8月20日(土)、曇り。
昨日の花火は、30分程でした。
調べると、やはり郡山のお城からの打ち上げでした。
お城と言っても、天守閣は残っておりませんので、正しくは城跡です。
建造物は、昔、県庁庁舎だったか、図書館だったかの明治時代の大きな建物が一つ。
30年くらい前に台湾檜の大木を取り寄せて作った「大手門」と「櫓」。
もう一つは、「柳沢文庫」の建物。
柳沢文庫は、今は大和郡山市の運営ですが、元々は藩主だった柳沢家の建物で、同家の古文書や古い資料が残されています。
ここには以前、将棋好きの歴史学者・堀井先生が毎月来られて古文書の研究成果などをあれこれ。
小生はその日に合わせてここへ通って、4~5人の小さな「歴史サロン」のようなひとときでした。
堀井先生は、元々は将棋駒つながり。
先生がお持ちの駒は、「近代将棋・駒に生きる」でも2~3回、紹介させていただきました。
堀井先生にはその後、水無瀬関係の古文書の読み下しをお願いしたり。
御年は小生より一回り半くらい上ですが、まだまだお元気。
水無瀬関係の資料は、先生のお元気な内にまとめ直そうと思っております。
なお、その後「歴史サロン」は場所を春日大社へ移りました。
昨日の花火は、30分程でした。
調べると、やはり郡山のお城からの打ち上げでした。
お城と言っても、天守閣は残っておりませんので、正しくは城跡です。
建造物は、昔、県庁庁舎だったか、図書館だったかの明治時代の大きな建物が一つ。
30年くらい前に台湾檜の大木を取り寄せて作った「大手門」と「櫓」。
もう一つは、「柳沢文庫」の建物。
柳沢文庫は、今は大和郡山市の運営ですが、元々は藩主だった柳沢家の建物で、同家の古文書や古い資料が残されています。
ここには以前、将棋好きの歴史学者・堀井先生が毎月来られて古文書の研究成果などをあれこれ。
小生はその日に合わせてここへ通って、4~5人の小さな「歴史サロン」のようなひとときでした。
堀井先生は、元々は将棋駒つながり。
先生がお持ちの駒は、「近代将棋・駒に生きる」でも2~3回、紹介させていただきました。
堀井先生にはその後、水無瀬関係の古文書の読み下しをお願いしたり。
御年は小生より一回り半くらい上ですが、まだまだお元気。
水無瀬関係の資料は、先生のお元気な内にまとめ直そうと思っております。
なお、その後「歴史サロン」は場所を春日大社へ移りました。
駒の写真集
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