浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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今日のポタリング

2010-11-03 13:05:00 | 自転車
久しぶりに自転車を踏んで参りました。

今はもうない掘の気配を追ってみた。

舟入川跡

ここは江戸時代から大正にかけて入舟川と云う川が流れていた場所。北から井戸の橋、神明橋、土橋、榎本橋という橋が架かっていたそうです。今は四十町通りと呼ばれています。

送信者 水門と橋その2




旧葛西橋

ここから東西に流れるのは境川。

送信者 水門と橋その2





境川跡

送信者 水門と橋その2


一本南へ下るとここは元〆川跡という事になるらしい。

豊砂橋


送信者 水門と橋その2


井住橋

木場を通って深川へ。

送信者 水門と橋その2



そして今日のメインイベント。

八幡橋

この八幡橋は明治11年に中央区の京橋楓川に架けられていた橋で、弾正橋と云う名だった。大正二年に新しい弾正橋が架けられた事から元弾正橋と改名され、昭和4年に廃橋され、この場所に移設され八幡橋という名前に変わったものだそうだ。

アーチの部分は鋳鉄製、引張材は錬鉄製、鋳錬混合の橋は珍しいものなのだそうだ。


送信者 水門と橋その2


この佇まいとデザイン。素晴らしいですね。


送信者 水門と橋その2


これは是非渡らせていただかないと。


送信者 水門と橋その2


この下を流れていたのは八丁堀です。

送信者 水門と橋その2



八丁堀跡

川の名残がまざまざと残っていていいですねぇ。

送信者 水門と橋その2



旧新田橋

こちらは昭和7年に、大横川に架けられた橋で、新田清三郎と云うお医者さんが事故で亡くなった事から地元の人たちの有志に橋供養として架けられたものだそうです。

送信者 水門と橋その2



雲雀橋

送信者 水門と橋その2





白妙橋

送信者 水門と橋その2


白妙橋は塗り直されてとてもキレイになっておりました。


こちら運河とJR京葉線を跨ぐ人道橋。京葉線はこの真下で地下に入る。

普段は通勤で電車から眺めている場所だが、地上はこんな景色になっていたんですね。

しおかぜ橋

送信者 水門と橋その2


しかもこの橋。なかなか素敵じゃないですか。

送信者 水門と橋その2


ぐるぐると地図を見ながらのんびりと走ってきました。朝は北風がちょっと辛かったですが、徐々に穏やかな天候となりとても気持ちいいポタリングでした。