「回想記・その11、大局将棋駒・その後のこと」の、再復刻です。
大局将棋は、大阪商業大学・資料展示室オープンの5日前に出来上がり、無事、予定通り納めることができました。
話は前後しますが、駒が出来上がる真近に盤も自作して、大きさは縦150センチ余り、横幅140センチ。 材料は9センチ幅の柾目の通った米栂材を横に13枚組み合わせて作ることでした。
気が付いたのは、納入時に使う乗用車には、幅が140センチでは入らない。そこで考えたのは3つに分解できる構造。何事も臨機応変に対応できるのは、自作ならではのことでした。
納入した日、大学の展示室には完成した大局将棋盤と駒を収納する立派な収納展示ケースが入り口付近にどっかりと鎮座。これに感激しつつ、駒を並べるだけで30分ほどかかったことを覚えています。
さて、『トリビア の泉』というテレビ番組を覚えていらっしゃるでしょうか。
20年くらい前の番組です。その 2004年5月19日の朝日テレビ放送で、この駒が使われました。対局は有馬温泉の旅館で、三日間。対局者は伊藤博文六段と安用寺孝功四段(段位は当時)の両氏。総手数はちょっと忘れましたが、確か3800手あまり。あとで対局した両氏から聞いた話では、無理やり三日間で終わらせたそうです。
お疲れさまでした。
映像は、その前後に企画された「世界のチェス・将棋展」のポスター。
オリジナル古文書”大局将棋駒”が見当たらないだけに、
この盤・駒は史料として貴重です。もちろん、文書に書く
より現物を作る方が、手間としても、はるかにたいへん。
それにしても凄いですね。
作るのもそうだし、その駒で指すのも大変。
このような駒があったという貴重な資料が残っていた事が嬉しいです。
その後、数年が経って、将棋博物館は廃止されて、その時の史料原本は、大橋家関係者に戻された話で、その一部は「金とく」だったか、名古屋のテレビ放送で報道されましたので、今でもその方のところにあるはずです。
情報が残らなかったので。トリビアの泉の対局
も、大局将棋の大鷹前方や四天王の八方向に
関する動き等の詳細を、本式よりも単純化して
ゴマかし、1日で終了させても。古文書の
「大局将棋駒」がロストした現時点では、
それは絶対に間違いで誤魔化していることを
証明することが不能なので。今にして思えば
後日のタイトルのかかった将棋に疲れ
が残るほど、対局したお二人にとっては
しんどく無かったかもしれないですねぇ。
小生も「トリビアの泉」を拝見しました。
お二人のプロ棋士が3日間かけての対戦も拝見しました。
大変貴重な番組と将棋を拝見できました。
大局将棋を考えた方、作制された方、指された方々は、
素晴らしい能力の方々ですね。
対局者は、多分、楽しんだり、うんざりしたりだったと思います。
大局将棋が考案されたのは、江戸時代だと推定しています。
多分、大橋家の誰かが考えたのだと思いますが、とにかく、デカいものを作る、世間がびっくりするようなものを作る。それぞれの駒に、意味を込めようとしてそれぞれに名前を付けて、行き方もそれぞれに。そのようなコンセプトだったと思います。
結果、駒の数が804枚。
種類は209種でしたかね。とにかくドデカい将棋が出来上がりました。
多分、一挙加勢に考案し作り上げたのだ思います。