この前は、山口県湯田温泉での名人戦で盤が使われた経緯について書きました。それから10年ほど経った秋のことです。
石川県にある北陸科学技術先端大学院大学(飯田弘之先生)からの要請で、駒の話をする機会をいただきました。
講演が終わって、大学が予定してくれていた辰口温泉の宿(まつさき)に降り立って、「おお、これは!」と思いました。
佇まいが、将棋タイトル戦に相応しい。そう思いました。
フロントで手続きをしながら、「社長さんはおいでですか。少しお話したいことがあります」と、社長さんに、3~40分、話を聞いてもらいました。
「将棋には7つのタイトル戦があり、年間を通して開かれています。こちらの佇まいを拝見して、タイトル戦にピッタリだと思いました。
誘致されてはいかがですか。金銭的には潤うことにはなりません。でも、全国紙がスポンサーで、NHKテレビでの全国放送もあり、広告面でのメリットは大きいと思います。ですので、繁忙期でない時期でがお勧めです」。
「そうですね。4月5月なら・・」。
「あ、そうですか。4月5月なら毎日新聞主催の名人戦。ただし、2年くらいは後になるかもしれません。この足で、私の方から希望を伝えることにします」。
それから一月ほどして、毎日新聞から「石川県の件。社長さんと話をしたいので、伝えてください」と。
このような経過で1か月後、社長さんが大阪に来て、その席に小生も同席することになり、会話は、次のようなモノでした。
「来年の名人戦。第1局から4局までの開催場所は決まっていて、5局の以降は未定で、6局目はどうか。必要な部屋は対局室のほか大盤解説など全部で15部屋ほど。だが、最悪、2週間前に終了して、キャンセルになることもある」。
「分かりました。よろしくお願いしたい」。と、運よく話は進みました。
年が明けての第64期名人戦。
名人は森内さん。挑戦者は谷川さん。幸い戦いは6局目まで進み、盤と駒は小生が準備して、対局場に向かい、盤はもちろん「実力名人戦ゆかりの盤」。
以上が名人戦での2度目の使用となった、経緯でありました。
次は、3度目の名人戦使用について、述べたいと思います。
12月12日(木)、晴。
実力名人戦ゆかりの将棋盤。
その盤面の映像です。先ほど撮影しました。
盤面の年輪。分かりますでしょうか。少し粗いところでは1ミリに1本くらい。。緻密でより細かなところでは、1ミリに2.5本くらい。
そうだとすると、平均的には1cmに20本以上。
盤の幅は33cm余りですので、20本だとすると、20x33=660本。
あるいは、25本だとすると、25✕33=825本。
私が虫眼鏡で数えたところでは、全幅で800本ぐらいの木目を数えることが出来ました。
おそらくは1000年以上の筋の良い素直な大木から木取りしたのだと思います。
なお、「榧」といえば、今は綾営林署が有名ですが、聞いたところでは(確証はありませんが)、この盤は、綾の隣の高岡営林署区域で採れたものとのことを聞いております。
因みに、現在の高岡営林署にはほとんどありませんが、100年くらい前の高岡には、綾、以上に「良い榧」があって、それは大正時代の頃に採りつくされたそうです。