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五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ガルフカラーのミニカー

2014年09月01日 | ミニカー
私の好きなガルフカラーのミニカーは、これまでも何度か取り上げてきました。

古くは1968年、1969年のル・マンを制したフォードGT40(同じシャシーのレースカーが二年連続で優勝)、1970年、1971年のル・マンを走ったポルシェ917(残念ながらガルフカラーのものは優勝できず)、1975年優勝のミラージュGR8、そして1997年総合2位のマクラーレンF1 GTRなど、枚挙にいとまはありません。

今回ご紹介するのは、その後購入したガルフカラーのミニカー達です。

まずは冒頭の写真、1996年のル・マンを走った2台のガルフ・マクラーレンF1 GTRのうちの一台。
33号車のドライバーはJ.J.レート、ジェームズ・ウィーバー、レイ・ブルムの3名。

J.J.レートは前年(1995年)のル・マンにやはりF1 GTRで参戦し、日本人ドライバー関谷正徳さんらとともに総合優勝しているのですが、1996年はガルフレーシングのF1 GTRでエントリーしています。
彼はF1ドライバーとしても有名ですね。余談ですが。
レイ・ブルムはガルフ・レーシングのオーナー兼ドライバーです。

結果は総合9位。

ちなみにもう1台の34号車は総合5位に入りました。
こちらの方が上位入賞車なので、オークション市場で探していましたが、33号車の方が安い値段で出されていたので、節操なくこちらを選びました。
まあ、同じ塗装だし...。


1997年には3台のガルフ・マクラーレンF1 GTRがル・マンにエントリーし、このうちの41号車が見事総合2位(クラス優勝)を獲得して表彰台に上がりました。


この41号車は以前にもブログに載せたことがありますが、それを忘れて今回あらためて撮影してしまいました。
せっかくですので、載せておきます。

[以前に撮った写真]とは少し違う角度で撮れるようになりました。ほとんどカメラのおかげなんですが。

※2台のF1 GTRはいずれもhpi racing製です。


2001年、ガルフはアウディR8で久々にル・マンに戻ってきました。
この年のル・マンはアウディR8が連覇した年ですが、ガルフ・アウディR8は予選を5位に付けたものの、決勝レースでは残念ながらわずか35周でリタイヤしてしまいました。

それでも、水色とオレンジのガルフ・カラーをまとったアウディR8はシンプルながら美しく、オープン・シーターということもあって、どこかミラージュGR8を思い起こさせるスタイリングです。
モデルはイクソ製。


その後ガルフ・レーシングは表彰台から遠ざかってしまいます。
2009年、総合4位に入ったアストンマーチンDBR1-2が「惜しかった」というところでしょうか。

 → 「わずか4周」(アストンマーチンAMR-One)


以下、おまけとして。

ル・マン参戦車ではないものの、同じガルフカラーということでこの機会に隅っこに載せておくことにしましょう。
陳列台でも端っこなので、少しはスポットライトを向けて上げようと思います。

1台は、1970年のデイトナ24時間レースを走ったポルシェ917K。

ドライバーはJ.シファートとB.レッドマン。
総合2位の結果でした。
オートアートのモデルは丁寧な作りに定評があります。
本来高価なミニカーですが、オークションで安く入手することができました。

もう一台のポルシェ917Kは同じ1970年のモンツァ1000kmレースに出場したクルマ。

P.ロドリゲスとL.キニューネンのドライブにより、見事優勝を飾っています。

モデルはブルム製、他のモデルに比べるとチープな印象を受けますが、私にとっては貴重な一台です。
何せ、ロドリゲス/キニューネンのコンビで、この年3勝を挙げ選手権総合優勝に大きく貢献したシャシーNo.016なのですから。(そんなことは誰も興味を抱かないでしょうが、あえて記しておきます)

2台の917Kは見た目に同じに見えますが、ブレーキなど細かな修正がしてあるようです。
ミニカーを見比べても私にはなかなかそこまではわかりません。
コメント
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