明るく
地域を明るくできればと願っています。新聞投稿文に、戦中に「とんど祭り」は禁止された。戦後しばらくたって復活し、やっと世間に明るさが戻ったとあった。
私の住む町では、現在小学生は2人となっている。昭和35年頃、私の小学校同級生は6人いた。町では、盆踊り・亥の子祭り・などのイベントがあった。舗装されていない道の補修や共同の田植えなどもあった。
月日は流れて、田には耕運機や田植え機が、道は車が通るようになった。大人の仕事はサラリーマンと米作り、子供は学校に行き、そして家を離れてサラリーマンを目指す。まだ家での農業は楽な暮らしを期待させない。
65才定年で、故郷へ戻っても、両親はすでにおらず、また転勤族の子供には故郷はない。投稿文には「若い人が都会に移住して、農村地帯は寂れてきたように思う。私の地区のとんど祭りに子どもの参加は女の子一人だけ。寂しい現象だった」と。
当時は一人子でも、親子の願いは同じ、農業を離れて「生活レベルの向上を目指すこと」だった。多くは地元の役所に働いている。現在は、どのように変わっているだろう。地域は、どのようにして明るくなるのだろう。
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