神話がある1980年代に始まっている。しかし2011年の福島原発事故以降には、事故は起こるとの前提へと変化した。瀬戸内海の海岸での原発運転は放射線放出事故が起こると、海を汚染する。瀬戸内海全域で、漁はできなくなるのではないだろうか。


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