11月28日(月)、曇り。
昨日、島本町に出かける途中で木津川河原の「残念石」を見ることにしました。
「残念石」のことは以前にも触れましたが、河原の「残念石」を見たのは今回が初めて。
四百数十年前、この地を差配していた藤堂高虎が、大阪城築城のために切り出した石を木津川を利用して運び、最後まで送り出されずに残った大石です。
石の大きなモノは、長さ4~5メートル。
ここには7~8個。
残された石は、他にもあるかと思いますが、とにかく「一見は百聞に如かず」。
何事も自分の眼で見ることが重要ですね。
と言うことで、昨日は「残念石」への下り口に車を止めて実見。
河原に放置された大きな石を見て、何かを感ずるところがないかという気持ちでした。
しかし、発想力の希薄さゆえ、「浅い木津川なのに、どのような船で運んだのだろうか」と思う程度でした。
その内にもう一度、ゆっくり見ておこうと思います。
ところで、「講談師、見て来たようにモノを言い」という揶揄があります。
講談師が見て来たように言うのは技。
講談師でもない人が「見て来たようにモノを言う」のは、どうかと思う次第。
昨日、島本町に出かける途中で木津川河原の「残念石」を見ることにしました。
「残念石」のことは以前にも触れましたが、河原の「残念石」を見たのは今回が初めて。
四百数十年前、この地を差配していた藤堂高虎が、大阪城築城のために切り出した石を木津川を利用して運び、最後まで送り出されずに残った大石です。
石の大きなモノは、長さ4~5メートル。
ここには7~8個。
残された石は、他にもあるかと思いますが、とにかく「一見は百聞に如かず」。
何事も自分の眼で見ることが重要ですね。
と言うことで、昨日は「残念石」への下り口に車を止めて実見。
河原に放置された大きな石を見て、何かを感ずるところがないかという気持ちでした。
しかし、発想力の希薄さゆえ、「浅い木津川なのに、どのような船で運んだのだろうか」と思う程度でした。
その内にもう一度、ゆっくり見ておこうと思います。
ところで、「講談師、見て来たようにモノを言い」という揶揄があります。
講談師が見て来たように言うのは技。
講談師でもない人が「見て来たようにモノを言う」のは、どうかと思う次第。
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