人類のエネルギー
今日8月6日は広島に原子爆弾が投下され多くの人たちが被災、慰霊式が行われる日だ。合わせて被災者や核廃絶を願う世界の人たちがメディアを通して、核兵器保有国に廃絶の願いを主張する日ともなっている。
今年は式典やメディア放送を聞いていて核兵器の怖さを示す二つのことを聞き胸が痛んだ。広島に原爆が投下された日に市内の中学1年生が8000人勤労奉仕のため近くに集められていたという。被災し1週間後には6000人が亡くなっていたと。二つ目は、広島県知事の挨拶内容にあった。核兵器被害者の境遇は人らしく生きることも人らしく死ぬこともさせてくれなかった。病気がうつるかもしれない、遺伝するかもしれないと秘密にしようとされたと。
さて、原子力発電技術は地球温暖化対策にはなるのだが、安全な取扱いをするには困難があると日本の福島県にある東京電力の発電所事故で明確となった。廃棄物の処理が地中深く埋めて数百年経年劣化を待つしかない。想定外の自然災害には発電所は壊れて放射線が大気放出される。影響地域には住むことができなくなる。このため方針決定から数年経過したが、ドイツ国では原子力発電所を閉鎖することにしている。
どちらも原子力エネルギーをいかに人類が利用できるかに関わる事である。世界人口は2022年現在約80億人という。1998年60億人、1975年40億人、1950年25億人であったとか。急増するこの数の人類が文化的な生活をしようとすると、現在の地球を守る条件下ではエネルギーは不足してしまうだろう。
冷静に世界の地球温存会議を開き、エネルギー部門において原子力を利用することを前進する議論をすることが必要だと、私には感じられてしまう。
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