熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

3寸盤用将棋チェスト

2020-08-16 19:32:03 | 文章

3寸用盤の将棋チェストのリクエストをいただきました。
3寸用は、過去にもリクエストがあって、こしらえたことがあり、お受けいたします。

この場合、盤の高さに比べて引き出し式の駒台がかなり離れますので、3寸盤用の駒台を捜して、組み合わせてお使いになるのがよかろうと思います。

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旧暦6月27日

2020-08-16 17:40:05 | 文章

8月16日(日)、晴れ。
今日は38度まで上昇。暑さがつらくて、外出もままならぬ一日でした。
旧暦では6月27日なんですね。

映像は、久しぶりの新作「錦旗」。
漆はたっぷりと。シッカリ磨き上げました。
続いて柾目で、間もなくもう一組が出来上がります。
出来上がりましたら、映像をアップします。

ところで、錦旗のルーツは水無瀬兼成卿の筆跡駒。
それがなぜか、大橋家では「後水尾天皇筆跡駒」だと偽って伝えられてきた。
「伝・後水尾天皇真筆駒」と「伝」が付けばまだ良いとして、厳密には「伝」が無いと断定になるので、どうかと思うのです。

 

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回想記・その6、「名駒大鑑」

2020-08-14 03:23:31 | 文章

回想記・その6、「名駒大鑑」。

 一介の将棋好きなサラリーマンが、突然作った駒が時の名人と九段の記念対局に使われて、世間に知られるようになった。駒づくりは面白いと「駒づくりを楽しむ会」を作って提案した結果、駒づくりの輪が広まった。
 それから数年が経って、本業として駒づくりをしたいと思うようになった。上京した時などは、仕事が終わった夕刻には、マーケットリサーチのつもりで駒を売っている盤屋周りもした。このころには私を知っている店も多いので、名刺を出して単刀直入に「ここにある駒の仕入値段はいかほどですか」と、聞いたりもしました。
 分かったのは仕入れ値の安いこと。それは半端なことではなく「駒屋は乞食」のたとえ話はその通りで、これでは駒づくりでは生きて行けないとった思いのは当然で、私の選択は、会社勤めを続けるしかない、という判断でした。
 しかし、これで諦めるわけにはゆかない。やるべきことは、もっといい駒を作り続けること、そして名前を売ることに尽きると思いました。
 私にはもう一つの夢がありました。それは「駒の本づくり」です。それを身近な友人にも話したりしていたのですが、丁度そんな折り、Ⅿさんから「二人で本を出そう」との逆提案があり、「よし作ろう」と決めたのは当然のことでした。

 本の資金は二人で折半して、大きな写真はプロカメラマンに依頼して、原稿は私が書く。資料はこれまで私がため込んだりした知識や資料。それを余すことなく持ち寄って二人で構成を決めて行く。コンセプトは駒の専門書、唯一のバイブルとして平易で見やすく読みやすく、活字の大きさにもこだわり、50年経っても陳腐化せずに後世の研究者が資料として活用できるものにしたい。しかも、文字はできるだけ減らして、どのページを開いても写真やイラスト、図表がある絵本感覚にと。
 内容は、第1章・名駒写真集。第2章・将棋駒の歴史。第3章・将棋駒のルーツ水無瀬駒。第4章・象戯(しょうぎ)図。第5章・水無瀬兼成と将棋馬日記。第6章・豊島龍山秘話。第7章・駒関連人名用語集。第8章・駒づくりのすすめ。以上、カラー写真も入れて240ページ。掲載する駒の作者にも渡りをつけて、準備に2年ほどがかかりました。
 価格はいくらにするか。発行部数も判断がつきかねましたが、エイヤーと、1部2800円(後に3500円)で予約販売を受け付けたところ、たちまち大きな反響で、10年が経つ頃には、印刷した2700部のほとんどは底をついてしまいました。
 以上が38歳の時、40年前の記憶です。
 
 

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回想記・その4、道具作り

2020-08-13 19:53:53 | 文章
回想記・その4、道具作り。
 
 話を戻して、私の駒づくり は、駒型のツゲ木地探しすることから始まった。
 手始めは天童で。続いて大阪、その次は京都。東京でも駒型にしたツゲ木地が売り出されて2~3組買ったが、駒は木地造りから最後の仕上げまで一貫してやろうとしたのは自然なことでした
 しかし、材料のツゲの櫛板は入手出来ても
、機械や道具をどうするかです。市販されている木工機械には安全に使えるものはなく、自分で作るしかない。必要なのは切る機械と削る機械。できるだけシンプルで、メンテナンスが容易なもの。そして能率的で使いやすく、騒音と埃を撒き散らさないことも必要。最も重視したのは安全性で、部品は使えるものは利用して、足らない部品は独自に設計して鉄工所に発注したり、自分でできる木工細工で作ったりしました。
 機械類の設計は、子供のころからいろいろやりました。面白いのです。
中学生から高校の頃は、小型カメラ、水中翼船、海に潜るときのアクアラングなど。
 今回は、玉将から歩兵まで大中小の5角形の駒型に、自在に対応できる機械だということで、木くずを吸い取る仕組みと組み合わせて、出来上がった機械は5つほど。自分で設計した機械の良いところは、改善がすぐにできるところですね。中には5年ほど使って廃棄したものもありますが、大半はおかげさまで40年経った今も現役で便利に役目を果たしてくれているのです。機械に感謝、感謝。
 
 

 
 
 
 
 
 
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将棋チェスト、追加制作と希望者募集

2020-08-12 01:27:13 | 文章

8月12日(水)、

只今、夜中ですが、なぜかやかましい蛙の声はありません。
暑すぎるのでしょうか。
一昨日の月曜日は「山の日」だったのですね。当方、全く実感がありませんでした。

ところで、10万円給付金は、受け取られましたか?
このほど複数の方から、将棋チェストの購入希望が寄せられました。
希望者が5人以上あれば、この際、追加制作しようと考えます。


5人以上なら、価格は前回に近い6万円(送料、別途)に抑えることができそうです。
この条件にて希望者を募りたいと思います。いかがでしょうか。
納期は10月または11月(代金振り込みは10月)予定とします。

希望される方は8月20日までに、お名前と連絡先をコメントでお知らせください。
詳細が決まり次第、ご返事いたします
なお、コメントは匿秘扱いで、公開はいたしませんので、ご安心ください.

 

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回想記・その3、続・駒づくりを楽しむ会

2020-08-10 01:24:05 | 文章

回想記・その3、続・駒づくりを楽しむ会。

 前回は「駒づくりを楽しいむ会」でやろうとしたこと、やりたかったことについて述べました。
 私は当時34歳。扶養家族は4人。仕事は日本板硝子に勤務するコンピューターシステムエンジニアで、当時の就業規則には会社以外の業務をしてはならないとありました。
 私がやろうとするのは会社とは関係が無いライフワークであり、クビになっては家族が路頭に迷う。「カクカクシカジカ、将棋駒づくりの会を作って活動したいので許可が欲しい」と直談判したところ、相談相手の人事係長(後の社長)からは「よろしい。分かった」との即答を貰って、安心して船出できたのは大きかった。
 やがて私の駒づくりが社内報に載ったりして会社内外に知られると、会社主催の取引先との親睦会では、引っ張り出されて「駒の話」とか「私の生きざま」を話したり、社外では日本生命会社の社長会や、トヨタ自動車の取引先親睦会からも呼ばれたりした。

 会報は年4回の発行して、展示会は賛同者に支えられて毎年開催。入会者はたちどころに200人300人を超えて、やがてと今日・大阪・静岡では新しいサークルも生まれたりして、駒づくりの根が全国に広がってゆきました。

 映像は後日、12年間の会報1号から50号までを一冊にまとめたもの。全部で436ページ。私の歩みの記録でもあります。
 

 一方、山形県天童市の駒づくりは工程すべてを一人で賄うというのではなく、木地師は木地成型、彫り師は彫るだけ、書き師は文字を書くだけで、上に立つ親方がすべてを取り仕切っている100年前から明治大正時代からの旧態依然の分業体制。質より量で、作られているのは廉価な駒ばかりでした。しかし丁度このころ、それに飽き足らない上物志向の人が二人三人と出始めたり、本会に入会する若手も出たりで、少なからず刺激はあったように思われます。ですが幸いにも、こちらへの嫌がらせや圧力は一切ありませんでした。

 ところで私は一日の時間の1/3が会社勤め、1/3が会の運営と自分の駒づくり。残る1/3が睡眠というの生活。しかし、まだやりたいこともある中で、体力維持の睡眠はしかっりと取るべく、一日が1時間でも2時間でも増えてほしい願いは残りました。

 

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回想記・その2、「駒づくりを楽しむ会」のたちあげ

2020-08-07 21:12:51 | 文章
2、回想記・その2  「駒づくりを楽しむ会」のたちあげ
 
 ノウハウもよく知らず、初めて作った盛上げ駒は、はからずも南口先生により「無双」と銘名された。そして、時の名人・九段との公開記念対局に使われるなどは考えもしなかったことで、幸運だったとしか言いようもなく、当日は一般観客に交じって天にも昇る心地で観戦。そのことが、次には本物正真の盛上げ駒を作ろうと思う私の心を強く後押しました。
 続く2作目は、1作目とともに大阪の盤屋さんから入手した駒木地で作り、3作目は京都のツゲ櫛屋さんが昭和16年に伐採したという根っこのツゲの塊から作りました。
 とにかく良いものを作りたい。参考にするのは、タイトル戦やプロ棋士が日頃の対局で使っている駒。有名専門店奥に大切にしまわれている高級駒江戸時代大名家博物館が収蔵している将棋駒。収集家が秘蔵する門外不出の駒など。それらをできるだけ数多く見るところから行動を開始した。
 一方、駒が載っていそうな将棋本や図録にも手を広げた。その中の一つ、至文堂「日本の美術・遊戯具」に収められた400年前の「水無瀬駒」には、ただならぬものを直感。紆余曲折はあったものの、駒が遺されている水無瀬神宮訪問を許されて拝見することができた。そのことが、以後の私の駒づくりのバックボーンとなったのだが、水無瀬神宮と水無瀬駒については、項を改めて述べることにします。
 
  やがて、南口先生の計らいもあり大山名人とも知己になり、大山名人の私設秘書的存在だった近代将棋誌の永井社長とも知り合って、同誌の表紙に私の作品が取り上げられるなどしたことで、世間では私の駒づくりが知られるようになった。 
 「駒づくり」の連載話が持ちあがったのもこのころで、それを契機に「駒づくりを楽しむ会」を思い立ち、「駒づくりは面白い、貴方もどうですか」と将棋ファンに呼び掛けたところ、各地より入会希望者が続出。連日10人20人30人と返事を書く日々が続いた。
 
 当時、タイトル戦で使われる駒の上物作りは、木村名人の実弟・木村文俊さんと金井静山さんの二人のみ。いずれも70才を超える高齢で先行き高級駒の供給が危惧される状況だった。そのあとに続く人は、品質と人気でやや差がついていて、これからの駒づくりは、趣味の駒づくりで底辺を拡げることだと思った。 そんな時に、たまたま私が駒を作り始めたのは、偶然の成り行きであった。
 しかし、底辺を拡げる行為はことさらに自分のライバルを作ることでもあり、葛藤もあった。だが、これからのことも考えて熟慮の末、止む無しとの結論に至り、駒づくりではだれにも負けないぞと心に秘めて、「駒づくりを楽しむ会」の発足に踏み切った経緯があります。
 
 「駒づくりを楽しむ会」での活動は、
①、会報の発行。
②、初心者のための講習会の開催。
③、会員が作った作品の発表の場を作る。
⑤、希望者へ、道具と材料となる駒木地の販売。
 など以上でした。
 会報は年4回、8ページほど。駒づくりのノウハウはもちろん、駒の話題や会の催し予告など。最初はすべて私の手書きだったものが、やがて投稿してくれる人が現れて大いに助けられた。
 手始めの講習会は、東京・名古屋・大阪の3か所で開催。それぞれ20人ほどが参加して、後の木村香順さん親子や、増山酔棋さんなどが顔がありました。
 第1回の作品展示即売会は、昭和52年8月、作品数30点余りを集めて大阪上六の近鉄百貨店将棋まつりで開催。続く第二回は東京池袋の西武百貨店将棋まつりで開催。この時は、大山名人はじめ原田九段・大内九段など多くの先生方の来場もあって、会場は大いに盛り上がった。
 
 材料とする駒形木地は事前に50組を準備したものの、入会者続出で、ひと月も持たずに底をつく有様で、急遽、追加作業に追われ、自分自身の駒づくりどころではなくなり、そんな日々が数か月続いた。 
 会費は年間3000円を貰い受けた。やがて1年もすると、入会者は3百人に膨らんで、もうやめられないと思った。 かくして「駒づくりを楽しむ会」は、当初の思惑以上に順調に経過したものの、一抹の葛藤も抱えていた。それは、私自身が将来、駒づくりのプロになる願望があって、プロになろうとする者がいつまでも趣味の駒づくりを奨励していてもいいのか、という疑問でありました。
 
 一方、駒の調査研究と資料収集は引き続き続行して、北は山形県酒田市の美術館、南は熊本県熊本市にある加藤清正ゆかりの本妙寺と。成果は都度、会報誌のほか、将棋世界や将棋賛歌枻(えい)などの将棋雑誌にレポートして、勝ち負けだけではない将棋文化の一端を探求できることに生きがいを見つける嬉しさが続きました。
 
この続きは「回想記・その3」へ。

 
 
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回想記・その1、駒づくりを始めたころ

2020-08-04 06:35:12 | 文章

1、駒づくりを始めたころ

 駒づくりを始めたのは29才の時。もともと将棋が好きで、職場では先輩と将棋同好会を立ち上げ、師範に南口繁一先生を招いて将棋を楽しんでいました。駒はデパートで買った「楷書、歩兵彫りの大阪駒」。ある時、文字が凹んでいない彫埋め駒もあることを知って、文字の彫り跡に漆紛いの黒い塗料を埋め込んで悦に入ったりしておりました。

  そんな折り、年配の将棋友達が見せてくれた宝石のような「静山作錦旗の盛上げ駒」。文字が程よく盛り上がっていて美しい。自分もそのような駒を持ちたいと強く思った。
 当時、駒づくりの名人として、宮松影水さんが東京にいました。先生には、宮松さんが作る盛上げ駒は当時のサラリーの3倍の5万円はすると聞いていました。
 時たま仕事で上京した時は、宮松さんが住まう上野の方を見やりながら、「そのうちに頼みに行かなくては・・」と思ったものでした。しかし、間もなく宮松さんは若くして急逝。
  ならばと間を置かず、今度は彫り駒の名手、大阪の赤松元一(駒権)さんを訪ねて「何万円かの上等な彫り駒」を注文することに。しかし、
3か月が経ち半年が経つ頃、再三、赤松宅へ出向いても、私が注文した駒を彫っているような気配がないそこでやむなく、自分で作ろうと思うようになったのです。
 しかし、ノウハウも持ち合わせず駒の材料の入手方法もわからない。そんなある日、仙台に出張する機会があって、休暇を取って一日早く天童へ迂回することにした。材料である駒型になった木地を入手するためでした。
  日曜日早朝、降り立った天童駅前の店にすぐさま飛び込んで、「かくかくしかじか。一組、駒の材料を売ってほしい」と頼みこんだが、色よい返事はもらえなかった。普通の天童の将棋駒は買う気にはならず、代わりに「チェスの駒」を買ったことで、一組分の駒形木地を分けてもらうことができた。
  別の店では駒を彫る実演をやっていて、2時間ほど「ウムフム」と感心しながら、道具や手並みに注目。その様子を頭に叩き込んだ。帰宅後は早速、よく切れそうな彫刻刀を専門店で探し、彫るときに使う保持具の彫り台は自作し、駒の文字は自分なりのものを用意するなどと、とにかくすべてを手探りで駒づくりを始めた。
  当時、駒づくりのノウハウは秘密でした。でも、文字を彫って漆代わりの黒い塗料を塗り込んで、塗料が乾いてから余分な塗料をサンドペーパーで摺り落とせば、黒い文字が浮かびあがり、それなりの駒が出来上がるはず。そう考えながら、駒一枚の表面を摺った時でした。
  眼に飛び込んだのは、黒いシミでオバケのような無残な文字。黒い塗料が木目に沿って流れた滲みでした。 天童では彫る実演だけを見て、木目の空洞を塞ぐ「目止め工程」の知識も知らずに、駒づくりを始めた結果の失敗でした。
 この失敗は黒い塗料を塗る前に透明な塗料を下塗りしておけばクリヤーできるに違いない。今度は、大阪の盤屋さんに頼みこんで、再度、駒木地を入手し、やっぱり目指すのは盛上げ駒だと決めたのは、30歳直前の再チャレンジでした。
  やがて2か月後、出来上がった駒は、すぐさま南口先生宅に持参して、「これでご指導を・・」とお願いしたところ、「なかなか良くできている。この春に京都で中原名人と加藤(南口先生は、加藤一二三さんの師匠)の記念対局がある。そこで使おう。今日は、別の駒で・・」ということになり、初めて作った駒が思いがけず、数か月後の京都の大ホールで鮮烈にデビューする幸運と栄誉に、私の心は天にも昇る思いでいっぱいになった。 「もっともっと作ろう。早速、材料にするツゲを捜さなくっちゃ」と思った。これは自然のことでした。
 その京都からの帰りです。駅前の土産物店に立ち寄った時、偶然にもツゲを見つけました。それはしっとりと飴色に輝く京都名産品のツゲ櫛でした。
  正月明けの翌日、会社には休暇を出して再び京都へ。京都にはツゲ櫛の専門店が2軒。そのうちの一軒では親戚筋の製造元を聞き出し、その足で訪問したところ、私の希望を聞いてくれて、一抱えもある堅いツゲの根っこの塊を貰い受けたのは更なる幸運でもありました。
 
  以上が、駒づくりを始めるきっかけと経緯です。
  この続きは、ボツボツと書き連ねたいと思います。
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将棋チェスト

2020-08-03 20:29:07 | 写真

先ほど、SNS を見ていたら、オヤッ。
どこかで見たことがある将棋盤。そうです、将棋チェスト。
輝いているではありませんか。何戦かな?

対局は、内山あやさんと、久保翔子さん。
因みに、久保翔子さんは、久保九段のお嬢さん。

宣伝が過ぎましたかな。謝謝。

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駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726