広島への原爆の投下は、1945年8月6日8時15分。生き地獄のような光景を、私は被爆者の方の話を伺ったり、体験者が描いた「原爆の絵」を見たり、広島を訪ねることで、できるだけ追体験するようにしてきた。
その中で、戦争で健康な人が命を失う、怪我を負う理不尽が、この世に一切起きないことを心から痛切に願うようになった。「よい戦争」など、世の中にはない。戦争は、悲しみと憎しみしか生まず、平和は戦争によっては訪れない。
そんな中で、今年の朗報としては、核兵器禁止条約の122か国の賛成による採択がある。アメリカの核の傘に守られ、今北朝鮮が核兵器開発をしている現状の中で、核兵器禁止条約の採択には加われないという理由で、日本政府は参加すら見送りました。
しかし、例えば採択後に素晴らしい挨拶をしたサーロー節子(カナダ国籍)さんがそうであったように、政府代表でなく、市民代表(Civil Society)という資格で発言した人も多く、日本からも多くの被爆者、支援団体などが意見を出し、この被爆者の方の発言が大きな力になったことから、原文にも"Hibakusya”の表現が盛り込まれることになったようです。ネット検索したら、日本の政党では共産党志位さんがこの市民代表として演説している動画があり、びっくりしました。
サーロー節子さんは、「この瞬間がくるとは思っていなかった。心と知力を尽くしてくれたことに感謝したい。核兵器廃絶に近づく壮大な成果で、この日を70年間待ち続け、喜びに満ちている。核兵器の終わりの始まりだ。核兵器は道義に反してきただけでなく、今では違法となった。世界の指導者はこの条約に署名すべきだ」と語った。
会議の正式な構成メンバーであった市民社会。その働きに対して、「この歴史的成果は、市民社会の積極的参加抜きにはあり得なかった」との感想もあったと言われている。
この会議を取り仕切るのに尽力した国連軍縮担当上級代表・中満泉さん(その活躍がNHKなどで取り上げられていた)も、「この条約締結は、核なき世界の追求へ生涯をささげてきた全ての人々の希望のともしびとみなされるべきもの」と述べている。
大事なのはこれから、この核兵器禁止条約が、実際に核兵器廃絶という道を人間が進めていくに当たって、どれだけの力を発揮しえるかだ。それには、まさに市民社会のひとりびとりが、どう平和について能動的に考え、活動していくかにかかっているだろう。
今日の広島での平和式典で松井市長が言ったように、<日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい>。そのために、日本国民としてできることをひとつひとつ考えて進めていきたい。