ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

くぬぎの下で

2010-07-18 17:25:20 | 日記・エッセイ・コラム

午後2時より
友人宅の庭でカントリーウエスタンの
野外コンサートがあった。

各自 自由に木陰にイスをならべ
冷たいジュースを飲みながらの
健康的で大らかなコンサートであった。

ギターかパーカッションのどれかに感応したらしく
ホトトギスが近くまでやってきて合の手を入れる。

夜は地元宿区の天王祭。
男たちの神輿が町内をねり歩き
浴衣の娘たちが黄色い声をあげる。
この日を境に毎年梅雨が明け
本格的な夏を迎えることになる。

しかし、長引く不況のせいか
供えられるご神酒料が毎年減少しているのは
ちょっと寂しい。

     お囃子に負けじと蝉の二重唱


アンデスの風

2010-07-17 23:10:00 | 日記・エッセイ・コラム

日光小杉放庵美術館のロビーにて
ケーナのコンサートがあった。

ケーナとは南米の竹笛で
その透明感のある音色には心洗われる。
伴奏のチャランゴ(小さめのギター)も歯切れよく
ボリビア辺りの民俗音楽の雰囲気がよく表われていた。

演奏曲はアンデス地方の名曲を中心に
いくつかのオリジナル曲を組み合わせていたが
とりわけ「雨上がりの午後」という曲は心に響き
もういちど聴きたいと思う。

終了したのは午後8時30分、
感動的な時間は過ぎるのも速い。

かえり道、河童という名の清潔そうな蕎麦屋で
鴨せいろを食べる。

エアコンを止めウインドウを全開にして走ると
地球の裏側から
アンデスの風が吹き込んできて
鴨居れいの描いた「ボリビアの男」が現われる。


流される

2010-07-14 23:52:58 | 日記・エッセイ・コラム

日本列島はついに
アジアモンスーン地帯に入ってしまったか。
あちこちで繰り返される集中豪雨の被害。

かつては数年に一度程度の台風被害はあっても
今日のような局地に起きるゲリラ豪雨などというものは
その呼び名すら無かった。

被害状況をテレビで見せつけられ
人間の無力さに哀しくなります。
普段、偉そうなことを言っていても
いざとなると手をこまねいているだけで
洪水ひとつ止められない。

いのちも暮らしも濁流に押し流され
毎年どこかの町で起きる大洪水。
日本列島よ、
いったい何処へ流されていく・・・・・

ふと 方舟のはなしが脳裏をよぎる。

     百日紅峠の空は真青なり


夢のまた夢

2010-07-12 16:41:25 | 日記・エッセイ・コラム

ハトヤマサンから始まった迷走のくりかえし。

理想と現実の大きなギャップに
国民は又も夢破れて
ほくそ笑んでいるのは霞が関の官僚たち。

一年前、政権交代を果たして
政治的に目ざめた国民。
理不尽に対しては行動することを覚えた大衆であったが

しかしそのことが却って待つ心を失くした。

ひとの心は移ろいやすく
節操と辛抱を忘れ
改革にはそれなりの時間が必要であることも許さず
なにがなんでも
すぐに手に入ることを望むようになった。

民主惨敗、自民復活、みんなの大躍進・・・・・
一歩進んで二歩下がる

国は国民の意識レベルのあらわれであり
熱しやすく冷めやすい国民性が
今日の政治の流れをつくっている。

鬱陶しいこの梅雨湿りのような日本国、
おだやかに暮らせるのはいつのことだろうか。

    うつうつと世はうつうつと心太

     


トラとウマ

2010-07-10 11:57:31 | 日記・エッセイ・コラム

夕べの天気予報では
夜半、北関東の局地で大雨がふるということだったので
急ぎ人を呼び寄せ
排水溝にポンプを備えたり
家の周りに板をめぐらしたり
雨合羽と長靴を手元に用意したりして
万全の予防態勢をとっていたが
雨は一晩中小降りですんだ。

ホント、いつも大げさなんだから と
妻に笑われたが〈備えあれば憂いなし〉
雨音がすると
僕の中のトラとウマが騒ぎ立てるのです。

三日置きに魚やから冷凍のアラが三パックづつ届く。
切り身や刺身の売れ残ったもので
外猫たちの餌になる。

ところが中には勿体ないほどの切り身があって
醤油、味醂、生姜で煮付けると
立派に人間さまのお惣菜になる。

ときどき そうして猫たちの上前を戴くこともあって
猫と人間の立場が益々混沌としてくる。

    托鉢の読経へ笑(えま)う立葵