基本 ブログランキングは本当は好きではありません…
しばらくしてから、やっぱりしなければよかった!と、後悔
以前にもそうした経験があるのに、またやってしまいました
ひとえに簡単にブログをやめないためのことだと思っています
意図的に隠すこともできるようですが、それならばやめたほうがずっといいですよね
だから考え方がどこか中途半端なのです
中途半端な人間の一生は、このまま終えるのでしょうか?
もう少し自分らしくありたいな、と思っています
なのに、この年になって、ウチにはいない幻の夫、口を開かない長男、
私のうで枕がないと寝れない愛犬で日々翻弄されている…
みんな自立してるようで自立していないんだよね
夕べ、息子は帰宅しなかった。早朝帰ってきた。夕飯がそのまま残ってた…
おにぎりばっか作ってたので久しぶりに弁当
暑いので作っても、と思うのですが、今日は比較的涼しくなりそう…
鮭のハラミが入ってます。肉でいうと切り落としみたいな感じ?
大体は半値で買っています。国産と思われた鮭は、養殖でありました
これはお昼に試食として食べたドライカレー
ピーマンもひき肉も人参も冷凍してありました
生はタマネギだけ。みりんレーズンのつけ汁を入れてみました
ほんのりあまみがつきました。トマトケチャップのほかにトマトペーストを使いました
長男の夕飯をそのまま朝食にしました
フライパンでこのまま炒めます。レンジでもいいですがフライパンであっためなおしました
ドライカレーはいろんな料理に応用がききます
これにナスのみそ汁、トマト、ソーセージの炒め物、コーヒーを添えました
人手不足の会社なので、時々シフトが変更するようです
いつもならメールで教えてくれるのですが、それも忘れます
こうしたことが見えないストレスとなってるようです。自分では気づきません
私はいつものようにごはんをたべてくれればそれでいいんです
他はなにも望みません。
珍しく服を片付けました。長男の服です。片付けると嫌がられますがあまりにもごちゃごちゃ
片付けるのは好きなんです。
ポリ袋にひっついたパン種に水を足して少しおきます
すると発酵力がますようです。何日も、となるとやはり冷蔵庫のほうがよいですが、
1、2日くらいですと常温でもいいようです。水種になるのでしょうか…
こうした実験まがいの方法は特に楽しいと思います
自分の好きな方法、自分の好きな材料でパンを作れます
チーズ、バターなど高いものを入れなくてもおいしくできるパン種ですね
これだけで風味豊かなパンが出来上がります
年金暮らしでお金がない、とぼやく人もいます
しかしながら、意外とお金はあるようです。ないといいながらつかっているのですから
ないというのは嘘だと思います。ほどほどにお金があるから買えるのです
旅行好きな方、これもまた行かないとクセになるそうですね
本当にお金がないという人は外食もしないものです
姉は田んぼアートを一度もみたことがないといいます
距離としてはとても近いし、普段もその近辺を走ってると思います
それならばどうして行かないのでしょうか?
それは私自身にもおなじことがいえます
一度は見たいな、とは思いますが、実際にはそんなに興味はありません
テレビで観ることもあるし、やはり近場、だということが原因ですね
いつでも見られる、そういうことだと思います
私のお金がないということばの裏には、ムダに使うお金はない、ということだと思います
旅行も外食もお土産もほとんど買う必要はないと思っています
修学旅行でもお土産はいいから自分のこづかいにしなさといってもたせました
幻の夫はお金があればあるほど使う人だったからです
義弟にもそのおこぼれがあったりして、それはそれでショックを受けました
夫婦でもやはり他人なんだな、と思い知らされました
そういう数々のことが重なり、今に至っています
お金では幸せにはならないんです。そこに心がこもっていなければ…
フキの葉が大きく揺れて隙間もなくなっている…
そろそろ片付けないといけない。これ以上ほっとくと腐ってしまうし
暑い日ざしの中で、包丁をもちながらフキと格闘
風があるのでフキの葉が飛ばされてゆく…
フキの葉は大きいので風に飛ばされやすい
そこでまたウチに戻り、ゴミ袋をもってきて拾い集めた
すっきりした裏庭には、まだミョウガも生えてきている
フキもまた土の関係からか太いものは数本あるだけで他は細いのだ
塩漬けにしようにもそんなにあるわけではない
これ以上は食べきれないので思い切って塩漬け
数日したらまた新たに塩漬けにする、らしい…
なかなか、の作業であった。暑いからかもしれない
この程度の暑さならまだ過ごしやすいが…
町の風景が好きでよく写すようになった
進入禁止、という一方通行は町内には多い。「道路標示」がはっきりとしない、というか
なにも書いていないので、ほとほと困り果ててしまう
一市民として、市長にその旨を伝えるべく、電話なり、メールなりすればよいのだが
そこまでする勇気もないし、する必要があるのかどうか、と思っている
いやもっとある。犬の散歩でもリードをつけないで毎日散歩してるおじさんもいる
それもまた困るのだ。どんなに気をつけて散歩をされても
はっきりいって迷惑。側を通り過ぎるたび、こちらがかえって気を使ってしまう
山の中、あるいは誰も人が通らない箇所ならまだわかる
いくらなんでも常識外れだ。そういうことを苦情としてお役所にいってもいいのだ
それもまたしないで普通に暮らしている
日々悶々として暮らしている。それもまたいいではないか。
とにかく自分のことでせいいっぱいであって、生きることがしんどい
いつものことながら、こつこつと物事を解決しながら不安の日々を過ごしている
でっぷりと太ったカエルちゃん。
「物事の考えをつなげる働きに障害がおこる現象が統合失調症の本質」
と書かれてあって、漠然とではあるが、わかるようなわからないようなことではある
本人に聞けば一番よいのだが、今の自分…
いろんな課題をクリアしないと気持ちがスッキリしないのでまだ保留にしてある
なんというか、とにかく小さなことの積み重ねで日々生きているので
それを解決しないとなにも前に進まないのだ
きのうはフキの収穫と犬のシャンプー、というか体を洗ってあげた
季節柄、朝起き抜けが一番辛い。若い時は元気で体が辛いとかなにも思わなかった
今は体よりも心がしんどいことが多くなった
いや、体もしんどいから、心もしんどいのだと思う
ところが世の中、病気とたたかいながら必死に生きようと努力してる人も多い
自分は本当に贅沢だと思っている。けれど、この小さなちいさな心配の種を
だれかと共有したいという気持ちが多くなってきた
だからといって、自分の今の気持ちが楽になるわけでもない
ならないけれども、しんどい気持ちをどうにかやわらげたい、というのが心情だと思う
特別大きなできごとでもない。とにかくどこにでもある普通の出来事
それら一(いち)のものが、十(じゅう)にもなって、恐ろしく重荷になるのだ
ところが当日になってそれを終えるとすっかりと忘れてしまい、ケロッとしているのだ
だから私は細かいことを考えすぎであって、それが何かの病気かといわれてもしょうがない
それもあと1、2年経てば解決できるかもしれない
たぶん、さびしがり屋なのかもしれない。(本当は一人が好きなんだけれど)
だから、片付けている。少しずつ片付けている
それが終える頃にはもしかしたらうれしい報告もできると思っている
そう遠い話でもないのだから…
本当は「難聴」がなければ、働いて、「離婚」も考えていたであろう
今の自分、少し情けないのだ…
悔しい、という気持ちがあるのは確か。嫌な自分になったなぁとも思っている
糠漬けの豚肉炒めは味はよいのだが、においがイマイチ好きになれない
そこでフライパンに入れてあっためなおし、さらにパンに使ったたまごを入れる
卵とじのようにして、さらにどんぶりに盛って、上からカレーをトッピングする
おいしさが倍増した。どちらかというと、薄切りよりも厚切りの豚肉、あるいは牛肉が合うかもしれない
においは少し嫌だが、試してみる価値はありそう。慣れるともしかしたらクセになるかもしれない
いつものように組み合わせを考えてみたら、いがいと楽しくて、そうしておいしくいただけたのだ
ナスをもらったのだが、あまりナス料理は得意でない
その理由。油を使うレシピが多いからだ。いつものように保存食にするのも嫌なので
たまには、と思って糠漬けにした。これがまた難しいのだ…
ナスだけは苦手。失敗すると苦味さえ感じられることもあった
色や漬け具合が非常に難しい。今回はもう1、2時間漬けてもよかったかな、
というあんばいで、まー 食べられる範囲でなんとか…
漬けすぎたきゅうりと一緒に食べればちょうどよいあんばい、というのでしょうか
見ての通り、画像がかちこち。やっと写せてる、というのがよくわかる…
それでも写そうという気持ちだけで写している。それだけはわかってほしい、かな。
きのう作ったパンはいつものように見た目は悪いが、一番おいしくできた
やわらかく味わいがあるのだ。どんな味、かといわれてもそれがよくわからない
わからないけど、おいしい。つくっててよかった、と思った
特に愛犬もこのパンをほしがる。香りがあるのだ。
その香りにつられてくるらしい。犬は舌ではなく、においで嗅ぎ分けているらしい
7月に入っても県産の梅の入荷が少ない気がする…
これらのパンができるまでに、何度もなんども作り直しました。
このパン種ができてから、はや5年が経とうとしています…
それまでは普通のパン種と思って勘違いしていました
水と小麦粉だけでパン種が出来上がる。それを維持する、ということも大事ではあるが
パンを作り続けたいという気持ちがあれば、それはたやすいこと。
ここまで書いてどこか似通ったことを思い出しませんか?
そう永遠のテーマ、というべき、「ダイエット」ですね
私の場合は血圧の薬のせいなのか、胃があまり丈夫でないのに対して飲み続けているうちに
どこかしら胃もたれが多くなったような気がします
またうまれつきの体質もあるかもしれませんが、胃弱で一度に多くは食べられません
それでも120gのおにぎりなどは二つも食べられます
別にこれ以上太ることも痩せることも考えていません
太ると今までの服が着られない、とか、あるいは動作が鈍くなるとか。
加齢になると、生活習慣病も少し怖いし、あまりいいことではありませんね
若い方だとダイエットも普通にできますが、中高年のダイエットは命取りになります
食べるべきのものを摂らないで、単品ばかり食べている方も多いようです
一日一食、という方もいらっしゃるようです。実は…
姉の息子(長男)も一日一食らしいです
ウチもいろいろとありますが、どういうわけか身内になると、みな似てしまうんですね
特に長男は兄のところも少し変わっているようです
無口もさることながら潔癖症もあるみたいです(今はどうか知りませんが…)。
ダイエットといえば、成功した暁には既に頬がこけ、寒さにも耐えられないほど体は弱くなっています
それから体はどうなったでしょうか?そのまま維持していますか?
ほとんどはリバウンドをしてると思います
食べることを我慢しているのですから、さらに体重は増え続けます
そうしたことを私も経験しました。パン種をずっと健康に、今まで以上に
強いパン種となるよう、あまりいじらず、懸命に小麦粉と水で継ぎ足していきます
普通のことをふつうに維持するのはそんなにむずかしいことではありません
難しくするのは逆に人間の浅はかな知恵が加わるからです
ご飯、みそ汁、お漬物、あるいは佃煮。
栄養がどうのこうの、というよりも、この基本のものさえ食べていない方も多いのです
今日のロールパンは、元種、中種をミックスしました
なんだか日数が経っているのかも知れません。ちょっとベタベタ
それでもみりんレーズン、ホワイトチョコ、バニラアイスクリームを入れてみました
本当はシンプルにそのままのほうがいいのですが、レーズン、チョコレート、アイスで
甘みをくわえてみました。アイスは箱に残ったものに水を入れて、ミルク代わりに。
そのせいか、発酵がいつもよりスムーズにいきました
パン種はベタベタでしたが、発酵の力はあったようです
確かに、「自然発酵種の野生酵母パン作り」は普通のパンと違って勝手が違います
でもそれ以上に、食べる愉しみ、作る愉しみ、があります
今回は最初の発酵温度が少し高かったようで、形が崩れてしまいました
簡易の冷蔵庫とヤカンで保温してますので、どうしてもうまく調節できません
少し冷ましてから保温したほうがいいのだと思いました
なにせ、早朝4時からもちゃもちゃしてましたから…
犬の散歩、洗濯物、朝食の準備、はたまたパンのお世話まで。
今日はなぜか愛犬、路上でゲロ!
アロニアが既に色づいていました
今年は特に早いようです。梅雨に入り、カメムシもつき始めました
基本虫は苦手ですので、顔が引きつります。
つゆのせいか、体に力が入りません。脳もパッとしません。
糠漬けの豚肉は、私は苦手かもしれません。糠くささが際立つような感じなのです
魚はおいしいですがお肉は…
夏はパン作り、休みたい、という方でもこのパン種は維持できます
小麦粉を多めに入れて、休ませてしまえばいいのです
(カメラ、壊れてますので、画像はただ写してるだけです。)
糠床に魚を入れることはあったけれど、肉はなかったのでやってみた
缶詰にオリーブオイルを使ってるものがあったので、それをフライパンに入れて少し煮詰める
そのあと糠漬けの豚肉をいれて炒める。軽く火が通ったらもやしを入れる
最後に軽く黒胡椒をふる。
どんな味なんだろう…作りたてなので…。
先日おにぎりを作ったのをきっかけに、ご飯を炊くたびにおにぎりを作っている
基本のおにぎりはやはりおいしいな、と思った
カップメンは寒い時期 あったまるけれど、心まではあったまらない
おにぎりは心を少しだけ元気にしてくれる
お肉で力がつくというけれど、私はやっぱりおにぎりだと思うな…
体も一緒に元気になって、やっぱり、おにぎりはいいな♪ って、思った
自分よりも人のことばかり考えていると、それもまた心があったかくなるが、
逆に、どうしてこうなるのかな?ということも起こりうる
それで、なんだかなぁ、思い始めて、いつもの自分らしさがなくなっていたことに気づいた
本来の自分はとっても身勝手で自由に生きていたはずだ
いまさら、人の為につくしたところで、相手は自分の思うように考えてるわけではない
そんなことを考え出して、心が疲れてきた…
たぶん自分の思い過ごしだと思うが、なんとなくそう思った
きっと疲れてるからそう思ってるのかもしれないが、時々…
「人間不信」というか、人間が信じられなくなってくるのだ
人を信じることが苦手になったのは、夫のある「行い」からだった
その時、理由を聞いたのだが、はっきりとはいわなかった
それ以来、人を信じることが苦手。自分自身でさえ信じることができない
それで不安になって、ドキドキ、バクバクとしてしまう
それを避けたくて、あまり人を信用しなくなった
それでもたまにだけれど、いつのまにか親身になって接していることがある
けれど、どこかしら虚しさが残ってて、こんなことしなければよかった、とか
また利用されてるのかな、とか、変なことを考えることも多い
歯医者さんも同様で、歯の出血、痛みの原因がわかったので、
先生のすすめる治療は次回にのばした。
普通ならば、はいはい、とそのまま素直に治療するのでしょうが
歯石をとって終わりにした。それもまた先生を信じていないからだと思う
忙しさから抜け出てやっと安堵はしたが、どこか心に隙間風が…
だからといって、涙も出るわけでもないし、掃除をして、庭にまた塩をまいた
きれいにすれば、心も少しはきれいになるかもしれない…