浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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今夜は独りで

2018-06-10 22:05:00 | 出来事
なんだかんだありましたが今夜は独りで自宅で酒盛りしております。
定番の「君がいた夏」のDVDをかけて、もう百回以上は観ているはず・・・。
父のことを想うとき必ず浮かぶ光景があります。
間違いなく仙台の海なんだろうと思うのだが、その海で僕は父の背中におぶさっていて、親父は僕を背負って力強く波をかきわけてずんずんと泳いでいく。僕はその父の力強さに目を瞠りつつ波を超えていく自分達のことを愉しげに、誇らしく、そしてまた「もっと早く!」と急き立てているのでした。


何時の事なのかどこの事なのか解らないけれどもその光景というかそれは現実のことであって間違いのない記憶だと僕は確信している。

息子とプールで遊んでいるときにふとその光景が蘇り、僕も息子を・・と思ったのだけど、そもそも泳ぎが不得意で、まして真水だったそのシチュエーションで僕は力強く泳ぐどころか沈まないでいるのが精一杯で・・・・

きっと息子の記憶にものこらなかっただろうその一瞬は、自然の下でもなくて屋根付きのプールで僕は一人勝手に敗北していったのでありました。


海にもスキーにもまともに子ども達を連れて行くことができなかった自分は親としてどうなのかと考えるに焦りを通り越して敗北感にまみれる。

一方であれやこれや連れ回して遊んでくれた父にはいろいろなことを経験させてもらいました。それが僕の人生を形作り今の僕がある・・・・

いろいろできなかったけれども、僕は僕で精一杯いろいろやってきたつもりだ。子ども達が思い起こす僕がどんな姿でどんなことしているのか。

そんなことはわからないけれども、それでもきっと何か忘れられない光景というものはひとそれぞれあるに違いないと思うことにしよう



仙台弾丸帰省とか

2018-06-10 18:05:00 | 出来事
実父はいよいよ食事が取れなくなってしまいました。一番の楽しみでいた食事が取れないのは本人にとってもとても残念で悲しいことなのだろうと思う。

なんとか帰省して一緒に過ごしたいということで、土日で僕と息子が、日曜からカミさんが、カミさんと一緒に一泊の予定で娘が帰省です。

僕と息子と三人で昔のアルバムをめくって静かに過ごす時間を作ることができました。
一切何も言わないし、僕らの言っていることが聞こえているのかどうなのかわからないのだけど、一枚一枚写真を目で負っている父にはいろいろな想いが浮かんでいたのではないかと思う。

もう大人になった二人の孫の乳児の頃の写真や自分の結婚式の写真なんかをじっと眺めていました。

かれこれ15年も過ごしてきた介護施設のスタッフの方々に支えられてここまで元気に長生きしてきたことは本当にありがたいことだと思います。



折しも東日本大震災の際にいらっしゃったスタッフさんが再び配属になっていて、ご挨拶させて頂いたのですが胸が熱くなる思いでした。震災の際には入所者をホールに集めて一食も食事を欠かす事無く面倒をみてくれていたのでした。
浦安の僕らですらまともに食事できない日々だったのにね。



帰り道、かつての実家があった場所に立ち寄りました。道路整備計画地域で市の買収になったところです。工事が進んでいるところもあるけど、我が家のところはまるで野っぱら。買収されなかったら父を施設に預けるのは難しかったでしょう。考えるのも恐ろしい。



仙台にいる間は義父のところにおじゃましております。食べられない父がいるのに申し訳ないのだけれども、三人でお鮨食べてお酒飲んで。義父は義父で一人暮らしなので僕らと飲食するのは楽しい時間として来るのを待ってくれていたのでした。
仙台のお鮨は最近益々美味しくなってきてると思うなー。



新幹線の待合時間ができたので東口に走ってポータルゲットとか。でも今回はほんとに遊んでいる暇なんてありませんでした。



帰りの新幹線、福島の先でカミさんと娘が乗ったやつとまさかのすれちがいという稀有な体験をしました。相対速度はおそらく時速500キロぐらいでしょうか。あとはたのんだぞー。