季節の山菜料理をゴチになりました^^;
「ファンタジィー(英:fantasy)」は、幻想的、空想的な事象を主題や設定に用いるフィクション作品のジャンルなんだそうだ。一方、「SF(Science Fiction)」は、空想的な世界を科学的仮想に基づいて描いた物語なんだそうであります。(だから何なの?)作品の発表当時は、荒唐無稽、空想と思える題材も、時を経て、宇宙旅行やロボットetc.が現実のものとなっているから、『馬鹿の絵空事』と切り捨ててしまうのは如何なものか…『馬鹿バカしい努力』を続けて、『絵空事』を「現実」に変えてしまうところが天才と凡人の分岐点かも知れませんなぁ^^;
かく言う『おやじぃ』だって、子どもの頃は「ロボット」(あくまで、おもちゃです。)に憧れていたからなぁ…ぎこちない動きの有線操作の「ロボット」は、50年以上の時を経て、二足歩行を行い、「無理」だろうと勝手に思っていた指関節の動きも非常に滑らかになっている。当然、そこには開発に携わった方々の不断の努力の結晶ということなんでしょうけれどね。夢に向かって歩みを続けるか、『絵空事』として切り捨ててしまうかで、世界は大きく違ってくる。
はてさて、季節の山菜料理をゴチになりながら、これらを初めて食べた先人たちに『敬意』を表する。苦い(エグミ)もあれば、毒の野草もある…こうして食卓に上るまでに、果たして幾多の先人たちが『食中毒事故』を起こし、そして、幾多の犠牲者が出てしまったのだろうかなんてね。
外が暑くて、ノビております^^;
果たして、『空腹』が勇気を出させたのか、食への『興味』が先人を駆り立てたのかは分かりませんけれど…。暑さでダレてしまった『おやじぃ』は、昼下がりに『妄想』を繰り返す。もしも、これだけハッキングが横行する世の中ならば、「攻撃」、「迎撃」に関わらず、そのシステムが自国の要衝に落ちる設定に書き替えられていたなら、為政者は恐くてスイッチを押せないに違いない。下らない『妄想』…しかし、現実には起きえない幻想(ファンタジィー)ではなく、科学的根拠が無い訳でもないSFの世界じゃないかなんてね^^;
ロボットが隆盛し人が仕事を失い、人工知能が進歩し人が機械に支配される世界など、SFの世界では結末が悲観的なものも多いようである。単純労働から解放される『夢』が、単純労働者の働く場所を奪い、コンピューター制御の世界は、事務の効率化を超えて人員削減の方向へと走り出す。開発者にしてみれば、意図していない方向へと流されていく。人間らしい生き方、暮らし方って一体何なんだろうねぇ?季節の山菜料理を食べながら、そこまで妄想するかね?只々、残り少ない期間を平穏無事で乗り切りたいと思っているだけなのだけれど、これまた『絵空事』なんでしょうかねぇ?
#戦争反対 『おやじぃ』だって、憲法第9条で日本が戦争に巻き込まれないなどとは思っていない。『絵空事』と言われたとしても、「戦争のない世界」を『妄想』しなければ、現実に平和な世界は訪れないと思っているだけなんだけどなぁ…。