「ヒメジョオン」は清楚な方へ…
『山形組事務局長 さくら子ちゃん』から、ブログコメントで「運とツキをどう考えるか?」という質問を浴びせられました。私、「運とツキ」だけで55年間生き延びた人間ですから、ネタに困ったブログには打って付けであります^^;
「運」とは、努力だけでは解決できない巡り合わせであります。自分の思いに近付ければ「運が良かった。」と回顧し、自分の思いと裏腹な結果となれば「運が悪かった。」と自分の選択を擁護する。少なくても2分の1の選択肢と選択権が与えられているのであれば、自分が選んだ方法について、自分の思いが叶ったのか叶わなかったかという結果論でしかないのであります。
昨日のお題『日本昔裏話』の「つる恩」だって、「与ひょう」は「つう」の機織りの部屋をノゾクことも自制することも選択肢としては与えられておりました。「絶対覗いてはいけない。」という禁を破って、助平心で覗いたのだから、後で後悔しても仕方がない。結果責任は負うべきであります^^;
アシナガグモ(科)に捕らえられたキンイロアブ…
イネの株間に網を張った『アシナガグモ』は、偶然ここに網を張っただけであり、捕らえられたキンイロアブも偶々この株間をこの高さで飛んでいただけであります。そこに必然性があるのだろうか?結果、アシナガグモは産卵のための栄養源を獲得し、キンイロアブ♂は『アブ子ちゃん』とのデートの時間に永遠に間に合わなくなってしまっただけであります。
しかし、起こり得るべき事象には、必ず偏りが発生する。もし、アシナガグモが、アブの通り道を予見し、熟知していたならば、この結果は偶然ではなく必然であります。
人間は経験という「試行」の積み重ねから、失敗に陥る選択肢を極力排除し、自分の思い(結果)に近付こうとする。しかし、その思い(結果)に到達できなかった時、努力が報われなかった、運がなかったと嘆くのでありますが…どこかで、己を見失い、失敗という選択肢を選んでいることに気付かなかっただけなのに。
「ツキが回ってきた。」と感じるのは、偶々起こり得る事象に偏りが生じている結果であって、自分は「運の良い人間である。」などと思い込んではいけない。また、成功者を妬んでもいけない。偶々の結果論でしかないのだから。(ただし、誰でも参加出来るという「機会の均等」を保証された世界での話でありますが…。)
さて、こうしている間に『あぶない子ちゃん』とのデートの時間に遅れてしまいそうでありますよ^^;(くれぐれも網に掛からないように注意しましょう!)