ゆきんこブログ

月刊ガソリンスタンド誌
『変化と試練が、人と企業を強くする』
連載中!

バロン西

2006年12月16日 08時46分44秒 | Weblog
昨日、仕事が終わってから「硫黄島からの手紙」を鑑賞してきました。
さすがにアカデミー賞候補作品です。
完全な日本語版のアメリカ映画でした。
アメリカでは英語の字幕スーパーで見ているのでしょうか・

渡辺兼の栗林中将もよかったのですが、
私自身一番衝撃を受けたのはロサンジェルスオリンピックの馬術の金メダリスト西中佐でした。バロン西(西男爵)としてアメリカで最も尊敬されている日本軍人です。彼は男爵と呼ばれているようにまさに日本を代表する軍人であり紳士ですが硫黄島で壮烈な戦死をされていたのです。

過日、私は西中佐の息子さんと親しく面談して気が合い、居酒屋で親しく酒を飲みがらバロン西の話を生で伺う機会があったのです。

今回。仕事の関係でお会いしたのですが、実は以前から西さんとは顔を合わていたのです。しかし、こんな詳しい話を伺ったのは初めてでした。

実は西さんは、以前誰でも知っている日本の某コンツェルンにお勤めでした。
現在では日本企業の買収で著名な外資の投資ファンドグループの相談役です。全国各地のゴルフ場を買収してリエンジニアリング(企業再構築)に取り組んでいます。広いようで狭いのが世間です。プロゴルファーで非常に親しい共通の友人が何人かおりまして話題が弾みました。

今考えれば、私自身がバロン西のご子息自身の「その後」、まさに「硫黄島からの手紙」の映画と現在につながるドキュメントを生で拝聴したわけですから、今になってからすごい衝撃を受けています。まるでこれこそが人生の生のドラマです。

西さんは、あのSコンツェルンの創立者であり衆議院議長までされた傑物の書生として引取られ育てられていたのです。その後、あのSグループの番頭格として仕事をなさっていましたがその後バブル崩壊などで日本の世の中も変わりました。まさかと思われたSコンツェルングループの崩壊で一線を退いたのです。

その後、現在の外資の投資ファンドグループにヘッドハンティングされ現在があります。私は西さんがまさかあの有名な西中佐、バロン西の息子さんである事を全く存じ上げませんでした。

なぜ、Sグループの創立者の最後の書生となったのか?
お酒を飲みながら、お聞きしました。
「実は、須賀さん。私の父はバロン西と呼ばれた。ロス五輪の馬術の金メダリストだったのですよ。昔の事ですからご存じないかもね・・、父は硫黄島で戦死しました。きっと父の威光があったのかも知れません・・・」彼は、しんみりと日本酒を飲み干しました。

しばらく、沈黙がありました。
私は、颯爽と馬に乗って走るバロン西が金メダルを取った写真を見た事がありました。もちろん戦前のことですが、戦後世代の我々にも日本史の教科書にも載っていたような気がします。

それから、西中佐、バロン西のお話をご子息からお聞きした訳です。

まさに「硫黄島からの手紙」の『その後』のドラマです。

硫黄島におけるバロン西の壮絶な戦死からSグループの勃興、そしてT一族の崩壊。
西さんの人生はまるでドラマのようですが、本当の話。

私自身の人生も色々ありました。西さんも知っています。

男の人生には色々あります。

それぞれが壮絶な人生ドラマです。

いつの日か、小説でも書きたくなるような男達の生きざま。
まさに人生ドラマなのです。