ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

カニもナマコも

2011-02-17 00:19:00 | 日記・エッセイ・コラム

山陰から松葉蟹が届き
とある詩人から沢山のうどんを戴いたので
昨夜は蟹しゃぶとなる。

あらたまって嫌いというほどのことではないが
格別食べたいとは思わないものの一つに蟹がある。

蟹をたべたあとは決まって体がだるくなる。
前世でなにか蟹とトラブルでもあったか、
あるいは平家一族の怨みが
ぼくの体の中で炎えあがるのか・・・

べきべきと脚を折るあの音も
蟹は苦手である。

ところでロシアと中国が国後島に
ナマコ養殖の合弁会社をつくる計画があるようだが

戦争という熱きに懲りてなますを吹く
日本の足元を見透かされて
なんとも えげつない。


あうん

2011-02-15 12:42:05 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜は風呂から母屋にもどると
内からカギが掛けられていた。

妻はすでに姫たちとニ階の寝室へ。
裸のまま雪に吹かれながらカギを探し、ようやく。
他意はなく
火の元、戸締りに徹したのがつい、うっかりということだ。

またあるときは、お歳暮を贈るのにデパートに行くが
名簿を家のテーブルに広げたまま忘れてくる。

  物忘れ 勘違い まだらボケ・・・・・・

かつては あうんの呼吸で大かたは通じたのに
この頃危ない、あうんが危ない!

あうんのような高等なコミニュケーションには
豊かな想像力と俊敏な感性が必要条件。
テレビを見ながらの居眠りが多くなったこの頃では
・・・・・・もう あかん。
 ちちんぷいぷい あっちむいてほい

午後はロータリークラブの合同例会。
気が乗らないので、ゲストのスピーチだけ聴いて
懇親会は遠慮する。


おーい、誰かぁ

2011-02-14 14:15:29 | 日記・エッセイ・コラム

今の世の中を生きていくには
それなりのエネルギーと
それなりのお金が必要とされる。

かつてはニートやフリーターとして
働きたいときだけ働く自由な生き方がもてはやされた。
だが、今はどうだろうか。
慢性的不況つづきで、いざ働こうと思っても肝心の職場がない。

もともと人と人との関わりに疎い彼らに
手を差し伸べてくれる強い絆があるわけでもなく
ずるずると孤独の闇に引きこまれていく。

「やる気のない怠け者」 と、
強い者たちは烙印を押してしまうが
事はそんな単純なものではない。

放任主義家庭の中で、
絆や縁を知らずに育てられた彼らは
社会に出ても縁を結ぶ方法がわからないのだ。

 周囲の人たちから無視されている、
 相談できる人がいない、
 社会から見捨てられている、
こんな寂しい思いの若者が増えているとは・・・・・。

この先進国ニッポンで
この経済大国ニッポンで・・・・・・・。


すすめられて

2011-02-11 14:07:18 | 日記・エッセイ・コラム

ひとの薦めで谷崎潤一郎の『吉野葛』を読む。
いや、正確には平幹二郎朗読のCDを聴く。

明治末から大正初めの吉野を遊行した際に書かれた小説。
前半は歴史小説的内容であり
当時の大和の風景が優雅な文章で表現されている。
後半の母への思慕の描写はまさしく第一級の耽美派。
これだけ書ける作家は現代にはいない。

ぼくに共通しているところが多いからと
薦めてくれたのだが
母に向けられる慕情には深く共感し
マザーコンプレクッスが単なる感傷にとどまらず
より耽美的であり そして文学的であること
あらためて自分の本質を認識させられた。

中庭に残っていた雪がようやく解けたところへ
昼からの雪が降り積もっている。
明日の朝は
山から尾長たちが猫の餌をねらって騒がしくやってくるだろう。
それを梅の古木の陰でねらうシャムとネム・・・・

冬の寒さの中で野鳥も猫もしっかり生きている。
人間は、と言えば暖房の効いた台所で
角煮の味付けについてあれこれもめている。

     雪の夜の屋敷をだれか通りけり

        


しもつかれ

2011-02-05 16:22:01 | 日記・エッセイ・コラム

昼食にベーコンとじゃが芋のグラタンをつくる。
来客があったときに備え一つ余計につくる。

予感的中!
夕方、ガールフレンドが しもつかれ を届けてくれたので
おかえしにグラタンをあげる。

この時期はあちこちから しもつかれ が届けられ
三軒の しもつかれ を食べると
中気(脳卒中)にならないと言われている。

であっても、
ガールフレンド以外の しもつかれ は食べない。
作っているときの様子がイメージできないものは口にしない。

もんじゃ と同じように
しもつかれ ほど美意識を超えた食べものはないから。

     アオサギのごとし蜆汁啄ばみて