私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過ぎし2月6日の日曜日、読売新聞の朝刊を読んでいたら、数多い記事の中で、
圧倒的に感銘を受けた記事があった。
読売新聞の日曜日の特集コーナーとして、【本よみうり堂】があり、
この中のひとつとして、【著者来店】と記事があり、最近の本が紹介されている。
今回の著作者は、私にとって作品のひとつも読んだことのない未知の人で、
《 『迷える者の禅修行』
ネルケ 無方さん 》
と表題がされて、何かしら外国人の男性が座禅しているような写真が掲載されていた。
私は興味深く、紹介記事を綴られた西田朋子さんに導かれて、精読した・・。
この記事と同一なのが、たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
掲載されていた。
綴られた西田朋子さんの記事であり、無断であるが、転載させて頂く。
《・・
兵庫県の日本海側、バス停から雪深い山道を4キロ歩いて、ようやくたどり着く曹洞宗・安泰寺。
そこで9年前から住職を勤める。
檀家(だんか)はゼロ。
川の水を引き、薪を切り出し、夜も明けぬうちから田畑を耕すという自給自足の毎日だ。
はた目には過酷に思える作務を、
「生命のありがたさを知るには、泥と汗にまみれてこそ」と、
流暢(りゅうちょう)な日本語でさらりと語る。
旧西ベルリンに生まれ、7歳で母を病気で亡くした。
「人はなぜ、生きるのか」とむなしさにとらわれる中、
高校のサークルで座禅と出あった。
幾度かの来日と修行を経て、25歳で得度し18年。
「生きることは問いではなく、答えそのものである」
という禅の教えを実践する中で、遭遇した悲喜こもごもをありのままにつづった。
禅宗では食事の用意をするのも大切な修行の一つ。
「けど、みそ汁の味も分からない訳ですから。
あいさつの仕方、風呂の入り方、そして師の言葉と上下関係は絶対であるという事実。
心から受け入れるのには時間がかかりましたね」
崇高な理想と現実とのギャップに先輩僧らとしばしば衝突した。
別の寺では壮絶な“しごき”を受けたことも。
一時は寺を飛び出して大阪城公園でテント生活を送ったが、
ここでも托鉢(たくはつ)したり座禅会を開いたり、悟りを追い求めた。
師の前住職が亡くなったのを機に安泰寺に戻り、
寺のホームページを見て身を寄せた、独、仏など5か国、男女6人の僧と座禅に明け暮れる。
人々が生きる方向を見失いがちな時代、
「この身体によって目の前の現実を力いっぱい生きるという、リアリティーを示すのが禅の役割です」。
澄んだ青い目に、静かな決意を浮かべた。
(新潮新書、740円)(西田朋子)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
http://www.yomiuri.co.jp/book/raiten/20110207-OYT8T00768.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==【本よみうり堂】
<==【著者来店】『迷える者の禅修行』ネルケ無方さん ☆
私は精読した後、私は日本の地で、日本人として66年を過ごしているが、
つたない私は実家が仏教の曹洞宗の信徒であるが、
恥ずかしながら神仏を含めて、解かったようで解からないまま、特に意識もせずに、今日を迎えている。
今回、紹介さた著作者のネルケ無方(ねるけ・むほう)氏は、
異国のドイツのベルリン市で生を受け、
高校のサークルで座禅と出あい、幾度かの来日と修行を経て、25歳で得度し18年、
と紹介されている。
もとより異国の生活習慣などはもとより、仏門に入られて修行をされながら、
深く苦悶され自己格闘をされただろう、と私は瞬時に感じられたりした。
この世には安住した都会の利便性の生活よりも、あえて奥まった僻地のような中で、
心身、自身を置く境地・・
つたない年金生活を過ごしている私は、ただ崇高な人と思ったりしている。
そして異国の視線だからこそ、このアジアの片隅にある日本の何かが、視(み)えたのかしら、
と私なりに考えさせられたりした。
こうした異国の視線だからこそ、明確に日本が視(み)えたのは、
かって私は作家・立原正秋(たちはら・まさあき)氏の小説、随筆などから、
私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の頃から、
圧倒的に感銘を受けながら、少なくとも私の自己形成に多々影響を受けた。
このような私のささやかな体験からして、読んでみたい本、と思ったのである。
尚、私は風邪気味あるので、遅ればせながら、
本日の昼下り、駅前の本屋で本書を買い求めて、読みだしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村

にほんブログ村
過ぎし2月6日の日曜日、読売新聞の朝刊を読んでいたら、数多い記事の中で、
圧倒的に感銘を受けた記事があった。
読売新聞の日曜日の特集コーナーとして、【本よみうり堂】があり、
この中のひとつとして、【著者来店】と記事があり、最近の本が紹介されている。
今回の著作者は、私にとって作品のひとつも読んだことのない未知の人で、
《 『迷える者の禅修行』
ネルケ 無方さん 》
と表題がされて、何かしら外国人の男性が座禅しているような写真が掲載されていた。
私は興味深く、紹介記事を綴られた西田朋子さんに導かれて、精読した・・。
この記事と同一なのが、たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
掲載されていた。
綴られた西田朋子さんの記事であり、無断であるが、転載させて頂く。
《・・
兵庫県の日本海側、バス停から雪深い山道を4キロ歩いて、ようやくたどり着く曹洞宗・安泰寺。
そこで9年前から住職を勤める。
檀家(だんか)はゼロ。
川の水を引き、薪を切り出し、夜も明けぬうちから田畑を耕すという自給自足の毎日だ。
はた目には過酷に思える作務を、
「生命のありがたさを知るには、泥と汗にまみれてこそ」と、
流暢(りゅうちょう)な日本語でさらりと語る。
旧西ベルリンに生まれ、7歳で母を病気で亡くした。
「人はなぜ、生きるのか」とむなしさにとらわれる中、
高校のサークルで座禅と出あった。
幾度かの来日と修行を経て、25歳で得度し18年。
「生きることは問いではなく、答えそのものである」
という禅の教えを実践する中で、遭遇した悲喜こもごもをありのままにつづった。
禅宗では食事の用意をするのも大切な修行の一つ。
「けど、みそ汁の味も分からない訳ですから。
あいさつの仕方、風呂の入り方、そして師の言葉と上下関係は絶対であるという事実。
心から受け入れるのには時間がかかりましたね」
崇高な理想と現実とのギャップに先輩僧らとしばしば衝突した。
別の寺では壮絶な“しごき”を受けたことも。
一時は寺を飛び出して大阪城公園でテント生活を送ったが、
ここでも托鉢(たくはつ)したり座禅会を開いたり、悟りを追い求めた。
師の前住職が亡くなったのを機に安泰寺に戻り、
寺のホームページを見て身を寄せた、独、仏など5か国、男女6人の僧と座禅に明け暮れる。
人々が生きる方向を見失いがちな時代、
「この身体によって目の前の現実を力いっぱい生きるという、リアリティーを示すのが禅の役割です」。
澄んだ青い目に、静かな決意を浮かべた。
(新潮新書、740円)(西田朋子)
・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
http://www.yomiuri.co.jp/book/raiten/20110207-OYT8T00768.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==【本よみうり堂】
<==【著者来店】『迷える者の禅修行』ネルケ無方さん ☆
私は精読した後、私は日本の地で、日本人として66年を過ごしているが、
つたない私は実家が仏教の曹洞宗の信徒であるが、
恥ずかしながら神仏を含めて、解かったようで解からないまま、特に意識もせずに、今日を迎えている。
今回、紹介さた著作者のネルケ無方(ねるけ・むほう)氏は、
異国のドイツのベルリン市で生を受け、
高校のサークルで座禅と出あい、幾度かの来日と修行を経て、25歳で得度し18年、
と紹介されている。
もとより異国の生活習慣などはもとより、仏門に入られて修行をされながら、
深く苦悶され自己格闘をされただろう、と私は瞬時に感じられたりした。
この世には安住した都会の利便性の生活よりも、あえて奥まった僻地のような中で、
心身、自身を置く境地・・
つたない年金生活を過ごしている私は、ただ崇高な人と思ったりしている。
そして異国の視線だからこそ、このアジアの片隅にある日本の何かが、視(み)えたのかしら、
と私なりに考えさせられたりした。
こうした異国の視線だからこそ、明確に日本が視(み)えたのは、
かって私は作家・立原正秋(たちはら・まさあき)氏の小説、随筆などから、
私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の頃から、
圧倒的に感銘を受けながら、少なくとも私の自己形成に多々影響を受けた。
このような私のささやかな体験からして、読んでみたい本、と思ったのである。
尚、私は風邪気味あるので、遅ればせながら、
本日の昼下り、駅前の本屋で本書を買い求めて、読みだしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪


