動作練習しているときには
動きの方向性や主次の関係などといった
7つの要求(うちの教室での場合)を
意識して実践しています。
今年はいつもと少し違う取り組み方を
しているらしい自分を感じます。
“らしい”というのも妙な話ですが、
気がついたらいつもと違っていたという…
なんとも受動的な印象なんですよね。
いままでは、自分なりの課題(目標)を
あらかじめ掲げて練習してたのですが、
今回はほとんど考えてなかったような気がします。
状況に対する慣れともまた違う
“ふだんさ加減”とでもいったらよいのかしらん。
集体も個人もそれなりの練習意識をもって
やっていますが、
日々の練習時の意識があくまでベースです。
その意味では練習内容も
まったく変わらないともいえるんです。
だから特別でもなんでもない感覚に
なっちゃうんですね。
もしそれが自然なことだとしたら…
いままでの自分は、むしろ何か特別なこととして
やりたかったのかもしれないですねぇ。
内よりも外に向かう意識の方が
強く働いていたということなのでしょうかね。
うーん、なんかちょっと変わってきてるような気がします。
動きの方向性や主次の関係などといった
7つの要求(うちの教室での場合)を
意識して実践しています。
今年はいつもと少し違う取り組み方を
しているらしい自分を感じます。
“らしい”というのも妙な話ですが、
気がついたらいつもと違っていたという…
なんとも受動的な印象なんですよね。
いままでは、自分なりの課題(目標)を
あらかじめ掲げて練習してたのですが、
今回はほとんど考えてなかったような気がします。
状況に対する慣れともまた違う
“ふだんさ加減”とでもいったらよいのかしらん。
集体も個人もそれなりの練習意識をもって
やっていますが、
日々の練習時の意識があくまでベースです。
その意味では練習内容も
まったく変わらないともいえるんです。
だから特別でもなんでもない感覚に
なっちゃうんですね。
もしそれが自然なことだとしたら…
いままでの自分は、むしろ何か特別なこととして
やりたかったのかもしれないですねぇ。
内よりも外に向かう意識の方が
強く働いていたということなのでしょうかね。
うーん、なんかちょっと変わってきてるような気がします。