私の好きなガルフカラーのミニカーは、これまでも何度か取り上げてきました。
古くは1968年、1969年のル・マンを制したフォードGT40(同じシャシーのレースカーが二年連続で優勝)、1970年、1971年のル・マンを走ったポルシェ917(残念ながらガルフカラーのものは優勝できず)、1975年優勝のミラージュGR8、そして1997年総合2位のマクラーレンF1 GTRなど、枚挙にいとまはありません。
今回ご紹介するのは、その後購入したガルフカラーのミニカー達です。
まずは冒頭の写真、1996年のル・マンを走った2台のガルフ・マクラーレンF1 GTRのうちの一台。
33号車のドライバーはJ.J.レート、ジェームズ・ウィーバー、レイ・ブルムの3名。
J.J.レートは前年(1995年)のル・マンにやはりF1 GTRで参戦し、日本人ドライバー関谷正徳さんらとともに総合優勝しているのですが、1996年はガルフレーシングのF1 GTRでエントリーしています。
彼はF1ドライバーとしても有名ですね。余談ですが。
レイ・ブルムはガルフ・レーシングのオーナー兼ドライバーです。
結果は総合9位。
ちなみにもう1台の34号車は総合5位に入りました。
こちらの方が上位入賞車なので、オークション市場で探していましたが、33号車の方が安い値段で出されていたので、節操なくこちらを選びました。
まあ、同じ塗装だし...。
1997年には3台のガルフ・マクラーレンF1 GTRがル・マンにエントリーし、このうちの41号車が見事総合2位(クラス優勝)を獲得して表彰台に上がりました。

この41号車は以前にもブログに載せたことがありますが、それを忘れて今回あらためて撮影してしまいました。
せっかくですので、載せておきます。
[以前に撮った写真]とは少し違う角度で撮れるようになりました。ほとんどカメラのおかげなんですが。
※2台のF1 GTRはいずれもhpi racing製です。
2001年、ガルフはアウディR8で久々にル・マンに戻ってきました。
この年のル・マンはアウディR8が連覇した年ですが、ガルフ・アウディR8は予選を5位に付けたものの、決勝レースでは残念ながらわずか35周でリタイヤしてしまいました。

それでも、水色とオレンジのガルフ・カラーをまとったアウディR8はシンプルながら美しく、オープン・シーターということもあって、どこかミラージュGR8を思い起こさせるスタイリングです。
モデルはイクソ製。
その後ガルフ・レーシングは表彰台から遠ざかってしまいます。
2009年、総合4位に入ったアストンマーチンDBR1-2が「惜しかった」というところでしょうか。
→ 「わずか4周」(アストンマーチンAMR-One)
以下、おまけとして。
ル・マン参戦車ではないものの、同じガルフカラーということでこの機会に隅っこに載せておくことにしましょう。
陳列台でも端っこなので、少しはスポットライトを向けて上げようと思います。
1台は、1970年のデイトナ24時間レースを走ったポルシェ917K。

ドライバーはJ.シファートとB.レッドマン。
総合2位の結果でした。
オートアートのモデルは丁寧な作りに定評があります。
本来高価なミニカーですが、オークションで安く入手することができました。
もう一台のポルシェ917Kは同じ1970年のモンツァ1000kmレースに出場したクルマ。

P.ロドリゲスとL.キニューネンのドライブにより、見事優勝を飾っています。
モデルはブルム製、他のモデルに比べるとチープな印象を受けますが、私にとっては貴重な一台です。
何せ、ロドリゲス/キニューネンのコンビで、この年3勝を挙げ選手権総合優勝に大きく貢献したシャシーNo.016なのですから。(そんなことは誰も興味を抱かないでしょうが、あえて記しておきます)
2台の917Kは見た目に同じに見えますが、ブレーキなど細かな修正がしてあるようです。
ミニカーを見比べても私にはなかなかそこまではわかりません。
古くは1968年、1969年のル・マンを制したフォードGT40(同じシャシーのレースカーが二年連続で優勝)、1970年、1971年のル・マンを走ったポルシェ917(残念ながらガルフカラーのものは優勝できず)、1975年優勝のミラージュGR8、そして1997年総合2位のマクラーレンF1 GTRなど、枚挙にいとまはありません。
今回ご紹介するのは、その後購入したガルフカラーのミニカー達です。
まずは冒頭の写真、1996年のル・マンを走った2台のガルフ・マクラーレンF1 GTRのうちの一台。
33号車のドライバーはJ.J.レート、ジェームズ・ウィーバー、レイ・ブルムの3名。
J.J.レートは前年(1995年)のル・マンにやはりF1 GTRで参戦し、日本人ドライバー関谷正徳さんらとともに総合優勝しているのですが、1996年はガルフレーシングのF1 GTRでエントリーしています。
彼はF1ドライバーとしても有名ですね。余談ですが。
レイ・ブルムはガルフ・レーシングのオーナー兼ドライバーです。
結果は総合9位。
ちなみにもう1台の34号車は総合5位に入りました。
こちらの方が上位入賞車なので、オークション市場で探していましたが、33号車の方が安い値段で出されていたので、節操なくこちらを選びました。
まあ、同じ塗装だし...。
1997年には3台のガルフ・マクラーレンF1 GTRがル・マンにエントリーし、このうちの41号車が見事総合2位(クラス優勝)を獲得して表彰台に上がりました。

この41号車は以前にもブログに載せたことがありますが、それを忘れて今回あらためて撮影してしまいました。
せっかくですので、載せておきます。
[以前に撮った写真]とは少し違う角度で撮れるようになりました。ほとんどカメラのおかげなんですが。
※2台のF1 GTRはいずれもhpi racing製です。
2001年、ガルフはアウディR8で久々にル・マンに戻ってきました。
この年のル・マンはアウディR8が連覇した年ですが、ガルフ・アウディR8は予選を5位に付けたものの、決勝レースでは残念ながらわずか35周でリタイヤしてしまいました。

それでも、水色とオレンジのガルフ・カラーをまとったアウディR8はシンプルながら美しく、オープン・シーターということもあって、どこかミラージュGR8を思い起こさせるスタイリングです。
モデルはイクソ製。
その後ガルフ・レーシングは表彰台から遠ざかってしまいます。
2009年、総合4位に入ったアストンマーチンDBR1-2が「惜しかった」というところでしょうか。
→ 「わずか4周」(アストンマーチンAMR-One)
以下、おまけとして。
ル・マン参戦車ではないものの、同じガルフカラーということでこの機会に隅っこに載せておくことにしましょう。
陳列台でも端っこなので、少しはスポットライトを向けて上げようと思います。
1台は、1970年のデイトナ24時間レースを走ったポルシェ917K。

ドライバーはJ.シファートとB.レッドマン。
総合2位の結果でした。
オートアートのモデルは丁寧な作りに定評があります。
本来高価なミニカーですが、オークションで安く入手することができました。
もう一台のポルシェ917Kは同じ1970年のモンツァ1000kmレースに出場したクルマ。

P.ロドリゲスとL.キニューネンのドライブにより、見事優勝を飾っています。
モデルはブルム製、他のモデルに比べるとチープな印象を受けますが、私にとっては貴重な一台です。
何せ、ロドリゲス/キニューネンのコンビで、この年3勝を挙げ選手権総合優勝に大きく貢献したシャシーNo.016なのですから。(そんなことは誰も興味を抱かないでしょうが、あえて記しておきます)
2台の917Kは見た目に同じに見えますが、ブレーキなど細かな修正がしてあるようです。
ミニカーを見比べても私にはなかなかそこまではわかりません。