人体は総て経絡でつながっているので
出ている芽をひとつ引っぱると、あとからあとから
芋づる式にいろんなものが出てくる。
今度は「ものもらい」が大きく腫れてしまったので
眼科で切開してもらう。
やたら目をパチパチやるのでウインクと勘ちがいされ
イヤらしいわぁ なんて蔑まれたりしないように。
麻酔ありとは言え、ぐりぐりと目玉をいじられるのはとても怖い!
あぁ、うぅ、情けない呻き声などもらして
仰向けのまま僕は、すっかり硬直状態・・・・・。
知り合いだろうがそうでなかろうが患者には手加減しないのが
名医たる所以らしい。
それにしても市内には眼科が2,30箇所有るだろうに
この盛況ぶり・・・・
9時診療開始、8時半には既に待合所は満員である。
医師と看護士ら約20名のスタッフが、きりきりと
見事な動きをしているのに感心させられた。
お蔭で患者がどれほどいても、待たずにやれる。
これは助かる、気分がいい。
(大勢の中で長時間待たされるだけで本当の病人になってしまうもの)
眼帯をさせられたが焦点がズレて危ない。
独眼流の伊達政宗や山本勘助らは強い男だったと、つくづく思う。
きょうも竹の子を貰う。
さっそくゆがいて、てっぺんの柔らかいところはサシミで食べる。
肉はもう50日以上、口にしていない。
さほど食べたいとも思わない。
目を病みて老鶯のこゑ間近にす やす
けさ、掘りたての筍が届く。
里山、高原山中腹の肥沃な土で育てられたもので
本場京都のものにも負けないほど、ほっくらして美味しい。
筍は時間が勝負、さっそくゆがく。
先のやわらかい部位は早めにひき上げて、山葵醤油で食べる。
一日に15センチも伸びる筍の精力、
他にもこの時季はいろんな木の芽や山菜を戴くので
それらの精力を食べ過ぎないよう注意が肝要。
うぶ声をあげたばかりの「いのち」、たとえ一本の草であっても、
そこには爆発的なパワーが秘められている。
うっかり食べ過ぎて体を壊すこともある。
女房などはたちまち吹き出物ができて大騒ぎとなる。
先日も万屋さんが裏山で採ったシロキ(コシアブラ)を届けてくれた。
タラの芽が木の芽の代表格にされているようだが
ぼくはこのシロキの方が上品で好きだ。
生まれたての「いのち」に感謝しながら戴こう!
FMラジオからカラヤン指揮のマーラーが流れている。
-------------五月は体の芯から力が湧いてくる。
きっと来るひとの予感に若葉光 やす
直売所で山ウドを見つけたので、さっそくキンピラを作る。
皮は剥かずに、べに花油でさっと炒める。
途中から少々の味醂、しょう油、赤唐辛子を加え
仕上げにごま油を振る。それだけのこと、それ以外は何も加えない。
強火で手早くやるのと、しょう油の良いものを使うのがコツ。
我が家の冷蔵庫から肉が消え
雑穀米を食べるようになってからひと月が過ぎた。
お蔭で胴回りが5cm細くなって、もうメタボなんて言わせない。
丸顔の頬もこけて
「どこか具合でも?」と、心配されたり
つぎの検査が楽しみである。
もし、尿酸値が下がっていたらお祝いにビフテキを200グラム・・・・
ほら! それがいけない。
ぼくは肉料理が大好きで、長い間、肉食に偏っていた。
その結果、幾度も結石に苦しめられたわけで
遅ればせながらようやくその因果に目が覚めた。
ほんとうは同胞でもある哺乳類の肉は食べない方が
良いと思っている。
蛋白質がアミノ酸に変わるように
彼らの悲しみが人間の体内で怨みに変化し
さまざまなわざわいを引き起こしてしまう。
---------そのような気がしてならない。
美食を止め、たっぷり水を飲み、決して間食をしない・・・・・
くいしんぼうのしんぼうは続く。
空きっ腹を水かけめぐる遠蛙 やす
こどもの日。
27年間、こどもの数が減っているという。
------------さもありなん。
今の社会環境は、こどもたちが健全に育っていくのに
はたして適していると言えるだろうか?
「地域の宝」だ、「国の未来」だ、 と言っておきながら
国も大人も本気でこどもたちのことを考えていない。
目先の利益や効率に奔走し、
こどもたちを最優先にはしていない。
なにひとつ注意のできない保護者たち。
こどもはお金を与えられスーパーやコンビニのものを食べ
お袋の味は、「お」が抜けて袋の味になってしまった。
ゆとりだ、いや! 詰め込みだと
勝ち組と負け組のレッテルを貼られ
負け組は居場所を失くし、勝ち組は人間性を失くし
勝っても負けても仲間はずれの疎外感・・・・
むしゃくしゃするので家に火をつけ、兎や猫を叩き殺し
そのような劣悪な環境下で、こどもの数が増えるはずはない。
植物が枯渇していく砂漠化と、全く同じ現象が起きている。
気づいていながら、環境破壊のように何も手を打たない。
たっぷりの水と
たっぷりの栄養と
たっぷりの光によって、いのちは繁茂する。
天に碧地にひかり殖え五月くる やす
きょうは憲法記念日。
9条を守ろう! と、津々浦々でシュプレヒコールがあがっている。
憲法イコール9条として語られることが大半で、
戦争放棄は日本人の永遠の祈りである。
併せて今は、25条にも思いをめぐらすときである。
「すべての国民は健康で文化的な最低限度の
生活を営む権利がある」 と、
国民の生活権と国の社会的使命について規定されているが
はたして実態はどうか?
子どもを育てながら貧困に喘いでいる母子家庭が増加している。
正社員から外されて不安定な労働を強いられる人たちが増えている。
病院の受け入れ拒否で救急患者がたらい回しされている。
借金抱えての自殺者が増えている。
企業優先による薬害や公害があとを絶たない。
長寿は国の厄介者という考えが蔓延している。
旨い汁を吸ってぶくぶく太っていく者と
じっと手を見ながら死んでいく者とのこの格差・・・・・
憲法とはなんぞや?
条文から外れた事実があれば国は強権をもってでもそれらを救済し
憲法を遵守すべきではないだろうか。
それこそが国の使命であり
憲法が憲法として存在する意義である。
五月来るひかりは雲をはぐくみつ やす