五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

金色のローラT70

2011年11月01日 | ミニカー
金色に輝く2台のローラT70。

向こう側のカーナンバー15が1967年の日本GPに出走したもの、手前の#11は翌年1968年の日本GPに出走したもの。
ドライバーはどちらも安田銀治選手(故人)です。

北米のCan-Amレースに出ていた2座席レーサーを、1967年のレースに間に合わせるために輸入したもので、#15はレースの規格(ウィンドシールド、ヘッドライト、トランクスペース、スペアタイヤの設置)に合わせるために大急ぎで改造した後が見えます。

改造箇所はガムテープ貼りでお世辞にもすばらしい仕上がりとは言えず(逆にミニカーでリアルに再現しているところがすごい)、練習不足もあって成績も振るわず、最終的にリタイヤしてしまいます。
排気量5,500cc、495馬力。最高スピードは富士のストレートで300km/hは出ていたと聞きます。レースでは1周目の途中ででトップに立つも最終コーナーでスピンし他の車を巻き込んでその後のレース展開に影響を与えました。

翌年の日本GPにはグループ7のマシンとしてオリジナルに近いカタチで出走しました。それが#11です。
残念ながらこのレースでも50周目にオーバーヒートのためリタイヤしています。
ひざまでしかないような低い車体はさすがに美しく、Can-Amレースでの勇姿を彷彿とさせます。



ということで、この2台のミニカーのオリジナルは(おそらく)同じクルマなのです。
並べて見比べることができるのもミニカーの楽しみのひとつなのかもしれません。

さて1969年、安田選手はチーム・ヤスダを率いてローラT160(排気量7,600ccというモンスターマシンでした)と2台のローラT70をエントリーさせます。このうちの1台が前年の#11だったように思えるのですが詳しいことはわかりません。
なお、ローラT70は1台のみが真田睦明/粕谷勇両名のドライブで予選を通過しましたが、決勝では安田選手ドライブのT160ともどもリタイヤしています。
資料で見ると、このときのローラT70は車体が白、エンジンの取り付け方なども#15や#11とは異なるようなので、別物かもしれません。

安田選手については、すごいお金持ち(何しろローラT70をキャッシュで買ったという)でその後実業家に転じラスベガスのホテル王になったとかいう伝説もある方です。
ネットで検索するといろいろとその後のお話が出てきて興味深いのですがここでは触れないでおきます。

モデルはエブロ製、1/43スケール。


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