周流は連続の概念がベースとなっている。
たとえば起勢と収勢が同じ型であるとか
準備姿勢と終了姿勢が変わらないとか。
終わりと始まりが重なるようになっている。
あるいは終わりが更なる始まりを
導き出すかのような状態。
連続、周回。
連続してくり返されることが
流れとしてみえてくる(周流)。
例によってまずは解字から。
「周」は会意文字。
用と口をあわせた字。
口をよく用いてことばをつくすことから
こまかいこと、ひろくゆきわたることを表す。
意味は
1.めぐる、めぐらせる
2.めぐり、まわり
3.あまねく、広くゆきわたる
4.広くゆきわたらせる
5.救う
6.いたる、至極
7.ゆきとどく
8.まこと、忠信
9.私心なく人と親しむ
10.曲がった所
など
「流」は会意文字。
さんずいは水を、
つくりは子を逆さにした形と川(羊水の意)から
子がうまれる(出産)形。
水が急に流れ出ること
また、なめらかに
いくすじにも分かれて流れることを表す。
意味は
1.ながれる
2.ながす
3.さすらう
4.もとめる。えらびとる
5.広める、ゆきわたらせる
6.たしかでない、根拠がない
7.たぐい、なかま
8.階級
9.学術芸能などの流儀
など
あらためて調べてみると
明確な円みという概念はなさそうだ。
かろうじて「周」の“めぐり、まわり”あたりが
それに近いニュアンスを含みそうな感じ。
ちなみに円み・輪といった形状の意味を
明確に表すものには「環」がある。
循環・環状などの使い方には
ある種の連続性を感じるともいえるが
周流と比べると限定されいる感は否めない。
環はより形を意識していそうな感じ。
輪を象っている要素は均質に思える。
たとえばリング、ドーナツなど
輪を作っている部分とそれ以外とでは
互いに異質であり明確に分かれている。
混じり合うことはない。
互いを二分する境界線が存在している。
周はこの境界線が曖昧に思えるのだ。
もしかしたら周と環の違いは
鬆の習得段階にも通じるものかも。
環は内外の境界が意識されてる段階であり
周は内外が融合しあった状態。
そして連続・周流のもとである動き。
動きは変動、変化だ。
古人は変化を易と称して
その道筋や流れから法則を読み解いた。
それが周易のちの易経。
周流を意識することは変化を味わうこと。
太極拳の原理、哲理とふれあうことでもあると思う。
ようやくここに至ったかという感じ。
たとえば起勢と収勢が同じ型であるとか
準備姿勢と終了姿勢が変わらないとか。
終わりと始まりが重なるようになっている。
あるいは終わりが更なる始まりを
導き出すかのような状態。
連続、周回。
連続してくり返されることが
流れとしてみえてくる(周流)。
例によってまずは解字から。
「周」は会意文字。
用と口をあわせた字。
口をよく用いてことばをつくすことから
こまかいこと、ひろくゆきわたることを表す。
意味は
1.めぐる、めぐらせる
2.めぐり、まわり
3.あまねく、広くゆきわたる
4.広くゆきわたらせる
5.救う
6.いたる、至極
7.ゆきとどく
8.まこと、忠信
9.私心なく人と親しむ
10.曲がった所
など
「流」は会意文字。
さんずいは水を、
つくりは子を逆さにした形と川(羊水の意)から
子がうまれる(出産)形。
水が急に流れ出ること
また、なめらかに
いくすじにも分かれて流れることを表す。
意味は
1.ながれる
2.ながす
3.さすらう
4.もとめる。えらびとる
5.広める、ゆきわたらせる
6.たしかでない、根拠がない
7.たぐい、なかま
8.階級
9.学術芸能などの流儀
など
あらためて調べてみると
明確な円みという概念はなさそうだ。
かろうじて「周」の“めぐり、まわり”あたりが
それに近いニュアンスを含みそうな感じ。
ちなみに円み・輪といった形状の意味を
明確に表すものには「環」がある。
循環・環状などの使い方には
ある種の連続性を感じるともいえるが
周流と比べると限定されいる感は否めない。
環はより形を意識していそうな感じ。
輪を象っている要素は均質に思える。
たとえばリング、ドーナツなど
輪を作っている部分とそれ以外とでは
互いに異質であり明確に分かれている。
混じり合うことはない。
互いを二分する境界線が存在している。
周はこの境界線が曖昧に思えるのだ。
もしかしたら周と環の違いは
鬆の習得段階にも通じるものかも。
環は内外の境界が意識されてる段階であり
周は内外が融合しあった状態。
そして連続・周流のもとである動き。
動きは変動、変化だ。
古人は変化を易と称して
その道筋や流れから法則を読み解いた。
それが周易のちの易経。
周流を意識することは変化を味わうこと。
太極拳の原理、哲理とふれあうことでもあると思う。
ようやくここに至ったかという感じ。