山陰から松葉蟹が届き
とある詩人から沢山のうどんを戴いたので
昨夜は蟹しゃぶとなる。
あらたまって嫌いというほどのことではないが
格別食べたいとは思わないものの一つに蟹がある。
蟹をたべたあとは決まって体がだるくなる。
前世でなにか蟹とトラブルでもあったか、
あるいは平家一族の怨みが
ぼくの体の中で炎えあがるのか・・・
べきべきと脚を折るあの音も
蟹は苦手である。
ところでロシアと中国が国後島に
ナマコ養殖の合弁会社をつくる計画があるようだが
戦争という熱きに懲りてなますを吹く
日本の足元を見透かされて
なんとも えげつない。
昨夜は風呂から母屋にもどると
内からカギが掛けられていた。
妻はすでに姫たちとニ階の寝室へ。
裸のまま雪に吹かれながらカギを探し、ようやく。
他意はなく
火の元、戸締りに徹したのがつい、うっかりということだ。
またあるときは、お歳暮を贈るのにデパートに行くが
名簿を家のテーブルに広げたまま忘れてくる。
物忘れ 勘違い まだらボケ・・・・・・
かつては あうんの呼吸で大かたは通じたのに
この頃危ない、あうんが危ない!
あうんのような高等なコミニュケーションには
豊かな想像力と俊敏な感性が必要条件。
テレビを見ながらの居眠りが多くなったこの頃では
・・・・・・もう あかん。
ちちんぷいぷい あっちむいてほい
午後はロータリークラブの合同例会。
気が乗らないので、ゲストのスピーチだけ聴いて
懇親会は遠慮する。
今の世の中を生きていくには
それなりのエネルギーと
それなりのお金が必要とされる。
かつてはニートやフリーターとして
働きたいときだけ働く自由な生き方がもてはやされた。
だが、今はどうだろうか。
慢性的不況つづきで、いざ働こうと思っても肝心の職場がない。
もともと人と人との関わりに疎い彼らに
手を差し伸べてくれる強い絆があるわけでもなく
ずるずると孤独の闇に引きこまれていく。
「やる気のない怠け者」 と、
強い者たちは烙印を押してしまうが
事はそんな単純なものではない。
放任主義家庭の中で、
絆や縁を知らずに育てられた彼らは
社会に出ても縁を結ぶ方法がわからないのだ。
周囲の人たちから無視されている、
相談できる人がいない、
社会から見捨てられている、
こんな寂しい思いの若者が増えているとは・・・・・。
この先進国ニッポンで
この経済大国ニッポンで・・・・・・・。
ひとの薦めで谷崎潤一郎の『吉野葛』を読む。
いや、正確には平幹二郎朗読のCDを聴く。
明治末から大正初めの吉野を遊行した際に書かれた小説。
前半は歴史小説的内容であり
当時の大和の風景が優雅な文章で表現されている。
後半の母への思慕の描写はまさしく第一級の耽美派。
これだけ書ける作家は現代にはいない。
ぼくに共通しているところが多いからと
薦めてくれたのだが
母に向けられる慕情には深く共感し
マザーコンプレクッスが単なる感傷にとどまらず
より耽美的であり そして文学的であること
あらためて自分の本質を認識させられた。
中庭に残っていた雪がようやく解けたところへ
昼からの雪が降り積もっている。
明日の朝は
山から尾長たちが猫の餌をねらって騒がしくやってくるだろう。
それを梅の古木の陰でねらうシャムとネム・・・・
冬の寒さの中で野鳥も猫もしっかり生きている。
人間は、と言えば暖房の効いた台所で
角煮の味付けについてあれこれもめている。
雪の夜の屋敷をだれか通りけり
昼食にベーコンとじゃが芋のグラタンをつくる。
来客があったときに備え一つ余計につくる。
予感的中!
夕方、ガールフレンドが しもつかれ を届けてくれたので
おかえしにグラタンをあげる。
この時期はあちこちから しもつかれ が届けられ
三軒の しもつかれ を食べると
中気(脳卒中)にならないと言われている。
であっても、
ガールフレンド以外の しもつかれ は食べない。
作っているときの様子がイメージできないものは口にしない。
もんじゃ と同じように
しもつかれ ほど美意識を超えた食べものはないから。
アオサギのごとし蜆汁啄ばみて