五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

9年前のできごと

2020年03月12日 | 日々のつれづれに
35年間勤めた会社を辞め、山梨に戻って再就職の準備をしていた矢先の出来事でした。

2011年3月11日。

自宅で家内と二人でテレビを見ていた時、でしたね。
突然家の壁が揺れて、地震かと思い画面を見ると、そこには...。
現実とは思えない映像が次々と映し出されました。

始めて見る本物の津波のおそろしさでした。
船が、クルマが、そして多くの建物が、大きい波に飲みこまれていくのをリアルタイムに見ているという。

それからガソリンを始めとする物資不足の狂騒。
計画停電によって闇に包まれた街。

私は就職をあきらめ、縁あってコンサルタントの仕事に就きました。
組長や区長を経験し、防災士の資格を得たりもしました。
今までなかった非常持ち出し袋やヘルメットも準備しました。


あの震災から9年。


東北の町は本当に復興したのか?
建物や町並みは完成したけれど、肝腎の人々は戻ってきたのか?
昔通りの暮らしを取り戻すことができたのだろうか?

その後も、台風、大雪、豪雨などが続きました。
現地の人達を除いては、大震災という言葉も、次第に忘れ去られてゆき、
一年に一度記憶の底から引っ張り出されるだけになってはいないでしょうか?

そして、今また新型コロナウィルスによる「パンデミック」。
天災ならば、時の流れとともに収まることはわかっていても、目に見えないウィルスは、いつ終息するかどうかもわかりません。
今回のウィルス騒ぎ(というレベルでは表現しきれませんが)は、天災と呼ぶには謎が多い気がします。

コメント
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