先程、愛読している公式ネットの【 現代ビジネス 】を見ている中で、
『 何を失い、何を得るのか・・老人ホームに「入れる・入る」決断を考える
~ 早く決めねば手遅れになる ~』と題された見出しを見たりした・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金、郵便個人年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や15年目となっている。
これまで幸運にもお互いに元気で過ごしてきたが、いつの日にか、どちらかが介護・要となった時は、
やむなく介護施設にお世話なる、と漠然としながらも私たちは話し合ったりしている。
しかしながら、これからの晩年期の脚色もない老人の実情の言動、
或いは介護施設などに関しては、体験されている御方の具体的な真情を学びたく、
記事を精読してしまった・・。
この記事は、『週刊現代』2018年11月17日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 現代ビジネス 】に2019年2月24日に配信され、
無断ながら転載させて頂く。
《・・何を失い、何を得るのか・・老人ホームに「入れる・入る」決断を考える
家に住み続けたいという「親の願い」をとるか、
子である「自分の生活」の安寧をとり、老人ホームに入ってもらうか。
難題だが、決めねば手遅れになる。
因果は巡り、やがて自分も「入る」時が来る。
☆「もう限界でしょう」
都内に住む会社員・高橋和洋氏(62歳・仮名)が、異変に気づいたのは、2年前のことだった。
「同居する84歳になる父は、早朝、新聞をポストまで取りに行くのが、日課でした。
しかし一通り読んだ父が、またポストに新聞を取りに行っている。
友人との待ち合わせを忘れ、何時間も待った相手から、電話がかかってくる。
明らかにおかしいと思い、近くの病院の『もの忘れ外来』に連れて行きました」(高橋氏)
懸念したとおり、医師は、認知症と診断した。
「介護保険の申請をして、症状が進む前に施設に入れることも考えて下さい」
だが、症状は、施設に入れるほど深刻だとは、とても思えなかった。
そこで、とりあえずデイサービスに申し込んだのだが、
通いだして2日後、施設から電話があった。
父が職員を殴ったという。
「びっくりして迎えに行くと、父はまだ暴れていて、『帰る!帰る!』の一点張りでした。
これが続くと、皆さんにも迷惑がかかると思い、利用を断念しました」
代わりにヘルパーを手配することにしたが――。
「妻が仕事に出かけようとすると、父の怒鳴り声が聞こえてきた。
『あんたは誰だ。うちに勝手に入ってくる奴は許さん!』と言って、
ヘルパーさんに、つかみかかったというのです」(同)
その後、同居してきた父は、高橋さんの子どもが小さな頃は、保育園の送迎をして、
夫婦の帰りが遅いときは、代わりに子どもに夕食を作って食べさせてくれた。
その感謝の念は強い。
とても、施設に入れる踏ん切りはつかなかった。
だが、この半年、父はさらにおかしくなってきた。
朝どこかに出かけて、夕方に家に戻ってくる日々。
途中、仕事中の妻に電話をしては「外にいるが、お金がない。持ってきてくれ」と言うのだ。
ある日、近所の喫茶店から電話があった。
「お父様は、お財布はお持ちですが、中身は空っぽで、コーヒー代が払えないと話しています」
慌てて喫茶店にお金を払いに行き、父を連れ帰った。
主治医に相談すると、こう言って、施設入りを強く勧められた。
「だいぶ症状が進んでいる。この先、万引きをしてしまうかもしれない。
ご家族の様子を見ると、みなさん疲れている。
もう限界でしょう」
ふと妻の顔を見ると、確かにげっそりと痩せている。
ここのところ、仕事も休みがちで、父の面倒を見ている。2年で5kgも痩せたという。
同居する子どもの笑顔も減った。
あの優しかった父を見捨てて、老人ホームに入れるしかないのか。
実際、父は「俺を老人扱いするな。身体も十分に動くじゃないか」と言うし、
「俺は息子夫婦に看取ってもらえるんだから、幸せもんだな」と、
近所の人に自慢していたのを、高橋さんは知っているのだ。
だが、このままでは、自分が参ってしまう。
「介護ぷらす」代表の山川仁氏はこう語る。
「親を施設に入れる決断ができず、先延ばしにしているうちに、
介護疲れで、家族が倒れてしまうケースは多い。
ポイントは、本人が嫌がったとしても、入居を勧める覚悟が、家族にあるかどうかです」

☆「先送り」で事態は悪化する
だが、勧め方を誤れば、事態はいっそう悪化する。
今年3月、大阪市在住の谷田宏治氏(59歳・仮名)は、一人暮らしの母(81歳)を老人ホームに入れた。
「母は、2年前に腰の手術を受け、歩行できなくなり、車椅子生活になりました。
もう一人暮らしは無理だろうと、ケースワーカーに相談したところ、隣の市の老人ホームを紹介されました。
しかし、母は『自宅で死にたい』が口癖で、ホーム入りを嫌がりました。
そこで、『体調が回復するまでの辛抱だから、よくなればすぐに家に戻れるから』となんとか説得して、入所させました」(谷田氏)
入居一時金はなく、食費込みで毎月14万円程度の利用料は、良心的に見えた。
だが、トイレ付き約6畳の部屋は、ベッドを置けば、狭く感じられた。
「友人もできたのですが、そのうち、『(他の入所者の女性に)酷いことを言われた』
と母が怒り出して、誰とも口も利かなくなった。
また、隣の部屋のおじいさんが、耳が遠いのか、
朝から深夜まで大きな音量でテレビをつけっ放しにしている。
そういうことが積み重なり、施設が嫌になっていったようです」(谷田氏)
そして、入居からわずか1ヵ月後、母は行動に出た。
施設近くに住む知人に頼み「こんなところ出て行く。連れて帰って!」と懇願し、
着の身着のまま、車で実家に戻ってきてしまった。
谷田氏は、「せっかく入ってもらうチャンスだったのに、これで母が頑なになってしまった」と悔やんでいる。
今はホームヘルパーに週2度来てもらっているが、谷田氏は、不安で仕方がないと言う。
最近、母に認知症の症状が出始めているからだ。
しかし、問題を先送りにすればするほど、事態は悪化する。
高齢者住宅アドバイザーの岡本弘子氏が語る。
「認知症が進むほど、何が何でも自宅にいるという願望が強くなります。
不安症状が強くなり、知らないところに連れて行かれるという不安から、拒否行動に出てしまう」
☆親の気持ちか、子の生活か
両親2人だけで暮らしていて、子どもが離れて住んでいるというケースでも、問題は深刻だ。
千葉県在住の西川幸雄氏(60歳・仮名)の両親は、ともに80代で、山口県内の実家で2人暮らしだ。
「母が大腿骨を骨折し、歩けなくなりましたが、自宅が古く、車椅子を家の中に入れることもできない。
父は元気ですが、一切家事ができず、ヘルパーさんに来てもらっています。
母だけを施設に入れることを考えたのですが、
すると元気な父のところへは、ヘルパーさんが来てくれないので、父が困ってしまう」
そこで、両親をともに老人ホームに入れようとしたが、父が猛反対した。
「俺は母さんとここに住む! なんで俺が、病人と一緒にされないといけないんだ!」
当の母親自身も、本誌にこう語るのである。
「私も、できれば自宅で、死にたいんです。
施設を見学しましたが、認知症患者の方ばかりで、とても生活したいと思えませんでした。
周囲に迷惑をかけているとは思うものの、夫のことも心配ですし、今のままでいたい」
だがこのままでは、夫婦共倒れになりかねない、と西川氏は危惧する。
親は、自分の人生は、自分で決めたいと願う。
それが「家に住み続けたい」という選択だったとき、老人ホームに「入れたい」と思う子は、
究極の決断を迫られる。
親の気持ちか、自分たちの生活か、どちらをとるのか――。
妥協点は、早めに見つけねばならない。
介護福祉トラブル解決専門の外岡潤弁護士は、「親を施設に入れるには、切羽詰まってからでは遅い」と言う。
「最終的に在宅介護で行くか、施設に入れるか。
あるいは親が遠距離なら呼び寄せるか。
5年先までシナリオを練るべきです。
状態が悪化してから、安易に施設選びをすると、けっきょく後悔します」
ただし、「入れる」ことを決めても、トラブルは頻発する。
恋愛沙汰もそのひとつだ。
岡田恭一氏(50歳・仮名)の父親(77歳)は、
心臓に持病を抱える妻の入院を機に、老人ホームに入所したが、予想外のことが起こった。
「同い年くらいの女性が、ショートステイで入ってきたのですが、彼女と親父がいい仲になってしまったんです。
トイレの中で、親父とその女性がキスをしていたと職員に聞かされました。
相手は自宅に戻りましたが、老いらくの恋は容易には冷めず、
親父は電話番号を控えていて、こっそり先方に電話して、ときどき話していたのです。
向こうの娘さんが心配して、私に電話があり、話し合った結果、電話番号を書いたメモを捨てました。
父もいずれ忘れるでしょう」
また、大きな誤解が「看取り」だ。
老人ホームは、必ずしも終の棲家にはならない。
青森県在住の木田逸郎氏(61歳・仮名)の母(89歳)の場合。
「母は、老衰でこの春からほとんど食事をとらなくなったのですが、
施設は『食事をできない方は、他の介護療養型医療施設に移ってもらうことになっている』と言う。
そこでやむをえず転院を了承したのです」(木田氏)
高齢者住宅情報センター大阪センター長・米沢なな子氏も言う。
「多くの方は、『最期まで看取ってくれるところがいい』と要望されますが、
一般の居室から、介護状態で住み替えができ、終生住める老人ホームは、たいてい高額です。
介護度の上がり具合によっては、住み続けられないケースもあることは知っておくべきです」
ふだんは個室に比べて、忌避されがちな特養や老健施設の「多床室」も視野に入れるべきというのは、
NPO法人「二十四の瞳」代表の山崎宏氏だ。
「有料老人ホームは、基本的に個室のため、亡くなってから発見されることさえある。
要介護状態では、むしろ多床室のほうが、職員の目に触れやすく、リスクが減ります」
親の看取りが済めば、やがて自分自身が「入る」決断を迫られる。
今年6月、田嶋駿介氏(75歳・仮名)は、子どもの負担を考え、夫婦2人で兵庫県の有料老人ホームに自ら入った。
「家を捨てるのが、嫌で仕方なかった。
でも、息子も嫁の実家の世話があるし、家も離れている。
仕事もあるからこっちに戻れとは言えないからね。
自宅の土地を売ったお金で、有料老人ホームに入った。
初期費用が1000万円、月額利用料が30万円、さらに食費や雑費がかかる。
貯金もほとんどないから、賭けだった」
☆自ら進んで入ったが…
ホームでは、夫婦部屋だ。
窓からは海が見渡せ、景色もよかったが、20平米足らずの2人部屋は、窮屈だった。
田嶋氏が語る。
「持ち込めた荷物は、たんす2つ分だけ。
位牌や仏壇と着替え、家族のアルバム、少しの本と映画のDVD、
妻は、趣味の手芸の道具くらい・・・。
これが終の棲家かと思うと、泣きたくなったよ。
思い出の残る2人の荷物を処分するのは、想像以上にしんどかった」
施設の居心地は、悪くなかった。
いくつもある共有スペースでは、読書やビリヤード、陶芸に絵画、園芸までも楽しめる。
花見や遠足などのアクティビティも充実していた。
「でも、しょせんは、老人向け。話の合う人など一人もいない。
挨拶はするが、それだけの仲や。
妻は、最初の頃は友達作りに頑張っていたが、途中で音を上げた」(同)
今は、施設のバスで最寄り駅まで行き、喫茶店で時間を潰すことが、日課になったのだという。
「部屋にいると、だらだらテレビを見て、酒に手が伸びてしまう。
このままでは、アル中まっしぐらや。
こそこそ飲む酒なんて楽しくない」(同)
ただし、田嶋氏の場合は、夫婦仲は円満だからこそ、やっていけるという。
夫婦で入居しても、実質的に「熟年離婚」しているケースも多いのだ。
「自分は2階フロアにして、夫は1階フロアにしてくれと要望した奥さんがいました。
苦労をかけられたから、入居してまで一緒に生活したくないと言うんですね。
ご主人のほうは、立ち直れないほどのショックを受けていました」(前出・山川氏)
多くの人にとっては、一度きりの決断だ。
後悔しないためにも、「入れる」「入る」の考え方は、
親子、そして夫婦で丁寧に話し合っておきたい。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、私は真摯に学び、やがて多々教示されて、これからの難題に溜息を重ねたりした・・。
息子夫婦に同居する84歳の父親が認知症になり、《・・ふと妻の顔を見ると、確かにげっそりと痩せている。
ここのところ、仕事も休みがちで、父の面倒を見ている。2年で5kgも痩せたという。
同居する子どもの笑顔も減った・・》、切なく私は胸が熱くなったりした・・。
そして介護施設の無知だった基本を学んだりした。
《・・高齢者住宅情報センター大阪センター長・米沢なな子氏も言う。
「多くの方は、『最期まで看取ってくれるところがいい』と要望されますが、
一般の居室から、介護状態で住み替えができ、終生住める老人ホームは、たいてい高額です。
介護度の上がり具合によっては、住み続けられないケースもあること、は知っておくべきです」
ふだんは個室に比べて、忌避されがちな特養や老健施設の「多床室」も視野に入れるべきというのは、
NPO法人「二十四の瞳」代表の山崎宏氏だ。
「有料老人ホームは、基本的に個室のため、亡くなってから発見されることさえある。
要介護状態では、むしろ多床室のほうが、職員の目に触れやすく、リスクが減ります」・・》
もとより有料老人ホームは、都心の郊外にある施設でも高額で、
私は永らえば支払いで、貯金の底がつく、と感じたし時があったりした。
そして《・・個室のため、亡くなってから発見されることさえあり・・
多床室のほうが、職員の目に触れやすく、リスクが減り・・》
こうしたことを少なくとも学んだりした。

今回、私は切実で長らく思案させられたのは、
断腸の思いで自宅を処分されて、介護施設に入居された御夫婦・・。
《・・「持ち込めた荷物は、たんす2つ分だけ。
位牌や仏壇と着替え、家族のアルバム、少しの本と映画のDVD、
妻は、趣味の手芸の道具くらい・・・。
これが終の棲家かと思うと、泣きたくなったよ。
思い出の残る2人の荷物を処分するのは、想像以上にしんどかった」
施設の居心地は、悪くなかった。
いくつもある共有スペースでは、読書やビリヤード、陶芸に絵画、園芸までも楽しめる。
花見や遠足などのアクティビティも充実していた。
「でも、しょせんは、老人向け。話の合う人など一人もいない。
挨拶はするが、それだけの仲や。
妻は、最初の頃は友達作りに頑張っていたが、途中で音を上げた」(同)
今は、施設のバスで最寄り駅まで行き、喫茶店で時間を潰すことが、日課になったのだという。・・》
こうした老夫婦の晩年期の余りにも切ない真情を学び、
私は瞼(まぶた)が熱くなり、やがて涙を浮かべていた・・。